2023/02/20

電気あんまだと!

大阪の支援学校の校長が生徒に「電気あんま」をかけて、訓戒処分を受けた(2/18毎日新聞夕刊より)。電気あんまという言葉や行為が、まだ生きていたとは思わなんだ。自分は小学生の頃に実際に体験しているので、それがどういうものか理解しているが、若い人たちは電動のマッサージャかと思うかもしれない。

電気あんまは、言うなれば子どもの遊びである。我われの小学校では、授業の昼休みに教室内で胴馬(どうま)*をやって、負けた方のチームが罰ゲームとして電気あんまを受けていた。と、ここまで打って、Wikipediaをチェックしてみたら、なんと「電気あんま」がありました。「電気アンマを実際に行っている様子」の画像まで掲載されている。なんてこった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/電気あんま

電気あんまが性行為につながるとは、小学生の頃には、まったく思っていなかった。男児同士に限った「おふざけ」であり、度を超したあんまが「いじめ」と、とられるだけだった。Wikipediaの記事中には記載がないが、相手の体を裏返しにして、肛門にあんまをかける技を、当時我われは「ガスあんま」と呼んでいた。

*胴馬:馬跳びをベースにした、チーム対抗の根性比べゲーム。片方のチームのメンバー1が黒板を背にして立つ。チームメンバー2は、立っているメンバー1の股に頭を入れて、馬になる。メンバー3はメンバー2のお尻側から頭を入れて、馬になる。メンバー4以降同様に馬を連らねていく。メンバー数は5、6人である。もう一方のチームが、この馬を跳ぶ。馬の背中に着地する際に、思い切りダウンブロウをかける。馬は体を捩って妨害する。数人が連らなってできた長い馬の上に、数人が数珠繋ぎとなって跨っていく。跳ぶ方のチームは誰かが馬から振り落とされたら負け、馬のチームは誰かが膝や手をついたら負け、という肉体的に厳しいゲームである。


2023/02/18

失敗したんぢゃないの?

韓非子を、たった今まで「かんびし」だと思っていた。つまり「び」の部分が、半濁音ではなく濁音になっているのだが……何十年もの間、間違えて憶えていた。恥ずかしい。

それはともかく。国産初のH3型宇宙ロケットの打ち上げに失敗、という見出しが真っ先に思い浮かんだのだが、宇宙航空研究開発機構(通称:ジャクサ=JAXA)は、これを失敗とは言わなかった。まったく潔くない態度であると、私を含めた多くの人が思っただろう。事後の記者会見の場で、どうしても失敗を認めさせたい共同通信社の記者が「これは一般的には失敗といいます」と言い放ったそうだ。

だが、冷静に考えてみれば、ロケットは実際には打ち上がっていないのだから、打ち上げの失敗ではないと言ってもいいのである。全エンジンが正常に点火して、ロケットが空中に浮き上がった後に高度を維持できず墜落したら、これこそが「打ち上げ失敗」と言えるだろう。後刻、毎日新聞一紙しか拝見していないが、共同通信の失敗言説を採らずに「打ち上げ中止」と報じている。

今回のことから想起するのは「受験に失敗」という言葉である。これなども、受験することができなかったという意味にとれるので、かねて違和感があった。しかし、これをジャクサ式に考えれば、受験できなかったのは「中止」であり、受験はしたけれど不合格だったのが「失敗」と言えるのである。


2023/02/16

湖は餓えて煙る

最近、連続してエセーを読んでいる。伊丹十三から五木寛之へ、そして北上次郎こと目黒考二の『息子たちよ』(早川書房)である。自称・翻訳ミステリ応援団として、その方面の作品ばかりを読んでいる日常からすれば異例のことだけれども、急逝した作者を偲んで、本箱から引っ張り出してきた。家族向けの『プレジデント・ファミリー』誌に連載されていたものを、まとめたものである。二人の息子に対する思い(息子たちよ)をブックガイドに事よせて、あるいはその逆かもしれないが、書かれたものであり、子どもと親の関係がテーマであるからして、目黒考二であるべきところ、北上次郎名義で書かれたものである。『息子たちよ』というタイトルは『女たちよ!』を、まねたのかもしれない。

ちなみに、角川文化振興財団主催の第2回城山三郎賞の候補作となった『昭和残影 父のこと』(KADOKAWA)では、ホン・ミョンボぢゃなかった本名の目黒名義で父君の周辺を書いているので、二作合わせて『目黒家の人びと』上下巻が成立する塩梅である。

