2021/08/15

終戦記念の日(落穂拾い)

 

ボツ原稿復活(落穂拾い)の連続、本日第二弾。

『本の雑誌』の読者アンケートに答えて書いた原稿を、ちょうど終戦記念日なので、ブログに公開する。

今日たまたま目にした、ある人(僕より年長)のツイッターに「日本は世界に誇れる国になった」と書かれていた。

そうかなあ。

第二次世界大戦の敗戦国となって以来「残念な国」であり続けているような気がするのですが。


▼以下は、お薦めの海外ノンフィクションの紹介。

大日本帝国の興亡〔新版〕全五巻

ジョン・トーランド著/毎日新聞社訳/ハヤカワ文庫NF

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☆戦後七年も日本が米軍に占領されていたことは、忘れられているのではないでしょうか。日本をアメリカ化するために文書のローマ字つづりを強制する計画が、あったそうです。また、日本全島をアメリカの在外農場化してしまう計画も。まるでSFのような話ですが、ノンフィクションです。

 以上のことは『大日本帝国の興亡』には【書かれていません】。この本には大日本帝国が第二次世界大戦を、いかに戦い、いかに砕け散ったかがリアルに記されています。それがリアルと信じられるのは、著者トーランド(戦時中はアメリカ陸軍大尉)が、主に東と南のアジアで五百人から聴き取った話を基にして書き上げたということからです。

『大日本帝国の興亡』(原書は一九七〇年刊のThe Rising Sun: The Decline and Fall of the Japanese Empire, 1936-1945)をイチオシする理由は、文庫本で読める・さほど頁数が多くないので通史としては読みやすい・ピュリツァー賞受賞作(1971年)である、こと。モノクロの写真に原色のタイトルを配したカヴァデザインも気に入っています。

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新書めくったった号(ボツ原稿より)


「偏固ジャーナル」というタイトルで、毎月『本の雑誌』に投稿している。

読者が投稿できるスペースには二つあって、1)読者へのアンケートに回答する欄、2)「三角窓口」という名の、投稿専用欄である。

1は、本の雑誌編集部からの依頼原稿(テーマあり)という扱いなので、採用されると、掲載誌が送られてくる。昔は原稿料として図書カードも、もらえたのである。

2は、読者から編集部への持ち込み原稿(テーマなし、または本に関するエピソード)である。これは一種のチャレンジであって、小雑誌といえども商業誌に掲載されれば、それはハッピーなことである。

原稿採用率は、正確に勘定をしていないけれども、三割ぐらい。

ボツ原稿がもったいないので、ブログに出してみることにする。

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△偏固ジャーナル[新書めくったった号] 

『少年は世界をのみこむ』『シッピング・ニュース』(後者は少なくとも三度目)を続けて読んだら、すごくよくて、余韻から離脱できない状態に陥ってしまった。

 そんな時、実家の母から手渡されたのが『在スス』(文春新書)です。髪が真っ赤(今は真っ青かな?)のチヅちゃんが書いた本です。独りで死ぬためのマニュアルを期待していたフシのある母は「思ってたのとちゃう」と言ってましたが。読んでみると、介護保険のCMでした。

 そんな母に連れられて(小学生の時です)広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)を観覧しました。その時のショックが今も忘れられません。ちなみに母はその頃集会でバーバラ・レナルズさん(反原水爆運動家、故人)に会ったこともあるそうです。

 ふだん新書を読まないのに書店で『広島平和記念資料館は問いかける』(志賀賢治著/岩波新書)を買い求めたのは、そんなセンチメンタル・リーズンからです。この本によると、資料館の展示は現在までに何度もアップデイトを重ねているようです。チャンスがあれば、また観に行きたいと思います。泣くかもしれんけど。

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2021/08/13

暗くなるまで待てない!

