2017/12/30

ほぼ日手帳なんか-->


手帳を使っている人は、たくさんいるだろう。
たぶん、幼稚園児の頃から(持たされて)使いだすのだろう。
小学生になると「学級連絡帳」。
中学・高校・大学の頃には、あまり使わないと思う。
大学生が就職活動をするようになると、また使いだす。
就職すると、仕事を進めるには絶対の必需品となる。

自分の場合は、就職してまず営業マンになったので、会社支給の小型の手帳を毎年使っていた。
年齢早見表とか度量衡の換算表とか交通機関の路線図とか、付録がいっぱいついたタイプである。
印刷会社だったので、印刷用紙の規格表もついていた。
アドレス帳のページを、毎年新しい手帳に書き写していたものだ。

そこから少し進歩して、背広の胸の内ポケットに収まるサイズのシステム手帳に乗り換えた。
革のバインダタイプのやつである。
アドレス帳を毎年書き写す必要がなくなり、普段使うページはリフィルを買い足すだけですむようになった。

やがて営業職を離れ、企画・デザイン職に就いた。
そうすると、ポケットに収まるサイズの手帳だけでは仕事がやりにくくなった。
スケジュールやアポイントメントを管理するぐらいなら、小さい手帳で事がすむ。
しかしながら、思いついたことを文章とともにスケッチするのには、スペースが小さ過ぎるのである。
加えて、罫線の入った紙面は、それが横罫であろうと格子罫であろうと、スケッチの邪魔になる。
(建築図面などには、格子の罫線が入っている方が使いやすいけれど)

ラフスケッチや企画書を、手でグリグリ書くには、B4ぐらいの大きさの紙が適している。
これぐらい大きいと、もはや手帳として展開するのは無理である。
どこまで小さくして、ラフスケッチの用にたえられるか。
それを試した結果、A5サイズぐらいでも用が足せることがわかった。

最初は、A5サイズのルースリーフ(無地)を買ってきて、そこに自分でデザインしたページを印刷して、20穴のバインダにセットして使っていた。
現在は、A5サイズのシステム手帳(6穴)に代えたのだが、無地のリフィルに自分のPCから印刷するだけなので、いつでも20穴のシステムに戻ることができる。

今大人気の「ほぼ日手帳」にもA5サイズのものがあるらしいが、いろいろと「機能」を盛りこみ過ぎているのではないかと想像する。
自分のは、なさ過ぎるぐらいにシンプルである。
クリエイティヴな仕事をするには、何もないスペースが多い方がいい。
ちなみに、アドレス帳は電子化済みなので、わがA5手帳に含まれるのは以下のものだけである。

▼トップページ。一年のカレンダーを一覧
 土・日曜日が週末で、月曜から新しい週が始まるという考え方。





















▼見開き2ページの月間予定表(12か月分)。前月と翌月のミニカレンダー付き



















 ▼週間予定表(53週分)。右頁はまったくのブランク




















 

2017/12/23

D・フランシスを読もう-->


母の友人Tさんがディック・フランシスに、はまっているらしい。
今さら、などと言うことはできない。
競馬ミステリという名に尻込みして、フランシス作品を読み始めるまでに三十数年かかったのは誰あろう、自分である。

Tさんには会ったことがない。
母の友人であるからには、齢八十を超えていることは間違いないが同好の者同士、話をしてみたいものである。
どの作品から読み始めたのか。
どの作品が好きか。
フランシスの本をどこで手に入れているのか。
図書館で借りるのか。
書店で買っているのか(ハヤカワ文庫なら、今でもフランシスの競馬ミステリは手に入る)。

なんの自慢にもならないが、拙宅には全冊揃っているのである。
「本命」「大穴」「興奮」など、すべてのタイトルが二字熟語で、背表紙が緑色(ターフのグリーンをイメージしたか)の文庫本が三十数冊。
加えて、上製の単行本が数冊(これらもすでに文庫化されている)。
よけいなお世話だろうが、Tさんに進呈(貸さない)してもいいつもりで、本棚から古いタイトルを引っぱりだした。
見てびっくりしたのは、字が小さくて読みづらいことだ。
おまけに印刷用紙が劣化して、黄ばんでいるので、なお読みづらい。
自分も本も、年をとったもんだ。

さて、ディック・フランシスに関して、目黒考二氏がWEBのコラムで書いていたことがある。
山本一生という方の『書斎の競馬学』に、フランシスには翻訳されていない伝記のことが書かれていたというのだ。
これに大いに興味をもって、現在もその翻訳書が出ていないのか、インタネットで調べてみた。
翻訳はされていないようだった。
「Dick Francis: A Racing Life」というのが該当する原書らしいことがわかった。
最終的に、Amazon.co.jpでKindle版を購入した。
301円だった。
電書なら、なんらかのアプリの力を借りて、読めそうな気もする。





シンプルな表紙!




















2017/12/14

2018年1月ヴァージョン-->


久しぶりに投稿が採用された。
『本の雑誌』2018年1月号の「三角窓口」欄である。
本にまつわること、図書館のこと、北上次郎さんのことなど。
書店の店頭で、当該頁を開き、自分の名前が載っているとうれしいものである。
打率(採用率)は低迷しているが……



マクロにて撮影


















書店の後、寿司と回転焼きを買って、実家の母を訪ねる。
同じ市内なので、しょっちゅう行っているのだが、毎年のこの時期には、彼女の年賀状づくりを手伝っている。
手伝うといっても、母は賀状用の写真を選ぶだけで、レイアウトや印刷などの残りの作業はすべてこちらの仕事だ。

実家には私が使っていたiMacと、EPSON製のインクジェットプリンタがあって、これらで作業を行なう。
写真がデジタルであれば、カードリーダから読み込んで、レイアウトする。
使用するアプリケーションは、AppleWorksだ。
iMac本体はおにぎり型のやつで、OS 9で動いている。
こんなに遅かったかな……
と思うぐらい動作が鈍い。



AppleWorks@iMac


















昨年は、選ばれた写真がカラーの紙焼きだった。
実家にはスキャナを置いていないので、デジタルカメラで接写して間に合わせた。
今回またそんな事態になったときのために、Nikon D60にマクロレンズを装着して持参してあったが、複写の役はなかった。

プリンタは別の問題である。
まさに、一年でこの日だけ稼働するマシンで、スムーズに働いてくれたためしがない。
ノズルチェックをして、ヘッドのクリーニングをして、テストプリントをする。
たぶんインクは少しずつ蒸発していっているのだろう、次々と各色のカートリッヂを交換せよ、と要求をしてくる。
今回は、6色すべてのカートリッヂを交換することになった。
これだけで5,000円以上の出費になるのだから、街の印刷屋さんに一括依頼した方が安上がりになることは間違いない。

年賀状本体には、日本郵便製のインクジェット写真用はがきを使用する。
プリンタ設定において、いかなる用紙を選択するかも問題である。
「インクジェット写真用」という選択項目がないので、とりあえず「EPSON写真用紙」に設定して、5枚ほど印刷した。
なんだか、赤っぽいので「EPSON光沢紙」に変更すると、ましになった。



 
EPSON PM-D770。いかにも古いタイプのプリンタだ

2017/11/10

11月11日はBASSの日-->


BASSは、楽器のベースである。
数字が四つ、1111と並んでいる様子が四本の弦を想起させるところから、11月11日をベースの日と誰かが決めたのである。

オーケストラでは弓で奏でるコントラバスを、ジャズでは指で弾(はじ)く。
ヴァイオリンも指で弾くこと(ピチカート)があるが、コントラバスはどうか。
ジャズで使うのをウッドベースと呼ぶのは、日本だけらしい。
エレキギターのように肩から吊って扱えるようにしたのが、ベースギターである。
ウッドベースを弾く人、ベースギターを弾く人、ともにベーシストと呼ばれる。

ある音楽専門雑誌のベーシスト人気ランキングで、ポール・マッカトニー(Paul McCartney)が第3位に入った。
ビートルズ(The Beatles)の一員として名が売れている故のランクインではなくて、演奏を評価されてのことである、と思う。

ビートルズのレコードをかける時、歌ばかりを聴いていた。
そればかりか、曲に合わせて大声で歌っていたのである。
つまり、楽器の音など、ほとんど耳に入って来なかった。
好きな曲はメロディの美しい、歌いやすいものばかりだった。

歌うのをやめてインストに神経を集中させると、ポールの弾くベースギターの音が、ぶんぶんとうなっているのが、よく聴こえる。
うなっているが、ことさらに主張せず、きれいに溶け込んでいる。
他のメンバーがベースをやらないので、仕方なくポールが担当になったそうだが、彼はどのパートをやっても上手なのではないかと思わせる。

偏固子が最も気に入っているのが「Old Brown Shoe」である。
ベースをフィーチャーした作品で「疾走感」がある。
他にもお気に入りが……
Another Day
Too Many People
Dig A Pony
Get Back
以上、ポールがベース担当。

ポール・マッカトニー以外では……
South American Getaway
 バート・バカラック作、映画『明日に向って撃て!』挿入曲
Comin' Home Baby(デイヴィッド・サンボーン)
 サンボーンはサックスプレイヤー。



David Sanborn「timeagain」















Boz Scaggs『Fade Into Light」

















Isn't She Lovely(デイヴィッド・サンボーン)
 スティーヴィ・ワンダーの曲
Angela(ボブ・ジェイムズ)
 ボブ・ジェイムズはキーボードプレイヤー。
Sara Smile(ホール&オーツ)
 男声ヴォーカルデュオの名作。
Lowdown [unplugged](ボズ・スキャッグズ)
 ボズは男声ヴォーカル。アンプラグドということは、ウッドベースですな。

 

2017/11/03

小学生向け文学全集-->


読書週間である。
そんなこと言われなくても、52週間ずっと読書週間でっせ。

あすなろ書房という出版社が、よく新聞広告を打っている。
松田哲夫編『中学生までに読んでおきたい日本文学』(全10巻)である。
中学生までに、というのだから小学生向けだ。
作家は芥川龍之介、森鷗外、太宰治、内田百閒、遠藤周作、向田邦子……と新旧バラエティに富んでいる。
書き落としたが、各巻10作品以上が収録された短編集である。

それぞれの巻のテーマタイトルを列挙すると、
1.悪人の物語
2.いのちの話
3.おかしい話
4.お金物語
5.家族の物語
6.恋の物語
7.こころの話
8.こわい話
9.食べる話
10.ふしぎな話
である。

10巻いっせいに発売されたようだから、どの巻から読んでもいいとは思うのだが、第1巻がいきなり「悪人の物語」から始まるというのは、小学生向けとしてはどうよ。
悪いことを知るのは、もっと後の方でよくはないか。

偏固子ならば、こう並べるけどなあ。
1.家族の物語
2.いのちの話
3.こころの話
4.食べる話
5.お金物語
6.恋の物語
7.悪人の物語
8.こわい話
9.おかしい話
10.ふしぎな話
ここまで書いてきて、気がついた。
悪人で始まるリストは五十音順になっている!