『息子たちよ』の中で紹介された作品に『湖は餓えて煙る』(原題:Starvation Lakeブライアン・グルーリー著/青木千鶴訳/ハヤカワ・ミステリ)がある。ブライアン・グルーリーなんて今まで聞いたことがない名前だ。この邦題は、まったくいただけない。読みにくいし、憶えにくい。「みずうみは・うえて・けぶる」なんて、そも意味が判らんではないか。Starvation Lakeはアメリカ・ミシガン州にある湖の名前である。こういう時こそカタカナで『スターヴェイション・レイク』とすればいい。水上勉風に『飢餓湖』でもいいではないか。ともあれ読みたくなって、隣市の図書館から借り出した。2010年9月の初版本は、手垢や折り癖がついておらず、とてもきれいだった。私の勘では、おそらく一回しか貸し出されていない。


2023/02/13

母の受難(二度目)

竹内まりやの歌が延延とリフレインしている。実際には音は聴こえていないけれど、まりやが歌っていて、そのメロディが脳内に流れている。歌詞が「判読」できないのは、脳が記憶していないからだろう。タイトルも思い出せない。後で調べたら「Plastic Love」と判った。YouTubeの検索窓に[竹内まりや ミックス]と打ち込んで、彼女の曲を片っ端から聴きまくるつもりだったのに、2曲目が件の曲だった。簡単すぎるやんか!

それはともかく。母が居室で倒れて、肋骨を折ってしまった。最初は打撲程度に思っていた。じっとしていると痛まないが、動作によっては激しく痛むので、日頃世話になっている外科医院で診察を受けた。私がフットサルの試合で手首を骨折したときに治療してもらった医院でもある。

まずはレントゲン撮影である。次にエコーをあてて診てもらったら、2か所の骨折が見つかった。肋骨骨折の治療は、たいがい「日にち薬」である。折れた所が自然に復元するのを待つしかない。肋の周りに巻くバンドと湿布薬をもらい、帰宅した。

母の骨折は3年前の大腿骨につづいて2回目である。前回は救急車で入院して、手術を行なうことになる大怪我だった。それに比べればましと言わざるを得ないが、心配は尽きない。

私も肋骨を折ったことがある、たぶん。というのは医師の診断を受けなかったからだが、自転車のタイヤが木の根っこを踏んで転倒し、ハンドルで脇腹を強打したのである。かなり痛むので、肋骨が折れていると自己判断して、静養に努めた。痛みは徐々に治まっていった。ところがある日、脇腹で「ペチッ」という大きな音がして、痛みがぶり返したのである。想像するに、ひびが入ったか折れたかしていた肋骨が、やっと元の位置に戻って音が出た、ということだったのだろう。その後痛みはとれて、また運動ができるようになったものである。


「これは……折れてますな」
















骨折箇所のエコー画像

















2023/02/12

天使と死神

好きな映画の中に『天国から来たチャンピオン』(原題:Heaven Can Wait/1978年・アメリカ)『ジョー・ブラックをよろしく』(原題:Meet Joe Black/1998年・アメリカ)がある。両方ともわがオールタイムベスト20に入る作品である。ベスト20に入るって言っている作品が過去にいくつもあって、20を超えてしまっている可能性があるので、そのうち整理・集計する必要がある。

上記の2作品は、ともにファンタジィである。すなわち現実世界にはあり得ない話を映像化している。『天国から来たチャンピオン』では、天使がミスをして、死ぬはずではなかった人を天国の入り口まで連れて行ってしまう。一方『ジョー・ブラック…』では、死ぬことになっている人を、死神が迎えに来るという設定である。あり得ない話であるが故に、娯楽として成立するのだが、人が亡くなる話は、やはり切ない。

在京の小出版社である本の雑誌社を、椎名誠とともに立ち上げた、目黒考二さんが急逝した。ステージIVの肺がんが見つかって、1か月後に亡くなったそうだ。突然の訃報には驚いた。新聞の死亡記事も目にしたが、信じられないのである。天使のミステイクだと思いたい。