 

未来が見えない。

当たり前だ(のクラッカー、と心の中では続く)。

自分の往く先が見えない。

昔のことを、よく思い出す。

人生が終わりに近づいたことを予感させる。


『暗くなるまで待てない!』は1975年4月公開の映画である。

若き大森一樹監督が16ミリで撮った、自主制作映画である。

2008年のデジタル・リマスター版が手に入ったので、観賞した。

以前に観ているが、断片的にしか憶えていなかった。


公開から一、二年して、友人のJと『暗くなるまで待てない!』の自主上映会を企画した。

大学の二回生か三回生の頃のことである。


Jと二人で、芦屋にあった大森の自宅を訪ねた。

何を話したか、何の記録も残っていないが、大森の靴下に大きな穴があいていたことだけが印象に残っている。

上映会は二本立てで行なうこととし、『暗くなるまで待てない!』の相方に『青春の蹉跌』(1974年6月公開)を立てたのである。

『青春の蹉跌』は石川達三の小説の映画化(神代辰巳監督)であり、萩原健一と桃井かおりが主演を務めている。

萩原(サブちゃん)と桃井(恐怖のウミちゃん)のコンビは、1975年に始まったテレビドラマ『前略おふくろ様』へと引き継がれる。


『暗くなるまで待てない!』の劇中、大森自身が扮した映画監督が、ある女優を指して言う「桃井かおりよりもいいよ」という台詞を、今回の観賞で確認した。

そのことを知っていて、Jは、『青春の蹉跌』を二本立ての相方に選んだのか、と今さらながら気づくのである。


上映会の場所には御影公会堂を選んだ。

人も集めた。

そろそろ上映を始めようという頃に、大きな問題が発生した。

映写機のレンズに付けるワイドコンバータが、なかったのである。

『暗くなるまで待てない!』は通常の16ミリ作品なので、コンバータを装着しない状態で問題なく映写できる。

ところが『青春の蹉跌』は劇場公開版の16ミリヴァージョンで、通常の16ミリの画面よりも横長(ワイド)だったのである。

すなわち『青春の蹉跌』を、正しくワイドな画面で映写するためには、ワイドコンバータが必要だったのである。


今からコンバータを借りに行っている暇は、ない!

我々(上映会の学生スタッフ)は来場者に、わけを話してお詫びして、コンバータなしで『青春の蹉跌』を上映したのである。

スクリーン上には、左右寸詰まりのショーケンと桃井かおりが映ることになったのだが、そんな映像にも慣れることができるということに気づいた。

さらに後で気づいたのだが、コンバータを装着してワイドに映写できたとして、公会堂のスクリーンの左右から映像がはみ出さなかっただろうか……ということである。


『暗くなるまで待てない!』は、そんなほろ苦い思い出を伴なう映画である。

1974年晩秋(撮影当時)の、神戸近辺の風景や風俗が映り込んでいて、記録的な価値もある。

クレジットされている鈴木清順以外に、神戸女学院の学園祭(1974年11月2日)でステージに立つ野坂昭如の映像も記録されている。




2021/06/28

沖雅也忌日に寄せて


ウェブを眺めていて、今日が沖雅也の亡くなった日と知った。

知った、というか思い出した。

1983年6月28日、彼の死で直接の影響を被ったのである。

(この話、2020年9月にも書いている……よほど心象に残っていると思われる)


当時、印刷会社の営業マンだった私は、新歌舞伎座のNさんから電話を受けた。

あるいは、出先でポケットベルによる呼び出しを受けて、こちらから電話をしたのかも知れぬ……

Nさんは真っ先に「ニュース見たか」と聞いた。

見ていないと答えると「沖雅也が死んだんや」と絞り出すように言う。

折しも新歌舞伎座では沖が座長を務める公演が開幕間近で、私は、チケット販売の担当課長であるNさんを通じて、印刷の仕事を請け負っていたのである。


劇場や映画館の入場券(=チケット)は「金券(きんけん)」と呼ばれ、紙幣の印刷に準ずる厳格な管理体制の下、作業が行なわれる。間接税の対象ともなることから、税務署から指定を受けた印刷所でなければ、金券の印刷はできないことになっていた。