 

2017/10/26

中古レンズを手に入れた-->


九年落ちのデジタル一眼レフレックスカメラを所有している。
九年落ちがどれだけ古いかというと、「動画撮影ができない」。
メイカーはNikonで、そもそも自分がNikon党となったのは父親がユーザだったことに由来する。
大学生だった頃アルバイトしていた放送局のカメラマンからセコハンのNikomat(ニコマート)を譲り受けた。
そのカメラに付いていた35ミリと、自分で買い足した135ミリのレンズを使っていた。
父とレンズの貸し借りをすることもあった。
仮に、息子がCanonユーザになったとしたら、父親のNikonとはレンズの互換性がないので、そういうことはできない。
やがて父が亡くなり、彼のNikon資産を私が受け継ぐことになった。
某新聞社の写真部が払い下げた、凸凹だらけのNikon F。
ジウジアーロがデザインしたことで有名なNikon EMもあった。
レンズは50ミリ標準と55ミリのマクロ。

EMをメインに使うことにして、その他は整理することにした。
55ミリのマクロと135ミリの望遠レンズは手元に残した。
Fは、Nikonマニアの同僚に払い下げ。
Nikomatは写真初心者の後輩に払い下げ。
新品で買っていたF-601は、付属レンズとともに中古業者に引き取ってもらった。




28mm f/2.8(左)と50mm f/1.4のレンズ





















その後、中古の28ミリと新品の50ミリのレンズを買い足したのだが、肝心のEMの調子が悪くなってしまった。
露出の計測に問題が出て、修理をするも再発。
経年劣化である。
折しも世はデジタルカメラの隆盛期。
ついにフィルムを見限り、2008年にデジタル一眼レフを買った。
小さい手でも楽に扱えるサイズの「D60」の、ボディだけを購入した。
たんに、レンズ付きで買うための資金的余裕がなかったというのが理由である。

以来9年間、デジタルカメラにMF(マニュアルフォーカス)のレンズを装着して撮影してきた。
カメラがマニュアルモードであれば、MFのレンズが使える。
絞り値、シャッター速度およびピントは、手動で合わせなければならない。
記録媒体がフィルムではなくメモリカードに置き換わっただけで、撮影スタイルの方はクラシカルなのである。

前置きが長くなった。
中古レンズを買った、という話だった。
ネットでリーズナブルな価格のレンズを発見したのである。
オートフォーカスで、18ミリから55ミリまでのズームレンズが11,000円。
三年落ちで、発売当時のカタログ表示価格は35,000円である。
加えて、古いカメラやレンズを下取りしてくれるというサービス付きだ。
さっそく電話を入れて取り置きをお願いした。
あくまで現物を見てから購入を決める、というスタンスだ。

リアル店舗へ行く。
実は、ここは父と私とで大いに世話になったお店である。
特に父は、ほぼ毎日フィルムの現像とプリントを頼んでいたことを、亡くなった後に知った。
中古レンズの現物を見ると、美品である。
持参したカメラに装着させてもらい、オートフォーカスをテストする。
その間に、下取りしてもらうつもりで持ってきた28ミリと50ミリを査定してもらう。
査定価額は合計9,000円。
レンズとの差額2,000円を追い銭しなければならない。
そう思っていたのだが、なんとレンズを1,000円値引き、査定額を1,000円アップしてくれた。
チャラになったわけである。
父のおかげか……?




Nikon D60に装着したAF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR II



















2017/10/23

目黒さんから次郎さん、三郎さんへ-->




















△偏固ジャーナル十月二十日(金)ドキュメント。
 こんな日にかぎって、朝から胸の調子がよくない。幸いに午後には治まったので、腹ごしらえをして、外出の準備。
 髭をきれいに剃り、服装を整える。足元から決める。茶色のサドルシューズを選択。煉瓦色のクレープ底が貼ってある。パンツは濃い色のタータンプレイドに、靴と同色のベルトを通す。紺色のボタンダウンシャツに、黄金色無地のシルクタイを締める。最後に紺色のブレザーコートを羽織り、ポケットには紺色のポケットチーフをはさんだ。
 まあ、いわゆるひとりの「めかし屋」だ!
 トートバッグの中には、寒くなった時のためにタータンのマフラーと鹿皮の手袋を入れた。その他に折畳み傘、システム手帳と万年筆、『本の雑誌』の最新号と2005年の12月号も装備。電車の中で読むための本は、ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 消滅遊戯』だ。

 今日の目的地は大阪・梅田の蔦屋書店。店内のラウンジで行われる、大御所書評家の北上次郎氏のトークイヴェントに、予め参加申し込みをしてあった。
 梅田に、かなり早く着いたので、あちらこちらに寄り道をする。
 まずはマルビルの地下にある、FM COCOLOのスタジオを覗きに行く。関西の人気ディスクジョッキーであるマーキーが公開放送をやっている、と思ったが今日は休みだった。
 地下伝いにヒルトンホテルの建物まで歩く。エスカレータで5階にある書店へ。ジュンク堂としては規模の小さい店だが、やはり品揃えの点で郊外店には優っているのである。
 海外小説の棚をチェックしてから、別の棚でドローン関係の雑誌を見る。パーツを集めて自作するドローンや、水素を燃料にして飛ぶドローンなどに大いに興味をそそられる。
 LUCUA 1100(ルクアイーレ)に移動する。外では雨が降り出していたのだが、地下を歩いて濡れずに行けた。エレベータで9階の蔦屋書店へ。

 この時点で開演まで1時間半。早いにも、ほどがある!
 しかし、ここならいくらでも時間をつぶすことができるのである。ただの本屋ではなく、カフェ(スターバックスコーヒー)があり、Appleのショップ(キタムラ)もあり、(その他略w)ヴァラエティあふれるお店が併設されていて、飽きない。いや、すべて見て回ることなど、この空き時間でできそうにない。
 ムックを一冊買った。SPring-8を特集したPen+(ペンプラス)である。SPring-8とは、巨大な加速装置であると理解していたのだが、何を加速させるかというと、それは電子であって、加速装置はSPring-8の一部分にしかすぎないということが、ようやくこのムックをつまみ読みしてみて、わかってきた。

 それはともかく、会場となるラウンジの近くのデザイン関係の棚を見ていたら、なんとそこへ北上次郎氏が「楽屋入り」するために歩いて来たのである。彼は私にとっては目黒考二である。いきなり目黒さん初めまして、と声をかけて驚かせてしまった。
 本日のイヴェントタイトルは「北上次郎選2017年のエンタメおすすめ本30 今年読んで面白かった本をどーんと紹介」とやたらに長い。
 演壇がわりのテーブルの真正面、三列目に席をとる。北上次郎氏が登場する前に蔦屋の担当者が氏の紹介をしたのだが、キタカミと呼ぶのであれっと思う。1976年に『本の雑誌』を立ち上げて……は北上次郎のプロファイルとしてはどうかなあ。
 初めて聴く生のトークである。自身で言うように早口で、30冊をあっという間に紹介。以下リスト。

1.ダークナンバー(長沢樹)
2.冬雷(遠田潤子)
3.天上の葦(太田愛)
*4.地獄の犬たち(深町秋生)
5.ハンティング(カリン・スローター)
6.その犬の歩むところ(ボストン・テラン)
7.暗殺者の飛躍(マーク・グリーニー)
8.フェイスレス(黒井卓司)
9.横浜駅SF(柞刈湯葉)
*10.この世の春(宮部みゆき)
11.腐れ梅(澤田瞳子)
12.花しぐれ(梶よう子)
13.蘇我の娘の古事記(周防柳)
14.アキラとあきら(池井戸潤)
15.なかなか暮れない夏の夕暮れ(江國香織)
16.カンパニー(伊吹有喜)
17.球道恋々(木内昇)
18.北海タイムス物語(増田俊也)
19.女系の教科書(藤田宜永)
20.ヒストリア(池上永一)
*21.本日も教官なり(小野寺史宜)
*22.ルビンの壺が割れた(宿野かほる)
*23.盤上の向日葵(柚月裕子)
*24.つぼみ(宮下奈都)
25.君が夏を走らせる(瀬尾まいこ)
*26.ビンボーの女王(尾崎将也)
27.劇団42歳♂(田中兆子)
28.嘘つき女さくらちゃんの告白(青木裕子)
29.間取りと妄想(大竹昭子)
30.かがみの孤城(辻村深月)
*のついた作品は『本の雑誌』11月号でも紹介。

 ジャーナル子は翻訳ミステリ専門なので、興味があるのは5番と7番だけだが、グリーニーは二作読んだ時点で見限ってしまったのでスローターだけに集中する。その他の国内作品は、聴き流すだけだ。
 しかし、次郎さんの話を聴いていると、どの作品も面白くて読んでみたいという気にさせられるのである。
『冬雷』の遠田潤子を語る。『雪の鉄樹』でブレイクした今注目の作家、『オブリヴィオン』もすごく良くて、『本の雑誌』の最新号で採りあげたという。ええっと、何と書いたんだったかな……と続けたところで、蔦屋の担当者が売り場へ最新号をとりに走る。広い店ゆえ、話の続きには間に合うまい。最初から用意しておくべきだろう。
 というわけで、ジャーナル子がバッグから最新号をとり出して「新刊めったくたガイド」の頁を開けて、次郎さんに渡した!のである。
 ところが『オブリヴィオン』を紹介したのは未発売の12月号だったので、どちらにしても役には立たなかったのである。

 次郎さんは30冊の紹介を、見事に時間通りに語り終えた。その後サイン会が行われたので、件の『本の雑誌』の表紙に「北上次郎」と書いてもらった。
 もう一冊の2005年12月号の「笹塚日記」には、ジャーナル子(イニシャルT)が目黒さんにメールを打って、氏のレシピでドライカレーを完成させたエピソードが載っているのである。そのことを話すと「ほんとうですか!」と言って、表紙に「目黒考二」とサインをしてくれた。
 帰り際に、菊花賞のついでに来はったんでしょうと訊いたら、そうです、と藤代三郎の笑った顔が答えた。台風が迫り来るなか菊花賞は開催されたが(キセキが一着)、目黒さんが無事に帰京できたのが、気になっている。
 

2017/10/15

All You Need Is Kill-->


「格安SIM」使用でためたポイントが無効になるというので、そのポイントを使ってDMMのストアで電子書籍を買うことにした。
さて、何を買う?

昨日、万博公園にあるTSUTAYAに行った。
贔屓チームの試合を観に行ったついでである。
文庫の棚に『日本SF傑作選』(ハヤカワ文庫)の小松左京編が面陳されているのが目に付く。
はなから買う気はないのだが、手にとってみる。
分厚い。
値段も高い。
1,500円ぐらい。

筒井康隆編の方が興味ある。
こちらは棚のB面に並べられていた。
同様に分厚い。

海外小説だけをまとめた棚がある。
著者名順に並べられている。
こういう並べ方をすると、ハヤカワ文庫の在処がよくわかる(笑)
ヒギンズを探すが、ない。
ならばマクリーンは?
32刷の『女王陛下のユリシーズ号』があった。
迷ったが、棚に返す。

ウィアー『火星の人(上・下)』もある。
試し読みしてみる。
いつも、評判だけで買って失敗する。
立ち読みすればいいのだが、それすら面倒くさいと思ってしまうのである。
『火星の人』は、よさそうだった。
けれども、また棚に返した。

何か月か前に買ったアーチャーもまだ読んでないし、いたずらに積ん読を増やさんでもええやないか。
というわけで、手ぶらで!帰る。

電子書籍の話に戻る。
悩んだ結果、コミック版『All You Need Is Kill』を買って、全2巻をダウンロードした。
コミックはタブレットで読むのに適している。
見開きで画面構成してあるところは、やや問題が生じる。
その場合は、端末の向きを回転させることで見開き表示できる。

図書館に返すヘイズ『ピルグリム・1』を先に読まなければならないのだが、『All You...』に手をつけてしまい、一気に2巻を読み終えてしまった。
この作品はトム・クルーズ主演で映画化された。
それを先に観ていたのだが、脚本は原作をかなり書き変えている。
コミック版(桜坂洋原作の同題ライトノベルを漫画化したもの)と映画では、観賞し終わった後感がドライとウェットで異なる。
どちらがドライかウェットかということは、書かないでおく。

 

2017/10/13

タイムスリップものを読む?-->


昔『タイムトンネル』という、洋もののテレビドラマがあった。
楕円状の短いチューブを、間隔をあけて並べてあって、それらがチューブの穴の側からはトンネルのように見えるタイムマシン。
それがタイムトンネルだった。
その入口は、人が立って入っていけるほど大きくて、奥に進むほど小さくなるように見える。
このマシンが事故で科学者を過去へ送ってしまい、なかなか現代に帰ってこれないという話だったと記憶している。

時間旅行というテーマは、H・G・ウェルズの『タイムマシン』以来、サイエンスフィクションの王道である。
ヴァリエイションも数多ある。
3分だけ未来が見られるとか、同じところを何度もリプレイするとか、そこに恋愛をかけ合わせたり……
自分が好きなのは、ヨーロッパの中世にタイムスリップするってゆうやつ。