そして、アメリカの作曲家バート・バカラック[Burt Bacharach]が逝った。彼は94歳だったので、天寿を全うしたと言ってもいいだろう。死神が予定通りに迎えに来たのである。バカラックは特に好きな作曲家であり、PCのディスクの中にも彼のアルバムが収録されているし、めったにないことだが自伝も持っている。『バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ』(原題:Anyone Who Had a Heart: My Life and Music)には彼の85年の人生が赤裸々に描写されていて、ファンにとっては一読の価値がある。バカラックは映画音楽のフィールドで活躍し、『明日に向って撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)では「雨にぬれても」(同・Raindrops Keep Fallin' On My Head)でアカデミー主題歌賞を受けているが、小生のお気に入りはインストゥルメンタルの「South American Getaway」という軽快な曲である。


毎日新聞掲載の死亡記事






















2023/02/11

パンチと白味

学生の頃、放送局のニュースフィルム編集室でアルバイトをしていたので、パンチ白味(しろみ)も実体験がある。野上照代『天気待ち』に出てくるパンチは、ポジに現像したものの、NGとなったカットが写っているフィルムの齣(こま)のど真ん中に、穴を空けてしまうことを言った。

私が知っているパンチは、OKのフィルムの枠の右上隅に打つものだった。これはすなわち、ある一定時間数のコンテンツを記録したフィルムを映写するときに、その時間数が間もなく尽きるということを、画面を観ているディレクタに伝える合図である。

フィルムの終点から逆算して3秒ぐらいの場所に、一つ目のパンチ穴を空ける。二つ目を終点の直前に空ける。パンチは物理的な穴なので、映写された画面上では白く抜けた穴として見える。ただし、見える時間はおよそ0.1秒。パンチが現われることを知っている人には見える。知らない人にはフィルムの汚れとしか見えないだろう。

ディレクタは、一つ目のパンチを見たところから、3・2・1とカウントして、二つ目のパンチで画面を切り替える。たとえばキャスタの顔をとらえているライヴカメラの映像か、別のフィルムコンテンツに、である。もちろん、これも昔の話なので、今はフィルムがV(ヴィデオ)に置き換わっている。

ディレクタがスイッチ(画面切り替え)するタイミングが遅れると、どうなるか? 画面に白味が現われるのである。動画が記録されているフィルムの終点から後に、黄色っぽい乳白色のテープが、つなげられているからである。この部分は、フィルムをリールに巻き取る際の保護の役もしている。白味のところまで映写してしまうと、画面が乳白色に染まってしまう。これは放送事故として責任を問われる。

スイッチのタイミングを逸しても大丈夫なように、最終カットを長めにしておいたり、最終カットの後に予備のカット(捨てカットと呼ばれていた)をつないでおいたりするのが、編集者のテクニックの一つだった。


2023/02/10

また、風に吹かれて

バターナイフが壊れた。壊れる? Do You こっちゃ。薄い板である刀身を挟んでいたハンドルが取れた。カシメてあると思っていたのに、接着剤で引っ付いていただけのようだ。つまり、ハンドルの素材はプラスチックだということである。購入して、もう何年も経つ。安物であることを承知で買ったのは、祖父が愛用していたナイフと形や色が似ていたというセンチメンタルな理由からだった。祖父のナイフのハンドルはプラスチックではなく、たぶん象牙製だ。今、ツヴィリングが販売している「ボブ・クレーマー」シリーズに装備されているようなものだった。

それはともかく。『風に吹かれて』を読み終わった。五木氏も、こう書いている。「…単語やフレイズが、全くなんの脈絡もなく私の内部から意識の表面に浮び上ってくることがある」。まったく初見同様のエセー群の中に、記憶が鮮明なのが一編だけあった。五木氏が作詞して初めて世に出るCMソングの歌い手として、録音スタジオにやって来たのが15歳の女子学生だったというエピソードである。この歌手の名がビッグになったことで印象が強かったのだろう。


2023/02/05

風に吹かれて

今日フラッシュしたワードは「ホスホリターゼ」だったぜ。きっかけも何もない状態で、ポッと頭に言葉が浮かぶ、この現象(いっそのこと症状と呼ぶか?)を、認知心理学の世界では何と呼ぶのだろう。とりあえず、ワードの方だけをウェブで検索してみる。インタネットは、ありがたい。非常に便利である。ネットに接続するマシン(PC)の発明とともに、人類に大きな貢献を果たしたのである。ノーベル賞ものであるが、受賞は、していない。該当する部門がないから、である。しょうもない。