座席指定の券には個別のナンバリングを行なうので、オフセットでチケット本体を印刷した後に、活版で席番号を加刷していた。

断裁してナンバー順に束ねて製本するが、抜けは絶対に許されないのである。

印刷所には検査室があって、専従の検査係が一枚ずつチェックを行なう。

印刷の各工程で手間のかかる、神経を使う作業だった。


沖雅也公演を間近に控え、チケットは刷り上がっていたのである。

沖雅也公演がどうなったのか……座長に代役を立てて開催したのだったろうか、それらのことは、まったく思い出せない。

憶えているのは、刷り本(印刷が完了した紙)をボツって、一からやり直したということである。

しかも、通常はひと月ほどもかかる全工程を、三倍速でやって、無事納品できた。

私がやってのけたのではなく、印刷現場の人たちが全力を注いで、やってくれたのである。

誇らしく頼もしい現場だった。


沖雅也31歳、新宿京王プラザホテルにて墜死。

「涅槃にて、待つ」という彼の言葉が忘れられない。

 

 

2021/05/31

老兵は消えゆく?


椅子のキャスタが……劣化してきた。

五輪ある(否、中止せいよ……ぢゃなかった)キャスタの、一つの車輪部分がボロボロになって、崩れ落ちてきている。

実は、以前同じキャスタを純正の部品と取り換えたのだが、再びである。

残る四つのキャスタは、たまたま近所のホームセンタでよく似たものを発見して購入した。

純正品よりも、かなり安かった。

この四つのキャスタは、まだ大丈夫のようである。


椅子本体は、ITOKI製のバーテブラで、すでに35年は使っている「老兵」である。

キャスタ以外には、座面のクッションがへたってペチャンコだし、座面の上げ下げをするためのガスチェンバーも、最近不調である。


しかしながら、まだ使えそうなので、とりあえず交換用キャスタを一つだけ、買いに出かけた。

以前と同じホームセンタへ、である。

ミニヴェロに注油して、タイヤのエアを足して、久しぶりに走った。


店には、緊急事態下の緊張感は、まったくない。

客は、自分の身は自分で守らなければならない。

ついで買いをせず、キャスタ1個をクレジットカードで支払って店を出る。


GIANTの大阪店まで走る。

フリーペーパの「cycle」誌を入手するのが目的だったが、MTBを素見す。

前後サスペンション・電動アシスト付きのやつが気に入った!

63000......、6万3千円ぢゃなくて、63万円ですから。

とても買えませんって。

早々に退店。


そのまた近くのスーパーマーケットへ「瀬戸風味」を買いに行く。

この近辺では、この系列の店でしか扱っていない、稀有なふりかけである。

3瓶購入したので、母にも分配する予定。

他にも、好物の八朔、レトルトカリー、のど飴、菓子パンなどを買って帰る。





帰宅して、すぐにキャスタの取り付け。

たんに、ボルトをねじ込むだけで完成。

五輪満足に揃って快適であるが……あちらの五輪は、もっともっと早くに中止を決めるべきだったのに。 

JOCとIOC、東京都、政府が互いに顔色をうかがい合って、誰かが中止を進言してくれないかと待っているうちに時を過ごしてしまった感がある。

このままオリンピックを開催・閉幕して、成功裡に終わりました、と言えるような大会になるとは思えない。

誰か、やめようと一言言ってくれんかな。

 

2021/04/04

青いインクの理由


 