映画化されたマイクル・クライトン『タイムライン』(1999年)は、SNSみたいなタイトルだけれど、現代と中世のフランスを行き来する話だ。
SFだが、甲冑の騎士が登場してきて戦う。
この作品は、なかなかよかった。



表紙絵はもちろんニコイチ




















スーザン・プライス『500年のトンネル』という作品が『タイムライン』とは同工異曲だが、1年先に出ている。
こちらのトンネルは、巨大な土管が山に突き刺さっているイメージのタイムマシンで、その名も「タイムチューブ」である。
スイッチを入れて、現代の側からチューブを通って向こう側に抜けると、そこは16世紀のイギリスという設定。
創元推理文庫の上下二巻本を、いつ面白くなるかと期待をしつつ読み進み、最後まで行ってしもた。

さて、ここにガバルドンという作家の『アウトランダー』というシリーズがある。
これまた200年前のイギリスにタイムスリップする話で、他社の文庫だったのがハヤカワに移籍して出ている。
食指は動くが『500年…』の失敗があるのでチュウチュウ、ぢゃなかった躊躇している。

 

2017/10/08

ピンクの豚を食いそこね-->






















秋とは思えぬ陽気の日曜日。
吹田市立吹田スタジアム(くどい!)で、Jリーグ杯争奪戦の準決勝第2戦が行われた。
通称はルヴァンカップである。
地元ガンバ大阪の対戦相手は、同じ大阪の名を冠した(否、下に付いてるぞ)セレッソ大阪である。
いわゆるダービーマッチだが、ちょっと意味合いが微妙である。

その理由は。
セレッソが大阪市をホームタウンとしているのに対して、ガンバは大阪市ではなく大阪府北摂の数市をまとめてホームタウンとしているところにある。
セレッソ側が、我こそが純正の大阪であって、ガンバは「ガンバ北摂」または「ガンバ吹田」やないかと、常に揶揄しているのである。
このことについてはセレッソ側の主張に分があるように思われるが、それを大っぴらに言うと、身内に袋だたきにされそうで怖い。

日本リーグ時代まで遡る。
チームは企業の丸抱えで、というより蹴球協会に登録した企業内のフットボールクラブが、リーグ戦を行なっていたという方が正しい。
基本的にアマチュアのクラブである。
釜本邦茂(ヤンマー)であろうが古田篤良(東洋工業)であろうが、その会社の社員という扱いである。

当時、ヤンマー(愛称は付かない)の人気が最も高かった。
その血統を受け継ぐのがセレッソ大阪であり、当然大阪から真っ先にJリーグに加盟してもらうべきチームだったが出遅れた。
そのために最初期のブームの時にファンを取り逃がしてしまった感がある。
ミスター・ヤンマーとも言うべき釜本邦茂をも、ガンバの監督に奪われてしまった。























セレッソのサポーターが掲げるスローガンの一つに「Real Osaka」というものがある。
Realを、スペインの有力チームが冠する「Real(レアル)」と「真の」という意味の英語にかけている。
大阪市の市花である「桜」をチーム名とし、ユニフォームの色もピンクである。
セレッソ大阪を見下したいガンバ大阪のサポーター達が、彼らのことを「ピンクの豚」と呼ぶ所以である。
個人的には、可愛い名前だと思うがな……

それはともかく。
ダービーであろうがなかろうが、試合をするからにはピンクの豚を食って、勝たねばならぬ。
勝ちたいが、仮に引き分けでも0-0または1-1ならば、決勝戦に進出できることになっている。
前半、セレッソが先に得点して0-1。
後半、ガンバが得点して1-1。
ガンバは守備の選手を交代で入れて、逃げ切ろうという策に出た。
自分が監督なら、駄目を押しに行くがな。
90分を経過して、ロスした5分が追加された。
電光掲示板には追加時間の経過は表示されないので、ストップウォッチで計る。
残り30秒から、さらに時計は進む。
セレッソ・水沼から木本に弾丸クロスが通り、ヘディングシュート炸裂。
1-2となった。
残り十数秒で2点を入れ返さなければ勝ち目無し、ということで万事休す。

この試合、マッチコミッショナーは古田篤良。
ガンバ大阪は今年度無冠が決定した。

 

2017/10/01

インフルエンザぢゃない?-->


九月を飛ばして十月に入った。
秋になると襲来するのがカメムシである。
ここのアパートでよく見るのは体長が約15ミリで、黒いスクデット(盾)の形をしたやつである。
臭いにおいを放たなければ、なかなかいいデザインの昆虫なのだが。
カメムシの知能がけっこう高いのではないかと思わせるのは、ヴェランダに置いてある自転車のタイヤ部分に張り付いたり、構造物の陰で身をカムフラージュしているのを発見したときである。
そして、一匹見つかると、たいていもう一匹が近くにいて、こいつらは二匹一組で行動しているのではないかと思われるところがある。
排除したいのだが下手に触ると悪臭を放つので、「冷凍スプレイ」を使って、瞬時に冬眠させてしまうことにしている。

九月末日。
Jリーグ1部の第28節の試合が行われた。
前節まででガンバ大阪は40ポイントで第8位。
首位は61ポイントの鹿島アントラーズである。
残り7試合でポイント差21、ということは……
ガンバが優勝する可能性は無きにしもあらず(笑)。
今節の相手は第5位の横浜F・マリノスだ。

いつものようにMTBで万博公園まで走る。
チェインに潤滑油をさし、タイヤに空気を足すのは、いつもの通り。
モノレイルの駅の下に駐車して、スタジアムまでを歩く。
スタジアムの駐車場にとめると、帰りは観客の雑踏を抜けられなくなるのである。

キックオフまで2時間以上ある。
エキスポランドの跡地にできた商業施設「エキスポシティ」に入る。
出来心?で入店したadidasのショップで、紺色のジャージに目が留まる。
上下で2,800円!
元値の七割引である。
まったく予定していなかったのに、買ってしまった。

試合を観ていたら、寒気がしてきた。
買ったばかりのジャージを羽織ってもまだ寒い。
そう思っているうちに手指がしびれだした。
これはインフルエンザの初期症状ではないか……?
ハーフタイムにサンドウィッチを一つ食べ、常備している沈痛解熱剤を飲んだ。

動けるうちに帰ろうと決心して、スタジアムを出る。
タクシーで帰ろうか、いやいやそんな金はない。
MTBでそろっと走ろう。
という訳で自宅までたどり着いた。
MTBを置いた階段の踊り場にカメムシがいて、ちょっかいを出したら臭いガスを吹きかけられた。
だから、触ったらあかんって。

インタネットで、試合の結果だけを見る。
後半になってから0-1、1-1と推移して、最終的に1-2で敗戦。
優勝の望みは絶たれたのであった。

体調は、一晩でほぼ回復した。
インフルエンザではなかったのか?

 

2017/09/02

iOSは禅の境地にあらず-->



「ギガが減る」という表現は、言い得て面白い。
格安SIMを導入してから、ウェブ上に設定されたユーザページで、自分の使用量をチェックするたびに、同じこと(残り何ギガ?)を感じていた。
契約したのは5GBのプランで、動画視聴時間が多くならなければ、不足することはない。
音声通話は見切ったのでデータ通信オンリーのプランだが、月額1,210円だった。
安いこと、この上、ぢゃなかった、この下ない。

現在は、都合によりSIMをもう一枚買い足して、2枚の合計で8GBまで使えるプラン(月額1,980円)にしてある。
2枚目のSIMは携帯型の無線ルータに導入、先代のiPad miniとWi-Fiで接続している。
このiPadはSIMロックがかかっているので、新しいSIMとの差し替えはできないのである。

つまるところ「iPad mini + 無線ルータ」と「iPad mini 2 + iPhone SE」という二輪体制ができたわけで、前者を実家の母に預けている。
預けたが、まったく使えていない。
PCの操作にようやく慣れたのに、さらに新しい機械の操作には追いつけない、といったところか。
使えるようにしてやりたいが、iOSはジョブズが言うほど解りやすくはなく、教わるのも教えるのもむずかしい。

それで思い出したが、Palm OSの方が易しかった。
ディスプレイの解像度は低く、スタイラス必須だったが、操作がシンプルだった。
「禅」の思想において、iOSを凌駕していたと思う。


日本語版最終モデルのPalm m515。SDカードでBluetoothに対応した















 

2017/08/31

電話ぢゃないiPhone-->


突発性難聴になって耳の聴こえが悪くなったが、前から性能の低い耳だった。
携帯電話の音が聴き取りにくいのである。
安もん買い、と揶揄されながらPHSを好んで使っていたのは、抜群に音質がよかったからである。
ベータがVHSに駆逐されたのと同様にPHSが姿を消すことになったのは残念である。



SHARP製のスマートフォン「W-ZERO3」。2007年の我が愛機


















それはともかく。
電話機は好きだが通話は苦手、というけったいな理由で、電話を携帯するのをやめてしまった。
その辺りの経緯は、前にも書いたと思う。
iPad miniのWi-Fi+Cellularモデルに買い替えたのである。
キャリアはSで、SIMロックがフリーではない頃のモデルだ。

iPad miniは、ほぼA5サイズ。
これをルースリーフノートのバインダに挟みこんで、携帯することになった。
到底ポケットには入らない。
つまり、手ぶらでは出歩けないことになってしまったのである。
それが我慢できない、というほどのこともないのだけれども。

電話を携帯しなくなったことで、お前は連絡がつきにくいという苦情が二、三あったけれども、こちらはどこにいても電話がかかってくる不愉快さが無くなって、気楽になった。
それに、Eメイルは随時送受信可能である。
また、iOS端末同士なら「FaceTime」アプリで交信可能のはずである。

二年後。
iPad miniを、SIMロックフリーのiPad mini 2に買い替えた。
その理由は「格安SIM」を導入するためである。
これによって毎月の通信費が四分の一ほどに激減し、マシン買い替えの元はすぐにとれたのである。

現在。
iPhone SEを買い足した。
24回分割払い・金利ゼロ、というのに惹かれて(爆)
iPad mini 2に導入したSIMを、iPhone SEに移植した。
このSIMはデータ通信専用のものなので、キャリア経由の音声通話はできず、FaceTimeは使えるという事情には変わりがない。

iPhone SEは、わが家の無線ルータとして働いている。
Wi-Fiマシンに堕したiPad mini 2とデスクトップのMac miniを随時接続している。
iPhone SEだけを持って外出することもできるようになった。
iPhoneを携帯してるのに、電話はしない。
そんな奴、おる?