それはともかく。ホスホリターゼという言葉は、なかった。見つかったのは一字違いの「ホスホリパーゼ」だった。Wikipediaによれば「リン脂質を脂肪酸とその他の親油性物質に加水分解する酵素」とある。そう聞いても何のこっちゃか分からない。関係があるとすれば、駆除する必要があってスズメバチのことを調べた際に、ハチ毒=ホスホリパーゼA2という文字列を見た(記憶はない)ことだろうか。

前置きの方が長くなってしまった。『風に吹かれて』は、ボブ・ディランの歌と関連性が、あったのだろうか。五木寛之の同名のエセー集(『週刊読売』に連載されたコラムを一冊にまとめたもの)を読むと(高校生の頃に、こんなものを読んでいたのか)と思う。こんなもの、という言葉には作品に対しても自分の読書傾向に関しても、批判的な意味合いはない。すっかり忘れていた過去の読書体験が甦ったことへの感慨が、あったばかりである。勘定してみれば、半世紀前のことになる。これほどまでに内容を忘れていれば、ほとんど初めて読むのと同じである。伊丹十三選集を読みながら、これは読んだことがある、とすぐに思い出せるのとは大違いである。

■メガブログまで、あと1

2023/02/04

ビニ本になった伊丹十三

最近、講談社文庫がシュリンクパックになって売られている。カバーの表面は透かして見ることができるものの、中身(本文)を検めることはできない。どんな内容かは、ウラスジ(ヒョウヨン=表4部分のカバーに印刷されている粗筋)から窺い知るしかない。こういう仕掛けのことを「ビニ本」と呼んだのは、もう半世紀前のことになる。

およそ三年前に、伊丹十三選集・全三巻が岩波書店から発行された。いっぺんにではなく三期に分けて。梅田の紀伊國屋書店、蔦屋書店、地元のT書店で一冊ずつ購入した。これらがすべて「ビニ本」だったのである。中を見せてくれ! せめて見本に一冊、フィルムを脱がせたのを置いといてくれ、と思ったものである。現在まで伊丹十三選集の三巻は、フィルム(たぶん、P.P.=ポリプロピレン製)を被ったまま、我が本棚に積まれている。

実は、積ん読のまま、中身だけを読んでいる。バット、ハウ? 地元の図書館の棚に同じ本があったのを見つけて、借り出してきたのである。このエピソードを書いていて、知り合いのフィギュアコレクタが同じものを二つ買い、一つは開封しないで保存し、もう一つは開封して手にとって弄ぶ、と言っていたことを想い出した。











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2023/02/03

ブックオフにて

自分は潔癖症であるからして、図書館の本とか古本が好きではない。それでも昔発行された本を読みたくなった時は、仕方なくそれらを利用する。

ヘンリー・ウィンターの『フットボールのない週末なんて』(原題:Can't Live Without Football/山中忍訳/ソル・メディア/1,760円)は、何年も前から読んでみたいと思っていたタイトルではあったが、フツーの書店では、あまり見かけない、特殊な趣味人(フットボールファン)だけのための本であった。一度は大阪・難波の大書店で発見したのだが、美本ではなかったので購入を見送った。これもまた潔癖症のなせる業であった。

そうこうしているうちに『フットボールのない週末なんて』が古本市場に出てきたのである。ウェブ検索にヒットした『フットボール…』は税共220円、販売元はブックオフさんであった。早速カートに取り込んで購入手続きを行なった。店舗で引き取れば送料は不要である。同じ市内に店舗がなかったため、隣市の店舗を指定した。

後日受け取った『フットボール…』は、おそらくsecond hand(ここでは、自分が二人目の所有者という意味)なのだろう、ほとんど手垢のついていない、きれいな本であった。そうして、ついでに店内を渉猟するうちに、余計なものを買ってしまうのも世人の常であろう。今や作家名のインデクスも立ててもらえぬほど落魄した五木寛之のエセー『風に吹かれて』(角川文庫/ブックオフで110円)と、フォードGT40と思しきミニカーのジャンク(これも110円)も手に入れた。

『風に吹かれて』を高校時代に読んで、五木作品のファンになった。エセーの他にも『ソフィアの秋』などを読んで、小説の舞台になっている東欧圏に興味を抱いたものである。その頃、同級生には筒井康隆に熱中している奴がいた。1972年ごろの話である。


























