Yahoo! JAPANのトップページが、たまにこんな感じになります。

いっそシンプルで、よろしいですな。


またボールペンと万年筆の話。

Bicの多色ボールペンの替え芯も、リアルの店舗では、なかなか手に入らない。

結局、Yodobashi.comに注文することになる。

今回発注したのは、青×2、赤×1の計3本の1.0ミリ芯で、147円。

メイル便(郵便受けに投函される)で送ってもらうのであるが、Yodobashi.comさんがありがたいのは「全品送料無料」というところである。

なお、大量に注文しないのは「Just In Time」すなわち必要な量を必要な時に、という考え方でもある。


インクの色の話でした。

インクを使う筆記具の場合、自分は基本的に青色を使う。

会議資料にメモを書き込むことが多いが、文字等が黒色でコピーされているところに、黒ペンで書くと、資料の文字もメモも読みづらくなる……

というわけで、読み返したときに判りやすいように、青で書く。


ボールペンはブルーの替え芯を買う。

万年筆も青色のインクを、瓶で買う。

デフォルトはブルーブラックなのだろうが、ここでも青を使う。

現在使っているのはPelikan純正のRoyal blue[ロイヤルブルー]である。

瓶入りなので当然ながら、万年筆本体のツイスト式ポンプで吸い上げている。

そこのところは、やっぱり面倒臭い。

 


2021/04/03

藤原公経の気持ち

 「

花さそふ

嵐の庭の雪ならで

ふりゆくものは

我が身なりけり


ちょうど、今頃の季節に詠まれた歌である。

春の強い風が、京都の山に吹いている。

桜の花びらが舞い散って、まるで雪が降っているようである。

人生の盛りを過ぎた男が、邸の縁側にたたずんで、それを眺めている。

美しいが、物哀しさを感じさせるシーンである。


上の短歌は、藤原定家編『小倉百人一首』に収められた第96番の、私が最も好きな歌である。

作者は入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)とあるが、西園寺家の祖とされる、藤原公経(ふじわら・きんつね)のことを指す。


なお、藤原公経という名の人は他にもいて、

西園寺家の祖・藤原公経は、実宗の子で1171年生まれ・1244年没。

もう一人の公経は藤原成尹の長男で、叔父の重尹の養子となった人。1099年没である。

(Wikipedia調べ)














「花さそふ…」の歌の解釈について、嵐が花の散るのを誘っているとするのが大方であるが、あえて素人の感覚で解釈したい。

嵐が誘っているのであれば「嵐さそふ 花は庭の雪ならで ……」と詠んだのではないか?ということである。

したがって、私の解釈は、

「桜花が散り始め、それが風を呼び寄せたかのようであり、雪が降っているようにも見える。しかし、ふりゆく(古くなって落ちていく)のは、私自身である。」

となる。


『小倉百人一首』を、英語訳している人がいる。

McMillan Peter[マックミラン・ピーター]である。

集英社新書に『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』の著書がある。

第96番歌のマックミラン訳を見てみよう。

Fujiwara no Kintsune

As if lured by the storm

the blossoms are strewn about

white upon the garden floor,

yet all this whiteness is not snow--

rather, it is me

who withers and grow old.

マックミランも「まるで、嵐が誘ったかのように……」と訳している。


拙者もいっちょう、ひねってみた。

The blossoms fly like snowing in the stormy garden, there see myself falling.

……あまりにも簡単すぎぬか。

 

2021/04/02

さらば筆記具(少しだけ)

 

筆記具の断捨離のことです。

鉛筆にボールペンにペイントマーカにタッチペン(タブレットの入力用)に……

それぞれ複数種あって、太いのや細いのや、青いのや赤いのや、インクが切れて使えないのやら、多いにも程がある。


というわけで、ちょっと捨てる。

(全部いっぺんに捨てへんのかい……)