 

iPhone SE。Spigen製のケース装着済み。横持ちして、親指入力を行う


















2017/08/29

腹立半分日記by筒井康隆-->


今さらながら『腹立半分日記』を読む。
白状すると、筒井康隆作品は今まで、まったく読んでいない。
高校生のころ、同級生が筒井作品にはまって、ええでええでと騒いでいた。
こっちは五木寛之や畑正憲(ムツゴロウ)のエッセイを好んで読んでいた。



装幀:山藤章二



ほぼ40年前の本だが、古いがゆえの再発見・再確認ができて、面白い。
レトロスペクティヴというやつである。

本体というべき「腹立半分日記」は、著者が雑誌『面白半分』の編集長を務めていた期間、同誌に連載されたものをまとめたものである。
そこに、サラリーマン時代(乃村工藝社)やSF作家としてデヴィウする頃、その他の日記を加えて一冊の本にしてある。

「SF幼年期の中ごろ」と題された日記群は、昭和39(1964)年11月18日から始まる。
奇しくも、小生9歳の誕生日である。
著者はこのころ、千里山にある両親の家にいたと書いている。
その千里山に、当時小生も住んでいたのである。
もっと言えば、小生が通った小学校に、筒井少年もかつて通っていたのである。

また、筒井の作品を、ラジオで酒井哲が熱演、という記述が出てくる。
酒井は俳優でナレーター。
うちの家族と同じ団地(小学校に隣接している)に住んでいた。
息子の充(みつる)とは同級の友だちだったので、親父さんとも何度も顔を合わせている。
知った土地、知った名前が出てきて懐かしい。
もっぺん書くけど、レトロスペクティヴというやつである。

筒井家は、男ばかりの四人兄弟。
上から順に、康隆、正隆、俊隆、之隆という名で、これを間違わずに入力できたのは「や・ま・と・ゆ」と語呂合わせをしておいたからである(笑)
四男の之隆氏とも、少ないながら出会いがあった。
彼は読売新聞大阪本社の広告局に勤務していた時期があって、そこから仕事をもらっていた印刷会社の担当営業マンが、小生だった。

それはともかく。
本人は、
「いやなことや腹立ちや自己嫌悪や何やかやを吐き出すため、しかたなく(後略)」
と書いているのだが、作家が、人に読ませるために書く日記だから、面白くないわけがない。
偏固ジャーナルとはわけが違う。
最後に、小生が最も面白く読ませてもらった1976年のある日の記述を引いて終わる。

11月27日(土)
黒田先生に健康診断してもらった結果は、中性脂肪が287とのこと。普通は160ぐらいでなきゃいかんらしい。コーヒーと酒はやめろと言われてしまった。飯を食い過ぎてもいかん。血圧も高いからタバコをやめろ。ではいったい、何を楽しみに生きたらいいのだと、家へ帰ってからわめき散らしていると、妻が言った。「わたしがいるじゃないの」
 


2017/08/28

オートチャージしてもうたん?-->


スルッとKANSAIが発行していたプリペイドカードが販売を終了した。
ICカードタイプの電子マネー「PiTaPa(ピタパ)」が普及したためだ。
私鉄系のPiTaPaは、JR(これも私鉄だけど)系の「ICOCA(イコカ)」との連携をはたし、どちらの改札をも通ることができるようになった。

PiTaPaが完全なポストペイ式(後日まとめてクレジットカードで決済される)であるのに対して、ICOCAはプリペイドと同様の支払い方式である。
したがって、ICOCAのカードには、あらかじめ幾ばくかの金額がチャージされていないといけない。
そのチャージを何度もできるところが、従来のプリペイドカードとは違う。



隠れているのは、いわゆる提携カード



わが母が、プリペイドカードの愛用者であった。
新しいものぎらい?の彼女も、やっとPiTaPaのユーザとなる日が来たのである。
煩雑な申し込み手続きは息子の役目であるが、俺にとってもやーこしい。
オートチャージの仕組みが理解できないまま、申し込んでしまった。

PiTaPaのICカードには、最初(データとしての)お金が入っていない。
初めて改札口を通るとき、自動的に2,000円分のデータを書き込んでくるのである。
それがオートチャージという仕組みで、JR線を利用するための「担保」を先取りするわけである。
母はこれが大層不満で「私はJRなんか、めったに乗らへんのに」というわけである。
これには俺も責任を感じる。
オートチャージ不要、で申し込みをしなければならなかったのだ。

最寄り駅のPiTaPaの窓口まで行って、オートチャージの設定を解除してもらった。
それでも、いったん入金した2,000円が返ってくるわけではなく、PiTaPaカードの期限が切れたら返ってくるということだった。
その期限が2025年、遠い未来である。

息子、一計を案じる。
JRの駅で切符を買って(PiTaPaカードにチャージされているお金で買うことができる)払い戻しを受ければいいのだ!
うまいこといくかいな、駅員に不審がられへんかな、払戻手数料とられへんかな、といろいろ心配する。

ネットで調べたら、最近の券売機には払い戻し機能がついているようだ。
大阪経由で神戸に出かける日、西口の券売機でチャレンジした。
問題がいろいろあった。
・2,000円ちょうどの行き先がない
・1,000円ちょうどの行き先がない(2枚買ってキャンセルする場合)
970円を2枚買って我慢するか、と考えていたところ「500円」のボタンを見つけた。
4枚買って、払い戻し用のスロットに入れたが、機械に拒否されてしまった。
どうやら、ICカードで買った切符は、機械による払い戻しに対応していないようだった。
やむを得ず、係員を呼び出して、改札口で払い戻しをしてもらった。
1枚ずつ端末に挿入して、その度に500円玉1枚が戻ってくる、というのを4回繰り返さなければならず、恐縮する。
怖い顔をした女性の駅員だったのだ。

きっかり2,000円奪還したが、母にはまだ返していない。

 

2017/08/27

ケニヤの紅茶に恋して-->


母がケニヤを旅したときの土産だから、十年以上前のことである。
その土産というのは、紅茶だった。
袋をあけてみると、いかにも安っぽい「粉茶」だったので、
「こんなもん、いらんわ」
と言って、突っ返してしまったのだ。




























とにかく色濃く出せればいい、というティバッグの中身のような茶だった。
見かけは、である。
後日、実家の母がいれてくれたその紅茶の味に、打ちのめされた。
柑橘を彷彿させる香りと味を備えているが、それはアールグレイのように香り付けをされたものではなく、茶だけの味である。
紅茶を専門に飲んできた何十年間で、初めて経験する味だった。
今まで飲んだことのあるどの紅茶よりも、おいしいのである。

母に平身低頭して、残りの茶を譲ってもらい、飲み続けた。
ストレイトの抽出液は濃度が高く、ミルクティにしても充分楽しめる。
そして、風味が爽やかである。
一度飲んだらやめられない、麻薬のような……
ひょっとして、ケニヤの茶葉は麻薬の成分を含むのか?

茶の木は、寒暖差が大きくて比較的湿潤な高地を好む。
条件が合えば、インドでもスリランカ(セイロン)でも、ケニヤでもいい紅茶ができるという理屈である。
しかし、ケニヤの紅茶の味わいは、他の土地のものとは、まったく異なる。

大きな問題は、もらった袋の紅茶を全部飲んでしまったら、補充がきかない、ということだった。
ケニヤに買いに行く以外、方法はないのか?
というわけで、国内でケニヤ紅茶を扱っている業者を探す旅が始まったのである。

大阪・堂島に店のあった「ティハウス・ムジカ」が袋売りしていた紅茶の中に「アフリカン・ジョイ」というものがあった。
中身はケニヤだということなので買って飲んでみた。
インド産といっても通る味だった。
つまり、国内に出回っている一般的な紅茶と変わらない。

それ以来、紅茶の袋の原産国名表示を見て回る日々が続いた。
二年ぐらい前、成城石井ストアで「fine KENYAN HIGH GROWN LOOSE TEA」を見つけた。
「Williamson Tea」というブランドで売られている輸入品である。
これが、かなり母の土産の味に近かった。
今月、阪急・岡本駅近くの雑貨屋で、偶然Williamson Teaを見つけた。
今回買ったのは「HIGH GROWN KENYAN LOOSE TEA」と少し名前が異なる。
味は、自分が求めているケニヤのものとは違った。

今年になって、ドンピシャの味を提供してくれたのが「ひし和」である。
ティバッグとCTC(葉を粒状に丸めたもの)でケニヤ紅茶を販売している。
ティバッグの方を飲んだら、求めているケニヤの味だった。
やっとたどり着いた。

ところが。
ティバッグを全部使い果たし、CTCを買って飲んだら、普通の紅茶だった。
あわててティバッグの方を買い直して飲んだら、こちらも普通の紅茶だった。
そんな阿呆な……
プルクワ?

ケニヤ紅茶を探す旅は、また振り出しに戻った。


 

2017/08/22

さらば墓を守るトカゲ-->


電気の供給元を変更した。
ずっと地元のK電力から買っていた。
8月から値下げしてくれることになっていた。
しかし。
値下げの根拠は、原子力発電所の再稼働にある。
もし、K電力以外の選択肢があるのであれば、脱原発に賛成の立場の者としては、そちらを選びたい。
それが見つかった。
ガスを売る会社が電気も売っているが、そこではない。
太陽光で発電する電力会社があったのである。

それはともかく、お盆の墓参りの話の続きである。
墓石の花立てに水を満たして洗っていたところ、底からオーバーフロウしてくる物体があった。
小さいヤモリの死体であった。
誤って花立ての筒の底に落ちてしまったのだろう。
彼(or彼女)の能力をもってしても、つるつるの筒(樹脂製)の中を登ることはできなかったのだ。

ここは墓所であるし、生き物の亡骸を粗末に扱うことはできない。
そう思い、墓所の空地に立っている木の根元に小さな穴を掘って、埋葬したのである。

その翌日。
自宅アパートの窓に張りついているヤモリを見つけた。
昨日埋葬したやつとそっくりだ。
ガラスの向こう側だが、網戸の内側である。
ということは家の中だ。
どっから入ってきたのか。
ともあれ、やんわりとお願いして、外に出ていただく。

ヤモリへの対応がソフトなのには理由がある。
ヤモリは家守と書くように、守り神的存在である。
生物学上は爬虫類、トカゲの一種なので、気色悪い!と思う人も多い。
しかし調べてみると、まったく無害で、害虫を捕食してくれる「いい奴」なのである。

アパートの建物の外側には、ヤモリが住めそうな「隙き間」が随所にあって、そこで繁殖をしているらしい。
最初に出会ったときこそびっくりしたものの、しょっちゅう見るようになって慣れ、親近感さえおぼえるようになった。

という訳で、墓地で死んでいたヤモリよ、君も安らかに、と願う。

 

2017/08/16

お盆の墓参り-->


お盆とはどういう意味か。
「盆」という字自体には、この仏教儀式の意味は見出せない。
なぜならば、梵語の音に漢字をあてているだけだからだ。
要するに、亡くなった人たちを、お寺に集まって偲ぶ会のことと思えばよろしかろう。

菩提寺のKでは、ご多分にもれず「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をこの時期に開催し、檀家信徒衆を一堂に集めている。
わが家は、この混雑を嫌い、わざと法要の当日を外して墓参りに行くのを最近の常としている。

母は、体がえらいと言って、ここ二年は来ていない。
さもありなん、盛夏の墓地ときたら、灼熱地獄(おっと失礼)である。
墓参りに来て倒れられたりしたら、大変だ。

という訳で、単独で墓参する。
あらかじめ、出発地近くで供花を買い求め、地下鉄に乗り、大阪市内某所のK寺まで行く。
時刻は午後三時ごろ、太陽が真上をやや通り過ぎるのを見計らってのことである。

武田家の墓は、隣り同士の分家のものを合わせて八基あるので、掃除も大変だし、供花の数量も尋常ではない。
体力も経済も消耗する道理である。























武田家の出の叔母が、六月に突然亡くなった。
独居しており、訪問してきたヘルパーによって発見された。
多分心臓発作を起こしたのだろうという医師の見立てだった。
叔母の兄である私の父も、独居中おそらく急性心不全という亡くなり方だったので、血は争えない。
叔母にとっての初盆にあたるが、彼女はカソリック信者になったため、お盆らしい儀式はなされない。

墓地の隣もまた、お寺である。
向かいも、そのまた隣もお寺である。
この辺は寺町なので当然だ。
隣の寺の方が羽振りがよくて、三階建ての宿坊を新築中なのである。
その三階に取り付けるはずの樋受け金具が、屋根の端から落ちて、こちらの墓地の塀の上に突き刺さっていた。

墓参りを終えて帰る途中、引き抜いておいた樋受けを、隣で作業中の棟梁に届けた。
「隣の寺の檀家のもんですが、こちらの墓地にお宅の樋受けが落ちてましたで」
「はあ、それはえらいすんません」
「人に当たらんでよかったですな」
嫌味を言って去る私。
仏の心は、いずこ。

 

2017/07/24

パワーのないフォント-->


『文字を作る仕事』を読んだ。
著者は鳥海修(とりのうみ・おさむ)氏。
フォントデザイナーにしてフォントヴェンダー・字游工房の経営者である。
「ヒラギノ」には大いに世話になっているので、あまりけなしたくはないのだけれど……

『文字を作る仕事』(晶文社刊)は、第65回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
この程度の文章で賞がもらえるんやったら俺かて、と勇気が出てくるんである。
ごめん。






















本文フォントは文章を構成する部品であって、空気か水のような存在でありたい、という著者の思いは理解できる。
その思いを反映させたのが、字游工房オリジナルの書体「游明朝体」で、このフォントを採用しているのが『本の雑誌』である。