2023/01/30

野上照代:完本 天気待ち

伊丹十三のことが書かれていると知ったので、図書館で探して、借りた。正式なタイトルはもう少し長い。『完本 天気待ち/監督・黒澤明とともに』(草思社文庫)というのである。著者の野上照代さんは、映画の記録係兼制作助手を長く務めた人である。記録係のことを日本ではスクリプタと呼ぶそうだが、撮影中つねに監督の傍にいて、メモを取る。役者がどちらの手にタバコを持っていたか、というような細かいことを記録しておいて、次のカットで役者が別の手にタバコを持っていたり、またはタバコを持っていなかったりするまま撮影してしまうミステイクを、未然に防ぐ。つまらないけれども非常に重要な仕事である。

野上さんは黒澤監督について仕事をすることが多かったから、この本ができたのだが、黒澤明とてブッ続けに映画を作っているわけではないので、合間には別の監督と仕事をする。要するに、映画制作会社所属のスクリプタというわけである。彼女は最初、伊丹万作(本名は池内義豊)についていた関係で、息子の義弘や娘のゆかり(後の大江健三郎夫人)とも交流があった。万作は早逝し、野上さんが一時期義弘の面倒をみたという話である。

彼は義弘と名付けられたが、通常は岳彦(たけひこ)、タケちゃんと呼ばれ、長じて伊丹十三を名乗る。十三の名は最初一三(いちぞう)で、東宝(東京宝塚劇場の略)と関係のあった頃に、創業者の小林の名をもらったそうである。

伊丹十三のエピソードさえ読むことができればよかったのだが、黒澤監督の映画作りの詳細が具体的に書かれているところは、そえを上回る面白さで、もちろん分量も多い。パンチとか白味(しろみ)、ダビングなどは自分自身が放送局のフィルム編集室でアルバイトをした時に経験したことなので、情景がまざまざと頭に浮かぶのである。

黒澤監督は天皇と呼ばれることがあったが、本書では天皇というワードは一切出現しない。

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2023/01/23

右側に心臓がある

母へのお年賀として、今年も図書カードNEXTを贈った。自分はクレジット派だが、買い過ぎるのが怖くて、なるべく本屋には近付かないようにしている。それでも、行ってしまう。

母の従妹が、心臓が右側にある人だったので『僕の心臓は右にある』というタイトルが目についた。著者の大城文章(おおしろ・ふみあき)さんは兵庫・伊丹高校在学時の行事で、自分の心臓が右にあることを手紙に綴って、風船で飛ばす。御影の女子小学生が風船を拾って、返信する「私も心臓が右にあります」。二人は会って、互いの胸をまさぐり、心臓が右にあることを確認し合うのだが、大城さんが変態と間違われて、その場で補導されてしまう。大城さんから事情の説明を聴いた警察官「なんや、ええ話やないか」。

内臓の位置が左右反転しているのを内臓逆位というそうだ。現在、大城さんは吉本興業所属でチャンス大城という名のピン芸人として活躍中。私は彼の自伝のプロローグだけ読んで、買わずにすませた。

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2023/01/22

手帳物語・4

単語が唐突に、何の脈絡もなく頭に浮かんでくる。この間は「カルタヘナ」だった。あらためて調べてみると、スペインとコロンビアに同名の都市があった。また、遺伝子組み換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律{通称:遺伝子組み換え(生物等)規制法}のことを、最初に話し合いがされたコロンビアの地名に因んで「カルタヘナ法」と呼ぶらしい。過去にどこかで聞き知ったのだろうが、突然思い浮かぶ理由は判らないのである。

印刷会社から広告制作会社(いわゆるプロダクション)に移籍して、アシスタントディレクタになった。略してADである。私をスカウトした社長(大学の同級生)は、お前の印刷に関する知識と営業センスを活かしてくれ、大企業のシステムについても教えてほしい、と言った。私にセンスなどなかったのにである。あるとすれば、それはエゴコロであった。

広告の仕事はグラフィカルなものから、実際に人間が現場で動くイヴェントまで多岐にわたる。各各に企画があり、企画書に基づいたデザインが構築される。企画立案を専門にする者はプランナ、売り文句を考案する者はコピーライタ、写真を撮る者はフォトグラファ、画を描く者はイラストレイタ、画面構成を行なう者はデザイナ、というように担当が分化されているのだが、ADとして、写真以外の仕事は、すべて経験させられた。事務所にフォトグラファはおらず、必要のある時は写真事務所からプロのカメラマン(=フォトグラファ)を雇う。そのカメラマンに、ああせいこんな画を撮れ、と指示をするのがディレクタという仕事であった。映画製作でいえば監督が、これにあたる。他のディレクタと区別するために、クリエイティブ・ディレクタ(略してCD)と呼ぶことが多い。