一番上は、静電式のタッチペンで、ボールペンとしても使える。

二番目は、単色のボールペン。

この2本は、日頃お世話になっている眼鏡店(独・Rodenstock専門)でもらった景品。

三番目は、フランス製のオレンジBic(青インク)、インク切れ。

四番目もBic製、先端のボールが不調で、使用できず。


下から2本目は三菱製のジェットストリーム、赤・青・黒の3色ボールペン。

一番下はパイロットの単色ボールペン、1.6ミリ芯である。


印刷会社の営業員時代、7枚複写の感圧伝票に作業指示を書き込んでいた。

ボールペンで力いっぱい書かないと、一番下の伝票に文字が現われないのである。

今、細いペン先のジェットストリームで字を書くと、紙に穴を明けてしまうことがある。

私の筆圧は鍛えられて強くなり、それが普通になった。

ボールペンの先が0.5ミリとか0.7ミリでは「危ない」のである。


それゆえ、1.0ミリ以上のペン先を使いたいのだが、なかなか手に入らないのである。

世間の人たちは、より細い方を求めるのだろうか、筆記具のメーカの品揃えも細いものに偏っている。

ちなみに、ジェットストリームの替え芯には1.0ミリのものがあるが、なぜそれを使わなくなったのかを、今思い出した。

芯が短かく、したがってインク切れまでの時間も短かいのである。

後述する別のメーカの替え芯の、価格も約2倍である。

要するにコストパフォーマンスが低いのが理由の一つである。


もう一つ。

細い芯が売れ筋商品なので、近所の文房具店では、ほぼ扱っていない。

自分で取り寄せ(ネットで購入)しなければならず、面倒である。

貧乏性ゆえ、大人買い(大量に買い置き)もしない。















一方、主力として使い続けるのは、Bicの多色ボールペンとPelikanの万年筆である。

上掲画像の黒いBicは、市場であまり見かけない色種である。

ペン先[芯]は1.0ミリ、赤・青・黒・緑の4色ボールペンである。

中央のBicは、よくある配色の軸。

芯は4本だが、1.0ミリの赤・青・黒に0.8ミリの黒を加えた、3色ボールペンである。

インク芯はジェットストリームのものより長く、値段は安いが、書き心地は劣る。


古いシステムだから、使い勝手が悪いのだが、最も気に入っているのはPelikanである。

ボールペンのように溝を掘るような書き方はできないが、紙の上を、文字通り水が流れるような、快い書き心地がする。

 


2021/03/16

宇宙【そら】へ


宇宙を「そら」と読ませる小説は、他にもある。

John Scalzi[ジョン・スコルジー]の『老人と宇宙(そら)』も、その一つである。

原題はOld Man's War、内田昌之訳でハヤカワ文庫SFから出ている。

邦題が、ヘミングウェイの『老人と海』(原題:The Old Man And The Sea)をもじったものであるのは明らかだ。 


『宇宙へ』は、Mary Robinette Kowal[メアリ・ロビネット・コワル]の長編SFで、2020年の夏に酒井昭伸の邦訳がハヤカワ文庫SFから出ている。

そのことが「S-Fマガジン」2020年10月号で紹介されている。






小生は、まず『宇宙へ』を読み、感動して、巻末の解説を読み、後日譚の『火星のレディ・アストロノート』へと導かれたわけである。
前述のように、この二つの物語の間には30年のラグがあり、作者コワルは、その間を埋める物語も書き継いでいるようである。

レディ・アストロノートという呼称について、宇宙飛行士は男であって当然という考え方を基にしている、と『宇宙へ』の作中主人公のエルマ・ヨークは批判的に言うのである。

 


2021/03/14

火星の女性宇宙飛行士












借りてきた「S-Fマガジン」2010年の10月号。

ご覧のようにSとFの間に記号が入っているのだが、・(中黒)でもなく-(ハイフン)でもなく、右向きの小さい黒三角のようである。

(入力と画面表示が難しいので、ハイフンで代用します)