『本の雑誌』が長い間活版印刷にこだわっていたのは、よく知られた話である。
2003年3月号からオフセット印刷に移行した。
活字から写真植字になったわけである。
長年のファンからは総スカンをくった。
曰く「文字に力がなくなった」「(版面が)白っぽくなった」「薄くて読みづらい」……

いやいや写植になって格段に読みやすくなったやんか、とこちらは思っていた。
しかし、写植も廃れてDTPに移行するのである。
本の雑誌社編集部においても、InDesignに(まさかQuarkXPressということはあるまい?)字游工房のデジタルフォントを搭載して、レイアウト・組版をしていることと想像する。

「游明朝体」に関して思うこと。
それがまさに「文字に力がなくなった」「薄くて読みづらい」ということなのである。
メリハリがなく、視認性に劣ると思う。
自然に眼に入ってくる力がフォント側にないので、読む側に力む必要が生じるのである。

 

2017/06/30

熱烈歓迎復職ジョン・リーバス-->


終わったと思っていた探偵小説のシリーズが復活するほどうれしいことがありますかっ。
シャーロック・ホームズの帰還、しかり。
イアン・ランキンのジョン・リーバスの復職、しかり。

リーバスはスコットランド警察のどこだったかの犯罪捜査部に、かつて所属していた警部である。
どこだったか……のところが曖昧なのは、リーバスがあちこち異動していて、ここに羅列するのは不可能だからだ。
そもそもシリーズの全作が翻訳されていないのだから、その間にリーバスがどこにいたか、わかったものではない。

『他人の墓の中に立ち』(ハヤカワのポケミス)を最後に、作者のランキンはリーバスを退職させて、物語のシリーズも終わった。
終わったはずだった。






ランキンはその後、同じスコットランド警察を舞台にした新しいシリーズを書き出した。
そのはずだった。
新シリーズの主人公はマルコム・フォックスという名の警部補で、内部監察室に勤務しているという設定だった。
こちら側の作品は、別の訳者によって別の出版社から出されたのである。

いかんせん、マルコム・フォックスは物語上の嫌われ者(警察の警察)というキャラクターもあって、ジョン・リーバスの人間的魅力を上回れなかった。
そこで作者としては、幸いにして舞台が同じスコットランド警察の中だったので、マルコム・フォックスのシリーズにリーバスを登場させて、料理にスパイスを効かせようとした。
というのは、わが想像だけれども。

結果的にはリーバスが主人公の新作『寝た犬を起こすな』がハヤカワのポケミスで出て、マルコム・フォックスのシリーズの方が吸収されたのである。
横道にそれるが『寝た犬を…』というタイトルはあかん、と思うのである。
原題は『Saints Of The Shadow Bible』。
聖人たちというのはリーバスを含む、昔警察官だった人たちのことで、影の聖書はシャドウ・キャビネット(影の内閣)と同様の、表には出ない書物のことである。
すなわち、個人的には『影の聖人たち』でええやないか、と思っているのである。

マルコム・フォックスの人物描写について。
訳者が変われば、これほど変わるのか、というほど別人の感がある。
勤務先も「監察室」だったのがハヤカワ版では「苦情課」になっている。
元のワードは同じ「complaints」のはずなのだが……

それはともかく。
ご都合主義であれ、こちらとしては大歓迎なのだが、リーバスは警察に復職。
マルコム・フォックスと対峙する。
リーバスがボケて、フォックスが突っ込む。
こういう図式であれば、フォックスが生きる。
そう作者は気づいたのではないだろうか。
 

2017/06/16

カンテ風のチャイを自作した-->


紅茶党になって40年ぐらいになる。
そのきっかけとなった喫茶店が「カンテ・グランデ」である。
カンテ・グランデは大阪・中津で1972年にオープンした。
初めて行ったのは、その翌年ぐらいのことだと記憶している。
高校の同級生のお姉さんが紹介してくれた。

カンテは、一軒家の庭に建てられた離れといった風情だった。
風変わりな建物で、四つ角に面しているのだが、道路に面した二つの壁には、それらしい窓がなかった。
角にあたる部分にスウィングドアの入口があり、中に入ると山小屋の雰囲気である。
壁の一部は石積みになっていて、むき出しの梁が頭上を覆っている。
植物の生い茂る中庭に向いている側は一面のガラス戸だった。
ロフト風の中二階席があり、そこだけに南から光の入る窓がある。
薄暗い店内はもちろん、喫茶店向けにプランニングされたことに違いない。

オウナーの井上温さん(ヤスシと読むらしいが、オンさんと呼んでいた)と話したことがある。
こういう建物で暮らしてみたいと言ったら、維持費が大変なんですよと言われた。

最初に何を注文したか、まったく憶えていない。
紅茶の専門店なので、コーヒーでなかったことは確かだ。
しかし、レモンティなどというものは、この店には存在しない。
小さなピッチャに入ったフレッシュが添えられたミルクティも、ない。
ロイヤルミルクティもテ・オレという言葉も通じない。
この店ではミルクティのことはチャイと呼ぶ。

ミルクが入っていなくてもチャイ(=茶の意)と呼ぶが、それはまあいい。
ストレイトの紅茶をオーダーするときには、銘柄を指定しなければ始まらない。
有名どころでいうとダージリン、アッサム、の類いである。
多くが、産地の名前である。
キーマン(中国)、ディンブラ(スリランカ=セイロン)、ニルギリ(インド)など。

珍しさゆえに、片っ端から試してみた。
もちろん何度も足を運んで、である。
そのうちに、ディンブラ一辺倒になった。
コクがあって色濃く、パワフルなお茶である。
カンテではポットでサーヴィスされる。
一杯目をストレイトで味わって、二杯目はミルクと砂糖で楽しむのが習慣になった。

その後、就職や転居があって行動範囲も変わり、カンテから足が遠のいた。
その間にカンテにバイトに入って、後に社員となったのが神原博之(かんばら・ひろゆき)氏である。
ウルフルズのトータス松本くんが神原氏によってバイトに採用されたのは、そのまた後の話。
だから、松本くんの作ったチャイを、僕は飲んでいない。

次にカンテを訪れたとき、山小屋風(内側の感じ)の建物はなくなっていた。
井上さんの地所には高層のマンションが新たに建てられた。
かつてのカンテがあったところはサンクン・ガーデンになり、その庭の横にあたる、マンションの地下一階部分にカンテの新しい店が作られたのである。
地階だけれども、陽光が直接降り注ぐ、明るい店になった。

新しいカンテでマネージャに昇進していたのが、前述の神原氏である。
一時期親しくしていただき、事務所にまで入り込んで話をしていたことがある。
なんといっても、神原氏よりカンテとのつき合いは古いので、話すことが沢山あった。



バーコードをそんな所に貼るなっちゅうに


神原氏の『チャイの旅』には、ロシアンブルー猫のことが書かれている。
その猫が「じゃこ」という名だったことを初めて知ったのだが、古い方のカンテに独りで行ってディンブラを飲んでいるときに、膝に上がってきたのが、じゃこだった。

やっと『チャイの旅』(ギャンビット刊)にたどり着いた。
紅茶と、カンテのことが書いてある。
解説(口述)は、トータス松本くん。
カンテにいるときには自らを「チャノムノンスキー」というキャラクターに仕立てて、店のチラシなどに登場していた。

この本の神原氏のレシピに添って、チャイを作った。
これが正式だとすれば、正式レシピでチャイを作ったのは、生まれて初めてである。
上手に、おいしくできた。
しかし、ミルクを多く消費するし、鍋が甚だしく汚れる。
ネパールやスリランカの貧しい地方では、チャイはあまり作られないそうだ。
それほどミルクは高嶺の花なのである。
 

2017/06/15

『本の雑誌』2017年7月号-->


偏固ジャーナル、「三角窓口」に掲載さる。
ここのところスランプ?で打率急落。
今年になって、やっと二度目である。






以前掲載されたものを母に読んでもらったことがある。
気に入られず、それからは読ませていなかった。
今回は彼女が読んでいた本に関連する内容だった。

彼女の感想は。
「なんか偉そうなこと書いて……
 それになんやの『60歳プラス1』て」

それは、投稿者の年齢を表記している部分である。
返して俺は。
「ギャビン・ライアルゆう人の書いた『深夜プラス1』てゆう小説があってな、
 ほんで……
 ……ちょっとあんた、聴いてんのっ」

普通、母親をあんた呼ばわりしないと思うが、わが家では親愛の情のこもった呼び方である。

まあそれはともかく。
『蜜蜂と遠雷』を貸したる、と再三すすめられているのだが、その都度辞退している。
そんなもん読むヒマがあったら、一冊でもよけいに翻訳ミステリを読みたいんぢゃ。


 

2017/06/09

後妻業から疫病神へ-->



カヴァ絵は妻の黒川雅子作



ふだんあまり国内作品を読まないのだが、以前からマークしていた作品がある。
・黒川博行『後妻業』
・横山秀夫『64(ロクヨン)』
の二つである。
翻訳もの一辺倒になる前には、黒川博行も横山秀夫も何作かを読んでいる。

入院するときに持っていく本として『64』の購入を検討したことがあったが、買わずじまいだった。
自宅の棚から何冊か選んでいったのだが、実際は本が読めるような身体状況ではなかった。

それからしばらく経って。
『後妻業』の文庫が書店の平台にぎょうさん積まれているのを見かけた。
大竹しのぶ主演で映画化されたのである(『後妻業の女』2016年)。
その文庫をさっそく買うでもなく、後日図書館で、単行本の方を借りた。
これがなかなか、よかったのである。

『後妻業の女』の後になるが『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(2017年)は、黒川の直木賞受賞作『破門』が原作である。
こうなると『破門』も読みたくなってくるではないか。
と思いつつも、後回しにする。
建設コンサルタントの二宮と極道の桑原の凸凹コンビの活躍するシリーズの、『破門』は第五作なのである。
ならばまず第一作を読め、というのがわがポリシーである。

ちゅうわけで『疫病神』を読む。
1997年に新潮社刊、3年後に新潮文庫化。
それが今は角川文庫に移籍しているのを書店で見つけて、買った。
20年前の作品だが、色あせておらず、かなり面白い。
ノワールというより、小林信彦『唐獅子株式会社』を連想させる。
黒川は『破門』で、やっとこさと言っていいぐらい待って直木賞を受賞したのだが、『疫病神』で受賞できていてもよかったのではないか。

『疫病神』発表から十数年経ったころ……
直木賞の選考委員会は作家で構成されているので、黒川のシンパ委員が「そろそろ黒ちゃんにやったらどうですか」みたいなことを言うたんとちゃうかいな、とゲスの勘ぐりをするのである。

 

2017/05/29

【告解】のない辞書-->



原稿を書くときに必要になって「告解」を辞書で引いた。
だいたいの意味は知っているつもりなので、確認である。
愛用しているのは『岩波国語辞典』の第六版(2000年発行)である。
しかも、今では珍しい横組版である。
フォントを大にして打ちたいが、横組の方が目が疲れず、読みやすい!
欧文も、アラビア数字も、横書きのまま読めるのがいい。























それはともかく。
第六版横組に【告解】の見出しがなかったんである。
【国会】【国界】【骨灰】はあるが、【告解】はない。
ちなみに、同じ岩波書店の『広辞苑』(第五版)には採択されている。
『岩波国語辞典』とのつき合いは小学校の高学年時に始まったので、版をまたいで、かれこれ半世紀になるが、従来から【告解】はなかったのだろうか。

これだけのことなのだが、岩波国語辞典に対する、わが忠誠心は揺らいだ。
この期におよんで別の国語辞典に乗り換えよか、というわけである。
岩波がだめなら、三省堂がある!
というわけで、書店に出かけて『三省堂国語辞典』をチェックした。
すると【告解】はちゃんと載っていたのである。

しかしながら、結局購入するに至らなかったのは、ページデザインが気に入らなかったからで、特に見出し語が太いゴシック体で組んであるのは、いただけない。
個人的な感覚だが、辞書は頻繁に使うものであるだけに、見た目が大事なんである。

