2015/04/14

『寮母日記』出来






かねてより制作を進めてきた『寮母日記』が完成した(写真)。
私の母がかつて某スポーツ用品メーカーの寮母をしていた時のことを日記風に綴ったエッセイである。

『寮母日記』には、ベースとなる原稿がすでに存在した。
母の友人が世話人を務めていた『個羊(こひつじ)通信』に毎月連載されていたものである。
それを今回デジタル化したわけである。
文字はテキストエディターで入力し、InDesignでページレイアウトを行った。
見本組も数種作ってプレゼンし、著者の希望により文庫本の体裁をとることになった。

PCやスマートフォンで読むことを想定し、柱とノンブルを左右のセンターに配置した。
これをPDFに書き出してウェブサイト(下記)にアップロードする。
紙への印刷もPDFがベースとなる。

▼Nijiya Website
http://www.taqueda.com/nijiya/index.html

装幀も、息子の手になるものである。
スミ一色のイラストは「パンとペン」と名付けた。
両方とも母の使っていたツールである。
同じイラストをあしらった専用のしおりも、色とりどりのケント紙を使って自作した。


2015/04/09

シフターを交換







性懲りもなく自転車に手を入れる。
乗って走っている時間より長いのではないだろうか。

事故続きのブルネロ号を廃車するのに際して、8段のトランスミッションを、シングルスピードに改造してあったMTBに移植作業中。
16年使ったシフターは、今もまだ作動するのだが、本体のカバーに亀裂ができている。
これを新しいものに買い替えた。
ついでにグリップも更新。

シフターのインディケーターが、ハンドルバーの屈曲部につかえてしまう。
古い方のシフターでは反対側についていたのだ。
シフターの外側にはブレーキレバーを取り付ける。
(このレバーは、去年の春のシクロジャンブルで手に入れたものだ)
そのまた外側にグリップを装着するのだが、グリップ長が余ってしまう。
止むを得ず、グリップの根元をちょん切って調整する。
これが最も簡単な解決法である。

正常にシフトできるかをチェック。
アップはできたが、戻りのダウンができない。
この症状は、換装前のシフターでも経験ずみだ。
シフター内部のグリースの固着による動作不全だろう、たぶん。

これを直すのには、どうするか。
分解して、固まったグリースを取り除く?
否、シフトレバーの隙間から温風を送り込んで、グリースを溶かすのである。
ヘアドライヤーを使う。
なかなか温まらないが……正常にシフトできるようになった。


 

2015/04/07

雨に濡れても・2


晴れたかと思えば、また明くる日雨が降る。
ついに桜の花びらが落ちて来た。




まるで降り積もった雪のように、歩いた人の足跡がついている。
暖かくなったかと思えば、また寒い日が続く。



2015/04/04

負傷欠場


MTBで走っていて転倒し、顔面左側と胸を強打したのは、もう一か月以上も前のことだ。
そのまま万博競技場まで行って、ACLの開幕戦を観たが、翌日はノックアウトされたボクサーのような身体状況だった。

その後も胸の痛みは引かず、それは肋骨か肋軟骨にひびでも入ったせいだと思い、放っておいた。
日にちはかかっても、自然治癒する怪我だからだ。
ところが、それが悪化した。
「考える人」のポーズで座っている時に、患部あたりでペチン、という音がして胸に激痛が走ったのである。
その音から想像するに、ひびが入った部分が元通りの位置にはまったのではないか。
そうであるとしても、痛くて体を動かせないのである。
万博競技場へ観戦に出かける用意をしていたのに、諦めざるを得なかった。

J1第4節、ガンバ大阪対名古屋グランパス戦が行われ、3-1でガンバが勝った。
観ていない時に限って、こういう結果になる。

 

プラチナシートの観客に貸し出されるクッション


















 

2015/04/03

雨に濡れても





















桜の咲く頃に、よく雨が降る。
千里川沿いの並木の桜はすでに満開。
一番の見頃なのに、花見をする人の姿はない。
独り占めである。



2015/04/01

嗚呼、ヘンリー



一人のデザイナーがこの世を去った。
本名の田澤友紀(ともき)でなく「ヘンリー」と呼ばれていた。
自分でもそう名乗っていた。
家でも嫁さんにそう呼ばれていた。
「Henry」か「Heng Lee」だったか、由来は定かでない。

共通の知り合いが「お久しぶりです」という暢気なタイトルのメイルで、ヘンリーが亡くなったことを知らせてきた。
あほか。
開けて愕然、である。

ヘンリーには何年も会っていなかった。
いつでも会えると安心していたところもあった。
癌に罹っていたことも知らなかった。
亡骸を見るまでは彼の死を信じる気になれない。

長居のプロテスタントの教会で、棺に横たわったヘンリーの顔は、ちょっと笑ってた。
昔とった杵柄(ミッション系の幼稚園)で、他の参列者と一緒に讃美歌を歌った。
しかし、牧師が説教する、神の思し召しとか甦りとか、その他諸々のご都合のいい言葉を聞いているうちに、悲しみではなく怒りの気持ちが湧いてきた。






















葬送式の後、長居公園を歩く。
ちょうどこの日キンチョウスタジアムでは、関西学院大学対プリンストン大学のフットボールの試合が行われていた。










関西学院ファイターズに神は味方せず、大差で負けた。