ADになって、デスクワークが主になった。御用聞きではなくなったので、内ポケットに手帳が入った背広を着ることもない。企画やデザインをするのには大きな紙面がよかろうと、思い切って大きなノートを用意した。A4サイズのルースリーフ(ルーズ、は誤り。だらしないの意味のルーズも正しくはルース)なので、もはや「手帳」とは呼べない大きさだった。


コンパクト手帳からA4のルースリーフノートへ。
キングジム製のバインダは、貰い物だった。












30穴のルースリーフノート。
(記載例は当時のものに非ず)


2023/01/21

RX100:ステップアップリング装着

RX100のレンズにフィルタを取り付けるために、ステップアップリングというものを利用する。このリングは、例えば口径が43mmのフィルタを取り付けるべきレンズに、49mmのフィルタを付けるためのアダプタである。レンズ側に43mmΦのオスネジ、フィルタ側に49mmΦのメスネジが装備されている。

RX100のレンズにはフィルタを取り付けるためのネジが切られていない。そこで、適当と思われるサイズのステップアップリング(フィルタ側のネジは49mmΦ)を入手して、レンズ側のオスネジは削り取ってしまう。アダプタとなるリングとレンズは、両面テープで接着するのである。そんなので大丈夫かと思うが、SONY自身のフィルタアダプタも、両面テープで設置する方式なのである。



SONY製のアダプタ(のベース部分)を取り外す

















両面テープの残り滓










ヨドバシ.comでマルミ光機というメイカーの43-49mmステップアップリングを購入、メイル便で送ってもらった。予定どおりオスネジ部分をヤスリで削り取ったが、レンズとの現物合わせの段階で、両面テープを貼り付けるスペースが足らないことが判った。急きょAmazonで、同じマルミの37-49mmのリングを買い直した。


37-39mm ステップアップリング(ネジ部を削る前)










ネジ部を削り取った後










レンズ外側の枠に点点と両面テープ(厚さ0.15mm)を貼り、ネジ部を削って平たくなったリングを圧着する。完成形は、SONY製のフィルタアダプタ装着時よりもシンプルだった。




ステップアップリングを圧着

















フィルタを取り付けた状態
















2023/01/14

手帳物語・3

(承前)

1982年の読書記録を見ると、エド・マクベイン赤川次郎の名前が頻繁に現われる。マクベイン24冊、赤川次郎18冊であった。他には矢作俊彦トマス・チャステインロバート・B・パーカーの名も見える。11月19日金曜日には『三毛猫ホームズの怪談』(赤川次郎)と『唐獅子株式会社』(小林信彦)の2冊を読んでいる。『唐獅子…』の方は再読に違いない。初読は通学の電車内で、笑いをこらえるのに難儀したことを記憶している。最も印象に残っている一冊である。

日本洋紙商連合会からいただく「紙屋の手帳」は、重宝したけれども、装幀がよくなかった。表紙がヴィニルで、それはまあいい。コンパクトサイズの手帳の表紙は、どれもそんなものだ。ただし、色が群青で、表面が梨地加工してあり、そのため手触りが悪く、凹面に微細なゴミが付着して、醜く汚れたのである。

営業部に7年勤務した後、印刷会社を離れ、紙屋の手帳とは縁が切れた。


2023/01/13

手帳物語・2

(承前)

1982年の最後に観た映画は『E.T.』だと手帳に記録してある。12月4日土曜日、小屋は大阪・東梅田のピカデリー1である。当時勤務していた印刷会社は週休2日制を、まだ採用していなかったので、退勤後に観に行ったのだろう。

大阪の駅前の、その下に蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下街があって、東のドン突きから上がったところに「松竹会館」があった。この辺りには郵政省が所有している不動産が多くあり、松竹会館が入るビルも「梅田郵政互助会ビル」というのが正式な名称だった。会館の中には梅田松竹・梅田ロキシー・ピカデリー1・ピカデリー2という四つの劇場が入っており、今でいうシネマコンプレックスの縦積みヴァージョンだった。

親会社の松竹が印刷会社の得意先であり、私が担当営業マンだった。その役得で、劇場にフリーで入場できるパスを預かっていたのである。映画ファンの自分にとって、この上ない幸せであったが、多忙な時期だったので、あまり利用する機会はなかった。ただし一度だけ、観に入った作品がつまらなくて途中で退席して、別の階の劇場に入りなおしたことがあった。パスがなければ、できないことである。