早川書房発行の「S-Fマガジン」「ミステリマガジン」は、それぞれ月刊だったのが隔月刊になり、前者は偶数月、後者は奇数月に出るようになった。

両者を合わせて、やっと年刊12冊なのである。

SFもミステリも肩身が狭くなってきているのだろうか。

このことである(池波正太郎調)。


この雑誌を借りる目的だった短編『火星のレディ・アストロノート』を読んだ。

作者はMary Robinette Kowal[メアリ・ロビネット・コワル]、原題はThe Lady Astronaut Of Mars、翻訳は酒井昭伸。

コワルは、この作品を先に出してから、長編のThe Calculating Stars(『宇宙【そら】へ』酒井昭伸訳/ハヤカワ文庫SF)を書いた。

『宇宙【そら】へ』では『火星のレディ・アストロノート』から30年を遡った時代(1950年代)が描かれている。

つまり『火星のレディ…』は1980年代の話であり、主人公たち地球生まれの人々が、すでに火星で暮らしているのである。


「S-Fマガジン」2010年10月号は、ハヤカワ文庫SFの創刊50周年を記念する号で、日本のSF作家や海外SFの翻訳家たちが、エッセイを寄せている。

大森望も、その一人である。

彼は記念エッセイの中で、自訳のベストとしてコニー・ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』を挙げている。

黒死病[ペスト]が蔓延している中世の英国に時間旅行した学生の悲惨を描いた作品である。


『火星のレディ・アストロノート』『ドゥームズデイ・ブック』ともに、普通ではない状況設定の中で、普通らしく語られる話なので、いわゆるハードSFとは違って、読みやすい。


 

2021/03/13

S-Fマガジンを求めて

 

久しぶりだけれど、大したことを書くでもなく、よしなしごとを書きまする。


鼻の奥から喉にかけてが不調なのだが、花粉アレルギーのせいだと思われる。

突然発症してから20年、これでもだいぶんましになったのである。

毎日のビタミンCとヨーグルト摂取が効いたようです。


午後、運送屋がレーザディスクを引き取りに来てくれた。

死蔵していた28タイトルを業者に買い取ってもらうのである。

『昼下がりの情事』『おしゃれ泥棒』『華麗なる賭け』など、大好きな洋画中心のコレクションだが、LDプレイヤーがないので、肥やしでしかない。

段ボールひと箱に詰め込んだら、13.1キログラムの重荷になった。


運送屋を帰して、外出。

歩いて隣の市の中央図書館まで行く。

しばらく行かない間に改装されていて、戸惑う。

館員に「月刊の雑誌の棚はどこですか」と尋ねてみる。

何という雑誌かを言うのは気恥ずかしいのだが……

「何という雑誌を、お探しですか」

当然、そう来るわ。

「SMマガ…」ちがうって「エスエフマガジンなんですが」

すぐに案内してもらえた。


いつも利用している、居住地の図書館には『S-Fマガジン(←これが正式タイトルで、SとFの間に記号が入っている)』が置いていないので、ここまで来たのである。

※ちなみに、前は月刊だったのが隔月刊になった

読みたかったのは2020年の10月号に掲載された、メアリ・ロビネット・コワルの短編「火星のレディ・アストロノート」(酒井昭伸訳)。

広域貸出券を使って、借り出す。

広域貸出のシステムを利用すれば、大阪・北摂の7市3町の図書館で本が借りられるのだが、それぞれに貸出券が必要となるので、すべてを利用するにはカードを10枚、持たなければならない。

また、今回利用した自動貸し出しシステムが、我が市のものとは大きく異なっていたことから、他市町でも同様の差異があることが予想される。


所変われば、シスも変わる。

隣市の図書館に本を返却すると、ウイルス対策として72時間は再貸し出ししない、ということであった。

我が市では、どうだったか……?