 

2017/05/13

ウィンスレットが大好き-->


右の耳を追いかけるように、左側の調子も悪くなってきた。
寄る年波。

それはともかく。
ケイト・ウィンスレットのファンである。
ウィンスレットとは、かの有名な『タイタニック』(1997年、 J・キャメロン作品)の主演女優である。
(主演、と打ったが)助演女優賞のカテゴリーでアカデミー賞にノミネートされたことよりも、ぽっちゃりとした体型のことが話題となった。
ウィンスレットは1975年生まれということだから、2017年には42歳である。
現在もグラマラス・以上の体型を維持しているが、顔周りはシャープだ。
役柄によって体重を調整しているようである。

『タイタニック』以後如何にして彼女のファンになりしかということに関して、はっきりした記憶はない。
それ以外に観た出演作は、製作年順に、
●いつか晴れた日に(1995)……たぶん部分的にしか観ていない
 原題/原作:Sense And Sensibility(J・オースティン『分別と多感』)
●エターナル・サンシャイン(2004)
 ジム・キャリーと共演
●ホリデイ(2006)
 キャメロン・ディアス、ジャック・ブラック、ジュード・ロウらと競演
●レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで(2008)
 レオナルド・ディカプリオと再共演
●コンテイジョン(2011)

DVDのコレクション数二千数百を誇る友人のJ君から、ケイト・ウィンスレット出演作を5本借りた。
きっかけは彼がFacebookに『愛をよむひと』のDVDのことを書き込んだことだ。
ウィンスレットがアカデミー賞の主演女優賞を獲得した記念すべき作品を、まだ観ていなかったので「貸してくれ」とメッセージを送った。
彼の手元にはウィンスレットの出演作が8本あって、すでに観たものとダブらなかったのが5本あったということだ。





















その5本は製作年順に、
●クイルズ(2000)
 原題のQuillsとは、羽ペンのこと。
 本作の主人公であるサド侯爵が内なる思いを吐露するために欠かせない道具である。
 ウィンスレットはサドの世話をする小間使いマドレイヌを演じている。
●アイリス(2001)
 原題のIrisは、実在した作家アイリス・マードックのこと。
 ウィンスレットは若き日のアイリスを演じている。
●愛をよむひと(2008)
 ベルンハルト・シュリンクの原作Der Vorleser(邦訳は新潮社刊『朗読者』)を読んでいないが、忠実に映画化されたということである。
 しかしながら、その話に説得力がない。
 結末に関しても、はなはだ不満である。
 主演女優におおいに肩入れしている当方としては「ウィンスレットがかわいそう!」という気持ちでしか観られなかったというわけである。
●おとなのけんか(2011)
 原題のCarnageは「虐殺」。
 二組の夫婦が言葉の機関銃で撃ち合う話だ。
 元は舞台劇で、本作のカメラもあまり移動せず、撮影場所は二か所である。
 一つは、彼らの息子たちが喧嘩をする公園(カメラは一点から不動のまま)。
 二つ目は片方の親のアパートで、カメラはあちらこちらを動き回るが、最大でも扉の外の廊下までしか出て行かない。
 本編は一時間と少しであっさり終了してしまう。
 あえて映画化する必要があったのか、と思わせる作品。
●とらわれて夏(2013)
 原題/原作のLabor Day(ジョイス・メイナード著、邦訳『とらわれて夏』)は、米国では九月の第一日曜日にあたるので、邦題に「夏」を入れたのだろう。
 結末がよかった。

借りた5本の中で最もよかったのは『クイルズ』。
他は、たいしてよくない。
『愛をよむひと』の原作が世界的ベストセラーになったなんて、信じられへんね。
ただし、ウィンスレットの演技は、どの作品においても文句のつけようがない。
プロフェッショナルな女優である。
あえていうならば、メリル・ストリープの跡を襲うのは、この人だろう。

『愛をよむひと』に関するエピソード。
ニコール・キッドマン主演で撮影が始まったが、彼女は妊娠して降板。
当初キャスティングされていたウィンスレットに再び役がまわってきたという。
キッドマンのままの方がよかったのではないか、と思う。
 

2017/04/18

文庫解説目録でネタバレ-->


ネット上の評判や新聞広告に惹かれて、カスをつかんでしまうことが多くなった。
読む本のことである。
自分が読みたいのは、翻訳ミステリで本格でないもの、という現在では非常に狭くなってしまっているゾーンである。

翻訳ものは値段が高い。
それは、翻訳権料がかさむからで、国内の作家作品より経費がかかるのは当然である。
高ければ売れない、売れない本は作りたくない、というのが出版社の心情である。

それでも、海外現地で好評を得た作品が、それなら日本でも売れるだろうという目論見で翻訳出版されることは、ある。
出版社は販売促進の一策として、内容見本やゲラや刷り上がりを書評家や文芸評論家と呼ばれる人たちに配って、好意的な評を書いてもらおうとする。
書評家や評論家は好意的な評を書くのだろうが、そこには忖度がはたらいている場合もあるに違いない。

いきなり結論に飛ぶと、書評などあてにならない、ということである。
SFの大家が絶賛した作品を、試し読みもせず上下巻いっぺんに買って読んだけれど、まったくのカスだった。
ドイツでは必ずベストセラーになるという作家のミステリも、半分読んだところでキレて、読むのをやめてしまった。
これらはいずれも個人的な感想なので、別の人が読めば、違った感想を持つかもしれない。

要は、書店に行って自分で吟味せよ、ということである。
帯の惹句を読んでみる、目次があればそれも読んでみる、(ネタバレに注意して)巻末の解説を読んでみる、冒頭を読んでみる。
それで面白そうなら買って読む。

前置きが長くなってしまった。
カスをつかんでしまわないために、評価が定まった作家・作品を読むという手がある。
すでに読んだことのある作品、または好きな作家の作品で未読のもの。
ディック・フランシス『興奮』は何度も読んでいる。
だから筋は知っているが、何度読んでも面白い。

今回は、パトリシア・コーンウェルの『検屍官』シリーズの中から『変死体』を選んだ。
このシリーズは現在までにすでに20以上の作品が発表されているが、18作目以降を読んでいなかった。
これを選ぶにあたっては読書計画室のお世話になった。
我が家の読書計画室、すなわちセッチンの小さな棚には数社分の文庫解説目録が備え付けてあり、用を足す間に閲覧できるようになっている。




















5年前の本なので、図書館で借りた。
上巻と下巻が別べつの館に収蔵されているので、取り寄せなければならない。
俺なら上下巻いっぺんに借りたいけどなあ。
上巻の方が傷みが激しいのは、途中で諦めて、下巻を読まない人がいるからだろう。
下巻には、なんと古本屋の値札をはがした跡が残っていた。

こういう本には登場人物紹介のページがついている。
そこを読んで、いきなり犯人が判ってしまった。
というのも、その名前が、文庫解説目録の『検屍官』シリーズの次作の紹介の中に書かれていたからである。
面白味半減、ではないか。
いや全減かも知れぬ。

出版社は、こういう些細なことにも配慮をしてほしいね。

 

2017/04/15

吉田秋生『海街diary』-->


少女コミックスの『海街diary』の新巻が出たことを、Twitter上で知った。
そういう小ネタをつぶやいてくれる御仁がいてくれて、ありがたい。
下記は、以前『本の雑誌』に投稿したものの採用されなかった拙稿である。

■■■■■■■■■■■■■■■■
△偏固ジャーナル忘月。
『海街diary』にハマってしまった。
オバカン男が少女コミックスに、である。
といっても昔、吉田秋生の『BANANA FISH』を一書懸命読んでいたので、まあ当然だ。

きっかけは、ある出版営業マンのウェブログだが、そこに紹介されていた『ラヴァーズ・キス』をまず図書館で借りて読んだ。
ここまでは『BANANA…』の流れをくんでいるといってもいいのだが、そこから『海街…』へは、ジョウントするほどの違いがあった。

『海街…』は第一巻の電書版をAmazonから入手した。
無料だった。
漫画を読むのに電子書籍のスタイルは都合がいい。
iPad miniをタテにして単ページ表示にし、片手だけでページ送りができる。

売り手の思うツボにはまって、続巻を買うことになった。
Kindle版だけでなくDMMブックス版(読むアプリが異なる)も買って、七巻揃えた。

途中で『海街…』がすでに映画化されたことを知り、つまり七巻完結の物語をベースにして映画ができたのだと思い込んだ(二女役の長澤まさみと四女の広瀬すずはぴったりという感じだが、三女は元なでしこの荒川、長女は京野ことみで、って勝手にイメージしてます)。

七巻を読んで、物語が完結しないことに気づいた。
コミック誌『月刊フラワーズ』に不定期だが連載続行中だったのである。
ええっまたぶら下がるん?

(武田伴兵衛・崖の下のオーバー還暦・豊中市)
■■■■■■■■■■■■■■■■

つまり、第八巻が出たわけで、さっそくAmazonまで買いに行った。
紙の本ではなくて、Kindle版をダウンロードしようと思ったのだが、その方は4月28日まで配信されないということだった。
今日までぶら下がって待ったのだから、あともうちょっと頑張るべ。

 

2017/04/14

増量作戦-->


世に、痩せたいと思う人びとは余りに多く、ダイエットやのトクホ(特定保健用食品)やの、喧(かまびす)しい限り。
そもそもは、お前ら食い過ぎやねん!
たとえば、わが愚弟などは食べることしか楽しみがない、などという。
まるで、おのれに施餓鬼をしているかのようである。

かくいう小生は、食べても太らない体質である。
たぶん腸が弱いのだろう、度を超して食べるとすぐにお腹をこわす。
度を超す、といってもその量は大したことないのに、である。
まるでリミッタがついているかのように腸が反応して、肥えるどころか、ますます体重を減らす結果をまねいてしまう。

最近ますます体重が減ってきた。
標準体重(身長マイナス110)を10キログラム以上も下回って、もはや「危険水域」である。
少しは増やさねば、というわけで増量作戦である。

高タンパク・高カロリーの食品を摂ったらええんとちゃうの?
電脳上で調べてみると、あるサイトには高糖質・高脂質のものを食え、とあった。
そこに、具体的に例示された食品は……
・カレーライス(カツカレーは、なおよし)
・カツ丼
・ラーメン
・菓子パン
好きなものばかりであるが、そういえば、最近あまり食べていない。

というわけで、食料品買い出し。
・米(とにかくいっちゃん安いやつでOK)
・肉(アンガス・ビーフが安かったので買う。スコットランド産!)
・トンカツ(既製品)
・鶏卵
・袋ラーメン(インスタントのもの)
・菓子パン類(あんパン、アップルパイ、ラザニアを入れてフライにしたやつ)
・野菜(カレー用の玉ねぎ、人参、じゃがいも、缶詰のトマト)
などなど。

帰宅してすぐ、お茶休憩。
紅茶をいれて、あんパンとラザニアパンを食べる。
この時点でもう胸焼けが(笑)

休憩明けからカレー作り開始。
・玉ねぎとアンガス肉を小さく刻んで、順番に油炒め
・水とベイリーフを加えて煮る
・ブイヨンキューブ投入
・人参を刻んで投入
・じゃがいもの皮をむいて投入(小さかったので、一個まるごと)
・トマト投入
本日の作業はここまで。
一晩寝かせる。

夕食は即席のソースカツ丼。
・二カップ分洗米して土鍋に投入
・水を加える(ビーカで計量!)
・30分おいて着火(ガステーブルコンロに「炊飯」モードがついている)
・炊きあがり後、15分蒸らし〜撹拌

安物の米でも、土鍋で炊くとおいしい!
・丼に飯を盛り、トンカツをのせる。
・フライパンで、溶き卵を焼く(冷蔵庫にあった麺つゆで味付け)
・丼にぶちまけて、ソースを垂らして完成。

お腹、こわれそう。

 

2017/04/13

「ほぼ新品」?-->


どこが「ほぼ新品」やねんっていう話。
坪内稔典『季語集』(岩波新書)を、Amazonで購入した。
中古品ながら、コンディションが「ほぼ新品」というふれこみだったので。
注文後、二三日して郵便受けに投函された。