ピカデリー1で観た『E.T.』が19本目で、17と18本目が『天国から来たチャンピオン』『シャーキーズ・マシーン』と書かれている。日付は12月1日・映画の日。この頃から映画の日に入場料の割引が始まっている。小屋は大毎地下劇場。いわゆる二番館なので、もともと入場料は安かったはずである。

大毎地下劇場の大毎とは、大阪毎日の略称である。劇場の入り口のあった堂島地下街から地上に出ると、そこには毎日新聞大阪本社の建物が立っていたのである。

『天国から来たチャンピオン』(略して「天チャン」と呼んでいる)は1978年製作のアメリカ映画で、我がオールタイムベスト20に入る作品である。付録のようなものだった『シャーキーズ・マシーン』は1981年作で、バート・レノルズ主演・監督の刑事もの。

ちょっと待て。12月1日は水曜日ではないか。仕事が終わってから二本立ての映画を観に行く余裕があったのだろうか。

2023/01/12

本の雑誌版・偏固ジャーナル










2023年2月号の「三角窓口」欄に拙稿が採用された。2か月ぶりのことである。タイトルは偏固ジャーナル[七福神シンジケート号]。7人の書評家がそれぞれ毎月一冊の「推し」を紹介するウェブサイト企画のことを書いた。同号のアンケート「私の本買い体験!」にも回答したのだが、そちらは不採用だった。例によって、このブログにてリサイクルする。


☆昔、トアール印刷会社で図書係を務めました。カンティーン(大食堂)脇の少し広いめのアルコウヴに売店と図書コーナーがありました。そのコーナーに収める本を買ってこい!と指令が下されたのです。予算はウン十万円、社員からリクエストを募り、お金が余ったら、私と、もう一人の女性図書係で好きな本を買っていい、という有り難き幸せです。

 会社のライトヴァンを借りて、取り引きのあった梅田の百貨店に買いに行きました。今はなき書籍部です。リクエストしてあった本たち(私の好のみと全く合致しない)を車に積み込んだ後、図書係二人で台車一杯に本を買いまくりました。私が選んだのは赤川次郎が少し、あとは翻訳ミステリばかりだったのは、言うまでもありません。

(武田伴兵衛・翻訳ミステリ応援団65歳プラス2・豊中市)

■メガブログまで、あと10


2023/01/10

RX100:フィルタアダプタ壊れる

最近もっともよく使っているカメラがSONYのCyber-shot RX100である。何よりも、写りが最高に良くて、本体サイズが小さいので(外形寸法:101.6 × 58.1 × 35.9mm)、常に携行している。スマートフォンに付属しているカメラ(単眼)も、かなり優秀だが、RX100には到底及ばない。写りの良さの理由は、レンズがZEISS製だというところにある。SONYのデジタルカメラが概して高価で不評を買っているのも、ZEISSのレンズを採用していることが関係している。RX100の最新モデルであるVII(マークセヴン)は、およそ17万円である。コンパクトカメラの値段とは思えない。

カメラの命はレンズである、と断言しても差し支えないだろう。CanonさんやLEICAさんのカメラが、いくら優れているといっても、ZEISS産のレンズを搭載しているカメラには敵わない。「餅は餅屋」であって、レンズはやはり光学メイカーの製品がカメラメイカーのそれに勝さる。Pentax(旧・旭光学)しかり、Nikon(旧・日本光学)もまたしかり、である。ちなみに、日本光学が目標としていたのはZEISSのレンズだったということである。

フィルタアダプタの話だった。コンパクトデジタルカメラのレンズには、通常、フィルタは取り付けられない。ところが、RX100が優秀だったが故にメインのカメラとして使いだした写真家を中心に、レンズにフィルタを装着するという需要が喚起された。そこで生まれたのが、カメラのレンズとフィルタの間を取りもつ「姑息な」アダプタである。カメラのレンズカバー部に両面テープでベースを貼り付けて、その上にプラスチックのリングを重ねて、フィルタをねじ込む。ちょっと頼りない仕組みのものだが、これもまた何千円もする製品なのである。