長居をせず、帰る。

途中、スーパーマーケットで買い物。

八朔があったので即買い。

他では見かけなくなった、ふりかけ「瀬戸風味」(三島食品)も、即まとめ買い。

これは嬉しい発見でした。

ついでに、アップルパイも買う。

レジのおばちゃんの声は、ビニルのカーテンに遮られて、まったく聴こえない。














帰宅後、アップルパイを肴にティタイム。

 


2021/01/24

古いiPad miniとiTunes

 

それらしくない緊急事態宣言下、外出を控えている。

いつも正月に行なっていた墓参りも初詣も、していない。


家にいるのなら片付けをせよ、というわけで、デジタルデータの整理をした。

コンピュータの中のことなので、部屋は片付かぬ。

それぢゃダメぢゃん(春風亭昇太風)。


コンピュータとは、デスクトップPC(Macintoshが2機)・タブレット端末(iPad miniの初代機)・スマートフォン(初代iPhone SE)のことである。

スマートフォンには通信専用のSIMを搭載しているので、キャリアがいうところの音声通話は、できない。

ただし、iPhoneに搭載されているFaceTimeアプリを使えば、お互いの顔を見ながら話ができる。

古い用語で言えば「インタネット電話」である。

SkypeとかZOOMも、同様の仕組みを利用している。


つまるところ、スマートフォンとは通信機能とカメラの付属した、超小型コンピュータということができる。


それはともかく。

iPad miniの動作があまりにも遅く、それを表現するのに、使い古された「亀」を使うのが、ぴったりくる有様である。

ウェブで調べてみると、iOSをアップグレイドする度に上書きを繰り返したために、フラグメンテイション(メモリの断片化)を起こしているようである。

メモリの断片化が起こると、アクセスの速度が落ちて、マシン全体の動作速度も遅くなる……というのはハードディスクだけの現象かと思っていたのだけれど。

それを解消するために、iPad miniを工場出荷時の状態に戻して、OSを入れ直すことにした。

この作業を「クリーンインストール」というが、これをするとマシンのメモリに蓄積したデータ(撮影画像・電子書籍ほか)もクリーニングされて、なくなってしまう。

非常に怖い作業なのである。


というわけで、iPad miniの中身をiCloudにバックアップしておいてから、クリーンインストールを行なった。

ちなみに、iOSのヴァージョンは、このiPad miniで使える極限の9.3.6である。

インストールは、ほぼ無事に終わった。

DropboxとEye-Fiアプリが再現できなかったが、別途再インストールすれば事足りる。

想定していなかったのは、壁紙のデータが消えてしまったことである。

これはオリジナルの画像データをiPhoneからコピーして(AirDropで)、再設定した。



iPad miniの画面
オリジナル画像を設定したホーム画面





ロック時の画面




クリーンインストールした結果、iPad miniの動作は、少しだけ速くなった。
少しだけ……



お次は、古いMac miniから新しいMac miniへ、iTunesのミュージックデータの移行である。

マシン同士をケーブルで直結してデータ共有を行なうのが簡単だが、適当なケーブルが見当たらない。
古いMac mini(のOS)が対応していないので、iCloud経由というテも使えない。
となれば、メディア経由でコピーするしかない。
幸いに、既存のミュージックデータの容量は、さほど大きくない。

外付けのハードディスクドライヴに、旧Mac miniから「iTunes」フォルダを丸ごとコピー。
50GBぐらいをダウンロードするのに、10分以上かかった。

ハードディスクドライヴを新しい方のMac miniにつなぎかえて、先ほどダウンしたデータを同じ名前の「iTunes」フォルダ内にアップロードする。
新機のmacOS Catalinaでは、アプリとしてのiTunesは「ミュージック」と改名されているが、ミュージックデータを収めるフォルダに「iTunes」の名を残している。

慎重を期して、新機独自にダウンロードしたデータとの重複を目視で確認しながら、コピーした。
50GBぐらいのデータならでは、のことである。

「できた!」と思ったものの、ミュージックアプリを起動してみると、アップロードしたデータがライブラリのリストに現われない。
「iTunesLibrary.xml」をコピーしていないせいかも知れない。
また手動で、ライブラリに登録しなければならなかった。




⌘Oで追加していく。バックグラウンドではAbbey Roadを再生中