茶封筒をあけると、一見して汚れの目立つ古本が現われた。
せめてプチプチで梱包すればいいものを、透明のビニル袋に入れてあった。
そのせいで、中で本が動いて、カバーの上縁が折れてしまっている。
本を開くと、角が折れているページもあるし。
おやおや、マーカーの線引きまでしてあるやん。

というわけで、読む気も失せてしまった。
ひと言ぐらいクレームをつけてやろう、とAmazonの評価サイトに書き込んだら、拒否された。
どうやら、ネガティブメッセージは受け付けないことにしているらしいぞ。

しょうがないから、Amazonに本を出品した業者に直接メッセージを送った。
商品に不都合があったから返品したいと送ったが、まったくレスポンスなし。
納品は速かったけど、クレーム対応はせえへんという姿勢やね、たぶん。

こういう場合、Amazonは「返品・返金保証」というシステムで対応してくれる。
最後の手段、というやつだ。
こやつを使うことにした。
クレームの内容は妥当であるか、が審査される。

審査はあっさり通って、メールで連絡が来た。
返金してくれるという。
納品された商品は、ユーザ側で処分してくれ、と来た。
なんともドライなやり方である。

処分してくれ、と言われても困るよ。
自分の性格上、こんな本でも捨てるのはつらい。
本当は送り返して、実物を見て反省してもらいたいのだけれど。

わが買い物に、「難あり」。

 

2017/04/06

ペナンブラ氏の24時間書店-->


四月になったばかりだというのに、もう2017年のベストと言える作品を読んでしまった。
『ペナンブラ氏の24時間書店』(ロビン・スローン著、東京創元社刊)である。

たぶんツイッターだったと思うのだけれど、話題にのぼっていたのを見て、読んでみる気になった。
最寄りの図書館のウェブサイトで検索すると、意外にも予約している人の数が少なかった。
しめしめ、まだあまり知られていないのか、と思って即予約ボタンをクリックした。

図書館からメイルで知らせが来て、借り出しに行った。
てっきり新刊と思っていたのに、手垢のついた本だった。
もう少しよく調べていればわかったことだが、SNSで話題になっていたのは、文庫化されたものが発売されたというニュースで、自分が手にしたのは、その元の単行本だったというわけだ。
予約の列が短かったのは当然だ。























単行本は2014年4月発行。
3年前には、その存在にまったく気づいていなかった。
こんなにおもろい本を、当時なぜスルーしてしまったのか……
それは、まあいい。
いま読めたんやから。

1980年代の後半に、印刷の仕事に手を染めていた人間には、懐かしい名前が登場する。
本文では「アルドゥス・マヌティウス」と表記されているが、当時われわれは「アルダス」として、その名を知っていた。

アルダスはコンピュータ用のソフトウェアアプリケーションを作っていた企業で、「PageMaker」というアプリケーションは、DTPソフトのさきがけである。
DTP(DeskTop Publication)という言葉自体、アルダスが作ったものである。
アルダス社の名前が、15世紀の出版印刷人であったアルドゥス・マヌティウスに由来することは、言うまでもない。

何百年も前に亡くなったアルドゥスやその協力者が、もの言わぬ「主役格」として、お話に登場してくるのだから、興味がわかないわけがない。
瞬間的ではあるが、村上春樹、kobo、という名前まで登場する。
本が好きな人、印刷に興味がある人、コンピュータに関わっている人が読んだら面白いと思えるだろう。


 

2017/03/31

ジェイ・ルービンと村上春樹-->


ジェイ・ルービンは知る人ぞ知る、アメリカ人の日文研究者にして村上春樹作品の翻訳者である。
2016年11月の時点で、ハーヴァード大学の名誉教授である。

彼の『村上春樹と私 日本の文学と文化に心を奪われた理由』と題するエッセイ(東洋経済新報社刊)を読んだ。
日本語で書かれたその文章は、まるでネイティヴのようだった。

『村上春樹と…』はルービンの個人的なエッセイで、村上のことを語るよりも、いく分は自分よりのことを多く書いている。
が、アメリカ人の目を通しての日本を、当人の日本語で読むという体験が、面白い。

村上以外の日本人作家の名も多く出てくるのだが、いずれも同時代人ではなく、夏目漱石や芥川龍之介など、前時代の作家のものである。
ルービンが、ある出版社の依頼を受けて、芥川の英訳短編集を編むというエピソードが紹介されている。
その短編集の序文を、村上春樹が担当することになる。
村上はその序文の中で、芥川は日本の国民的作家の一人であると書き、さらに九人(つまり合計十人)を選ぶとしたら……と続ける。

結局、村上は十人目を思いつけずに終わるのだが、彼が「私見で」選んだ九人の国民的作家とは、
・夏目漱石
・森鷗外
・島崎藤村
・志賀直哉
・芥川龍之介
・谷崎潤一郎
・川端康成
・太宰治
・三島由紀夫
である。

うーん、そうくるか。
誰か抜かしている気がせんでもないが、まあ個人的な好みによるところもあるしなあ。
永井荷風はぜったい入れておくべきとちゃうかと思っているわけである。

 

2017/03/20

置いてきぼりの件-->


置いて「け」ぼり、ともいう。

デジタルカメラの撮影画像をPCに取り込むのに、メディアリーダに記録媒体を読み取らせる以上に簡単な方法はないだろう。
iPadでかなりの数の写真を撮っているが、このタブレットは本体から記録媒体を取り外せない仕様になっているので、その方法が使えない。

iPadから画像データを取り出すには、ケーブルでMacに接続し、iTunesを使えばいいのだが、自分のマシンではできない。
使っているiTunesのヴァージョンが古いからである。

アップル社のクラウドサービスであるiCloudに画像データをアップロードしておいて、Macにダウンロードするという手もある。
しかし、これもできない。
OSのヴァージョンが古くて、iCloudに対応していないのである。
この時点で、すでに置いてきぼりにされている。

そこで、サードパーティのサービスの出番である。
Dropboxアプリを利用して、画像データをiPadからクラウドにアップする。
PCではブラウザベースのDropboxで、データをダウンロードするわけである。
これをよく利用していた。


ところが。
今度はブラウザのヴァージョンが古くなって、Dropboxが非対応になってしまった。
OneDriveもGoogleドライブも同様で、またもや置いてきぼりを食うはめになった。
かろうじて、Yahoo! ボックスのサービスがブラウザ経由で使えることがわかったのだが、これとていつまで耐えられるやら。

iPadよ、せめて外付けのSDカードへの書き出し機能を持ってくれ。



2017/03/09

勘違いの名前-->


母の誕生祝いに図書カード一万円を贈った。
ちょうど買いたい本があったんよ、と彼女は言った。
後日見せてもらったその本とは、
恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎・1,944円)

ある日、新聞に恩田陸の写真入りの記事が掲載された。
それを母が見て、
「恩田陸って男の人やと思ってたわ」
と言ったものである。

僕なんか、女性とは知っていたけれど、恩田睦(むつ)やと思ってた時期がある。

その類の話には事欠かない。

有川浩は男か、女か。
正解は「女」、読みはアリカワ・ヒロである。
これもヒロシと思っていたことがある。
ヒロと認識できたのはいいが、今度は荻原浩と混同してしまう。
オギワラ・ヒロ、となってしまうのである。
とどのつまりは、ハギワラ・ヒロ。
そんなやつ、おらんから。

作家の方も、わざと読みづらい筆名や性別不詳の名前をつけているのではないかと思われるふしがある。

推理作家の乾くるみ。
れきとした男性である。
薫、なら男でも女でも……という古い常識はあるので性別特定は保留するが、くるみとくれば、普通は女の子と思うでしょう。

日日日と書いてアキラ。
これはもうパズルでしょう。
晶を分割して並べてるんですと。
僕はヒヒヒかと思いました!


 

2017/02/18

ときどき新聞-->


中国の電視台(テレビ)のニュース番組のタイトル画面をみると、
「○○新聞」と表示されていて、違和感をおぼえた。
それは自分が、新聞とは印刷されたものと思い込んでいたからである。
NEWSの漢字訳が「新聞」なのだと気づけば、腑に落ちる。
新聞すなわちニュース(英語の発音は、語尾が濁る)であるのに、日本では紙媒体と電波媒体で使い分けをしているのであった。

日々のニュース、つまり「Daily News」はその名のままの新聞がアメリカにある。
和訳すれば……「毎日新聞」だ!

新聞の月ぎめ購読をやめて、もう何年にもなる。
特段の不自由は感じていない。
実家の母は、どうやら惰性で購読しているようである。
こんなロクでもないニュースばっかり載ってるもんに金払て、とこぼしている。

その母から毎日曜日の朝刊をもらって、貪るように読んでいるのはこの自分である。
主たる目的は、書評である。
自分が読みたくなるような本がとりあげられることはめったにないが、さまざまな知識人が書いている評文を興味深く読んでいる。

月に一度は、朝日新聞の日曜の朝刊を買う。
別刷りの「The GLOBE」を手に入れるためだ。
紙面デザインが気に入っている。
自転車に乗って、鉄道の駅の売店まで買いに行く。
コンビニエンスストアで売られているものには、別刷りがついていない。

朝日新聞も日曜の朝刊に書評欄がある。
他紙と同じ本がとりあげられることもあるが、似たような評にならないところが面白い。
例えば、ピーター・ペジック著『近代科学の形成と音楽』(NTT出版)。
2月5日に五十嵐太郎氏(建築批評家・東北大学教授)が約800字の評を書いている。
毎日新聞1月29日には、中村陽一郎氏(東大名誉教授[科学史])も約1,500字で評を書いているのである。
本のタイトルをふせれば、これが同じ本のことを紹介しているとは、わかるまい。
かろうじてニュートンの名と、天文学・算術・幾何学・音楽という単語が共通しているぐらいである。



朝日新聞・2月5日朝刊















毎日新聞・1月29日朝刊

























いいとか悪いとかの問題ではなく。
一冊を十人が読めば、十通りの読みとり方・十通りの感想・十通りの評価があり得るということである。
書評家Aが絶賛する本を同業者Bはけなすし、Bが激賞した本を一般人Cが読んだら超面白い、とは限らない!



 

2017/02/13

書くのも遅い-->


ジャーナルの更新がなかなかされない、ということである。
このジャーナル(ブログ)も、なんと今年で創刊(開設)9年目である。
初年度180近くあったエントリも、100を切り、50ぐらいになって、これではジャーナル(日誌)とはいえない。
ウェブログの「ログ」にしても日誌という意味だから、いっそ「偏固カジュアル(casual=不定期)」とでも改名しようか。

年間50エントリということは、平均で週一回の割である。
日誌なのだから、どこ行った、何食べたの記録でもいいのだろうが、それでは自分でさえもつまらない。
せめて400字ぐらいは、何ごとか意味のあることを書きたいと思うのである。
すると今度は、書きたい何ごとかが見つからない。
書くのが義務ではないので、ほうっておく。
言い訳を、誰にする必要もない。



 




キートップはUS表示。青黒のペンはスタイラス兼用のBic































そういう訳で書くのは遅いが、実は打つのは速い。
近ごろはPCよりタブレットを使う機会の方が多くなって、ソフトウェアキーボードでの入力をしていた。
キーを打ったという手応えがないのでブラインドタッチができないし、皮脂でディスプレイを汚すのが気に入らない。
そこで、ハードウェアキーボードをiPad miniに装着して文字入力をするようになった。
やはりこちらの方が、かなり効率がいい。
つくづく、PC向きの人間だなあと思うのである。

 


2017/02/12

読むのが遅い!-->


『騎士団長殺し』。
心惹かれるタイトルである。
中世の騎士物語は大好きだし、ミステリとくれば即買いでしょう。
バットゼン、いやBut then,
作者が村上春樹と知れば、おおいに躊躇してしまう。
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』まではおおいに楽しんだ。
『ノルウェイの森』も読んだが、そこで村上熱は冷めてしまったのである。

