2021/06/28

沖雅也忌日に寄せて


ウェブを眺めていて、今日が沖雅也の亡くなった日と知った。

知った、というか思い出した。

1983年6月28日、彼の死で直接の影響を被ったのである。

(この話、2020年9月にも書いている……よほど心象に残っていると思われる)


当時、印刷会社の営業マンだった私は、新歌舞伎座のNさんから電話を受けた。

あるいは、出先でポケットベルによる呼び出しを受けて、こちらから電話をしたのかも知れぬ……

Nさんは真っ先に「ニュース見たか」と聞いた。

見ていないと答えると「沖雅也が死んだんや」と絞り出すように言う。

折しも新歌舞伎座では沖が座長を務める公演が開幕間近で、私は、チケット販売の担当課長であるNさんを通じて、印刷の仕事を請け負っていたのである。


劇場や映画館の入場券(=チケット)は「金券(きんけん)」と呼ばれ、紙幣の印刷に準ずる厳格な管理体制の下、作業が行なわれる。間接税の対象ともなることから、税務署から指定を受けた印刷所でなければ、金券の印刷はできないことになっていた。

座席指定の券には個別のナンバリングを行なうので、オフセットでチケット本体を印刷した後に、活版で席番号を加刷していた。

断裁してナンバー順に束ねて製本するが、抜けは絶対に許されないのである。

印刷所には検査室があって、専従の検査係が一枚ずつチェックを行なう。

印刷の各工程で手間のかかる、神経を使う作業だった。


沖雅也公演を間近に控え、チケットは刷り上がっていたのである。

沖雅也公演がどうなったのか……座長に代役を立てて開催したのだったろうか、それらのことは、まったく思い出せない。

憶えているのは、刷り本(印刷が完了した紙)をボツって、一からやり直したということである。

しかも、通常はひと月ほどもかかる全工程を、三倍速でやって、無事納品できた。

私がやってのけたのではなく、印刷現場の人たちが全力を注いで、やってくれたのである。

誇らしく頼もしい現場だった。


沖雅也31歳、新宿京王プラザホテルにて墜死。

「涅槃にて、待つ」という彼の言葉が忘れられない。

 

 

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