今、読み進めているのは、
『[完全版]ビートルズ全曲歌詞集』(スティーヴ・ターナー著/ヤマハミュージックメディア刊)である。
昨年末に公共図書館から借り出して、年をまたいで読み続け、しかしまだ読み終えられず、借りっぱなしの状態なのだ。



A4版変型・352ページ

























他市の図書館の決まりは知らないが、当市では一回二週の期間で本を借りることができる。
その本を他の人が借りたいと思っていないのであれば、つまり予約が入っていなければ、一回限り二週間の借り出し延長ができることになっている。
年が明けて、延長の申請をして受理された。
これは図書館のWEBで簡単に手続きができる。
予約の有無も確認できるのである。

二週間延長したのに、読み終わらない。
なぜそんなに時間がかかるのか。
一番の理由は、集中力がないからである。
もともと読むのは遅い方であるが、今回の本はとくに「読みで」があり過ぎる。

ビートルズの全曲歌詞集、と聞けば英文の歌詞に和文対訳が羅列されたものと想いがちである。
しかしこれは違う。
それぞれの曲ができたバックグラウンドを、でき得るかぎり事細かく書き込んであって、うっかりと読みとばすことができない。
ライナーノーツよりも詳しく、もっと下世話な部分もある。
ビートルズが地方公演先で、どのホテルに泊まったか、そのとき誰女(だれじょ)が一緒でとか、何それを吸飲食したとか……

いわゆる「ビートルズ番」のジャーナリストが、長年にわたって取材した素材を、時系列にそってレイアウトしたものに、歌詞が添えられているといった方がいいかも知れぬ。
一曲あるいは数曲分の解説文を読み、該当曲をiPodから呼び出して、歌詞を読みながら聴くということを繰り返している。
この作業を全曲スルーで行うほどの集中力は、自分にはない。

図書館からの借り出しは、二回目の延長はできない決まりになっている。
そこで、期限が来た日の朝、しぶしぶ返却しに行った。
夕方、また図書館に行って、同じ本を借り出した。
若干の後ろめたさはあるが、ルール違反はしていない。
少なくとも数時間は他人の目にふれるところにあったが、誰も借りなかったのである。

あらたに借り出してからそろそろ二週間。
まだ読み終わらない!
またまた延長を申請するところである。

 

2017/01/30

古本市で売れた本-->


古本市で売れた本(売れた順に)。
『ぼくのミステリ・クロニクル』(戸川安宣著)が1,000円で。
『オシムの言葉』(木村行彦著)は隣の店主ひなさんの本(200円)と等価交換w
『停電の夜に』(ジュンパ・ラヒリ著)が100円で。



Secondhand…の看板は、当日の朝に急きょ制作

長机に横並びの「一箱古本」のお店



29作(重量にして約11キログラム)持ち込んで、はけたのは3冊。
実質的に売れたといえるのは2冊である。
ちなみに、ひなさんとの交換で手に入れた本は、
『ゴー! ゴー! フィンランド』という、フィンランド雑貨を彼の地で買うためのガイドブック。
フィンランドに行くことはまずないだろうけれど、北欧のデザインが写真で見られる楽しい本だ。
元値が1680円もするのを後で知ったが、それが200円とはあまりにも安い。

客層の想定ができていなかったのが、一番の「敗因」。
手作りの品を売るバザー、みたいな催しの中に「一箱古本」を紛れ込ませたために、子供連れの母親とか、近所のおばちゃんが主なお客さんだった。
そこにBT Garage@hencojournal(いちおう店名をつけたのだけれど)がぶつけた販売アイテムときたら……
翻訳のミステリ、SF、冒険小説、そんなのばっかりだから。
コミック本とか時代小説ならまだしも。

だから、まっさきに『ぼくのミステリ・クロニクル』が売れたのは、奇跡にひとしい。
真新しい美本で、今回最も高い1,000円の値札をつけてあった(元値は2,916円)。
買ってくれた神様は、中年の男性だった。
ジュンパ・ラヒリを買ったのは初老の女性、目が高いなあ。
安かったからかなあ。
一箱古本市だけのイベントだったなら、もっと売れたのだろうね。






















他の店で、ネパールの女性が現地で手編みしたというレッグウォーマーを買った。
エスニックの模様と、色合いが美しい。
これに1,500円費やしたので、自分の店の売り上げは吹っ飛んでしまった。

来た時とあまり変わらない重さの荷物を自転車に積み直して、帰る。
11キログラムの荷を、車重11キログラムの自転車のリアキャリアに載せると、完全にリアヘヴィになる。
しかも帰り道はほとんど登りなので、信号待ちで背筋を伸ばしたりすると……
後ろにひっくりかえりそうになった!


 

2017/01/28

一箱古本市出品リスト-->


一箱古本市に出店する。
あふれている本を処分するのにもってこいのイベントだ。
いや、売れればの話だけれど。


 
パックして、POP貼り付け
















略して『USJ』



















出品リスト。
並べて見ると、翻訳ものばかりであるのがよくわかる。
▼冒険小説
鷲は舞い降りた[新旧セット]ジャック・ヒギンズ著
スナイパーの誇り[上下巻セット]スティーヴン・ハンター著
▼ミステリ
ネバーゴーバック[上下巻セット]リー・チャイルド著
最重要容疑者[上下巻セット]同上
61時間[上下巻セット]同上
第三の銃弾[上下巻セット]スティーヴン・ハンター著
ありふれた祈り:ウィリアム・ケント・クルーガー著
解錠師:スティーヴ・ハミルトン著
ポーカー・レッスン:ジェフリー・ディーヴァー著
大鴉の啼く冬:アン・クリーヴス著
アデスタを吹く冷たい風:トマス・フラナガン著
▼ハードボイルド・ミステリ
ドライ・ボーンズ:トム・ボウマン著
酔いどれに悪人なし:ケン・ブルーウン著
▼警察小説
警部補マルコム・フォックス[二冊セット]イアン・ランキン著
ロセアンナ:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー共著
氷の天使:キャロル・オコンネル
▼SF
ユダヤ警官同盟[上下巻セット]マイケル・シェイボン著
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン[上下巻セット]ピーター・トライアス著
火星年代記[新版]レイ・ブラッドベリ著
虎よ、虎よ!:アルフレッド・ベスター著
宇宙消失:グレッグ・イーガン著
星を継ぐもの:J・P・ホーガン著
▼大河小説
凍てつく世界[Ⅰ・Ⅱ巻セット]ケン・フォレット著
凍てつく世界[Ⅲ・Ⅳ巻セット]同上
▼企業小説
最後の紙面:トム・ラックマン著
▼短篇小説集
停電の夜に:ジュンパ・ラヒリ著
▼フットボール本
ラストピース:下薗昌記著
オシムの言葉:木村元彦著
▼ノン・フィクション
ぼくのミステリ・クロニクル:戸川安宣著・空犬太郎編



箱に詰めて



















自転車に積む



















 

2017/01/17

タッチパネルに業を煮やして-->


いつか慣れるだろうと思って使い続けてきたけれど、あきまへん。
とうとう、常時キーボードをつけて使うことになったしまった。
それでも、アイコンにはタッチしなくてはならないが、そこはスタイラスを使うわけである。


 


















iPad mini専用にサードパーティが作ったキーボードを、以前買ってあった。
クリップ状になった凹みにiPad miniをはさんで使う。
一体になったところは、あたかもモバイルPCのようだが、本体とキーボードの接続はBluetooth経由である。
キーボード下に充電池が内蔵されていて、USBプラグで給電ができる。

iPad側から認識させなければ使えない、というお約束は他のBluetooth機器の場合と同じである。
つまり、以前にもやったことがあるので、取扱説明書など見ないで認識・接続作業は終えられたのである。




左上隅がホームボタンの代用キー



















かくしてタブレットの一枚完結性は失われてしまったが、入力の確実性が上がり、しょっちゅうディスプレイを清拭せずともよくなった。
iPadのホームボタンの代わりになるキーが左上隅に設定されているので、このキーおよびスタイラスを駆使すれば、電源スイッチ以外はタブレット本体にタッチする必要もなくなるのである。
The Zen of Tablet(Palmの思想を上回る、真のシンプルさ)には到達できそうにない。


 

2017/01/16

お風呂を直して-->


GoogleのFeedBurnerというサービスを使って、ブログエントリをtwitterと連携させてみた。
エントリ後、そのタイトルがtwitter上につぶやかれるようになっているはずなのだが……
はたしてうまく設定できたかは、このエントリを行った後にわかるわけである。


3年に一度、ガス会社の人が器具の点検にやってくる。
有無を言わせずに上がりこんできて、風呂と台所を見るわけである。
コンロのゴム管が古くなっていますから交換してください、とか、
ガス漏れ警報機をつけた方がいいですよ、とか忠告をしてくれる。

拙宅の風呂がここ何年か不調であった。
たきあがりの温度と水位を設定しておけば、自動で湯舟を満たしてくれる。
という便利なお風呂(今ではあたり前か)だったのに、温度も水位も満ちないようになっていたのである。
別途、追いだきというモードがあって、あらかじめ湯舟に水をはってから点火すれば、設定した温度にたきあがる。
それで間に合わせていたのである。

ついでだから、ガス会社の人に不調の原因をたずねてみたら、器具のメーカーと家主にさっそく連絡をとってくれて、その日のうちに修理の手が入ることになった!
気になるのは修理にかかる費用だったのだが、賃貸アパートに付属している器具ゆえ、家主もちになる、ということらしい。
これはありがたや。

というわけで、修理開始。
こんどはメーカーの修理担当者がやってきて、たっぷり3時間かけて徹底的に直してくれたのである。
要は、制御部の不具合の改善で、部品を取り替えたりしたようである。
お風呂も、コンピュータなのであった。




バスタブの横が窯。手前に置いてあるのが制御部




 




















いやあ、もっと早く修理依頼をするべきだった。
修理後の風呂の能力の上がったことたるや。


 

2017/01/13

初期設定


工場出荷時に設定されているものではなく、ユーザが自分の好みでそれをアレンジするものである。
しつけ、というかイニシエイション、というか。

1970年代ごろのラジオは、受信する周波数を手動のダイアルで合わせていた。
文字通りの手さぐりである。
少し高度なラジオには、感度を表示するメータがついていて、そのメータもアナログだから、針がゆれて一番大きくふれるところにくるように、ダイアルを回して合わせていた。

ネットで探したら、他人のブログで古いラジオの画像を見つけた。
引用させてもらう(引用元:55life555.blog.fc2.com/blog-entry-560.html)。
自分が使っていたのと同じ、今はないナショナルブランドのワールドボーイというラジオだ。




見よ、アナログの選局ウィンドウ














専用のキャリーケースにおさめたところ

















当時の中高生の楽しみといえば、深夜放送を中心としたラジオであった。
AMに加えてFM放送が新たに始まって人気が出だしたころである。
親・親せきにもらったお年玉をすべて注ぎ込んでラジオを買った。
今なら3,000円で買えるものが、1万円以上したのである。
そこへ行けば安く買える、というので日本橋(にっぽんばし)の電器屋街まで出かけた。
内気な中学生のくせに、値切ることまでやった。
遠方(いや、そんなに遠くない)から来たとアピールして、帰りの電車賃なくなるから負けてえな、みたいなことを言っていた。

ソニーもワールドボーイと同等のラジオを販売しており、そちらの方がデザインが美しかった。
迷ったすえにワールドボーイを買ったのは、スイッチがかっこよかったからである。
電源スイッチをはじめ主要なスイッチがトグルタイプで、必要もないのにそれらをパチンパチンと倒したり起こしたりして楽しんでいた。

初期設定、の話だった。
ワールドボーイに初期設定は必要なかったのである。
技術は進歩して、ラジオの選局もディジタル(文字式)で行えるようになった。
コンピュータと同様のテンキーから周波数を入力すれば該当放送局の電波を受信できる。
受信した周波数を登録できるようにもなっている。
登録のやり方は、取扱説明書を読まずしてはできない。
そこに書いてあるとおりにやっているはずなのに、うまく設定できないのである。


 

アホでもわかるように書いてくれへんかなあ