それなのに、壊れた。上述のリングはプラスチックのバネ仕掛けになっているのだが、バネが折れて飛び出して、ベース部分にしっかりとホールドできにくくなってしまった。修理は、できそうにない。生産終了品なので買い直すのも難しい。さて、どうするか……。ステップアップリングというものをレンズカバーに直接貼り付ける方法を模索しているところである。


矢印の部分が折れて飛び出している
















フィルタ、アダプタ、カメラ本体(左から
















アダプタとフィルタを装着したところ
















2023/01/09

手帳物語・1

今日、頭に浮かんだ言葉:エグザジャレイション。何じゃこりゃあ。我ながらそう思って辞書をパッと開いた、最初のページでヒットした。なんたる偶然。exaggerationとは「誇張」という意味であった。

それはともかく。学生の頃に手帳を使っていた憶えがない。もちろん講義を受ける際には「大学ノート」を使っていたのだから、それに何でもかんでもメモっていたに違いない。ノートのサイズはB5だったはずである。

大学で芸術を学んだはずが、印刷会社に就職して営業マンになってしまった。お得意先で御用聞きするためには、手帳が必須のツールとなる。日本洋紙商連合会からいただく手帳を、毎年使っていた。紙面のサイズが85×143ミリメートルの、いわゆるコンパクトサイズである。営業マンの背広の内ポケットに収めるには、この大きさでなければならない。

日本洋紙商連合会の手帳で重宝したのは、印刷用紙に関するデータ集が巻末に付録されていることだった。用紙の銘柄、規格サイズ、重量、その他諸々が一覧表になっているのである。

手元に残っている手帳を見ると、本文にあたるページには、なぐり書きのメモがアトランダムに並らんでいるが、月間予定表の欄には、読んだ本・観た映画の名前が列記されている。例えば1982年1月4日の欄には映画『レイダース』@北野劇場『死にざまを見ろ』byエド・マクベイン、とある。この年、本を127冊読み、映画を19本観ている。まだ、レンタルヴィデオ屋さえなかった時代の話である。


















2023/01/08

デブラ・ウィンガーを探して

デブラ・ウィンガーは『愛と青春の旅だち』(1982年)に出演して、アカデミー賞の主演女優賞にノミネイトされた。1995年に、いったん映画の世界からは姿を消して、そのまま引退したと思っていたので、パスーツ(追跡)していなかった。

ところで、またもやU-NEXTさんのご厚意に甘えて、正月から映画三昧である。ダスティン・ホフマン出演の『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』(2014年)を観た。主人公の少年が通う学校の校長が、デブラ・ウィンガーによく似ていた。ウィンガー本人だった! 俺に断わりもなく、帰ってきてたんかい。

遅れ馳せながら調べてみると、女優のロザンナ・アークエットが、憧れの女優であるウィンガーを探して旅をするドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)を撮っていたことが判った。アークエットはウィンガーに会うことができ、このことによってウィンガーは映画界復帰のきっかけをつかんだようである。

『ボーイ・ソプラノ』の原題のBoychoirは、少年合唱団という意味である。合唱団の指導教官が「ボーイ・ソプラノという声は、ほんの束の間、神様から借りる声だ」と生徒に言う。どの生徒も声変わりによって、その声を奪われる。クワイヤボーイにとっては残酷だけれども、避けることはできない。


2023/01/07

一糸まとわぬ

全裸のレア・セドゥを『フレンチ・ディスパッチ*』で観ることができる。彼女は『007 スペクター』と『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で主人公の相手役を演じた、いわゆるボンドガールの一人である。シチュエイションによっては美しくも醜くも見える、不思議な女優である。『フレンチ…』ではピュービックヘアも露わに脚立の上に立つ全身が投映される。横長のスクリーンなので画面一杯にというわけではないが、圧倒される。レア・セドゥは着痩せするタイプだ。

『フレンチ・ディスパッチ』を知ったのは自転車愛好家向けの無料の季刊紙『サイクル**』の2022年夏号によってである。映画の中に自転車が登場する、というだけで観る価値は充分にある。それよりも、架空の週刊誌『フレンチ・ディスパッチ』を舞台装置として設定し、そのコンテンツを映像化して(一部にアニメイションも)オムニバスに載せたというところが面白い! まるで実際に発行されたかのようにバックナンバの表紙イラストが続々と出現するのだが、いずれも素晴らしい出来栄えで、これが架空の雑誌だとは、なんともったいない。

*原題:The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun、公開:2021年10月(米国)、監督:ウェス・アンダーソン
**cycleweb.jp

2023/01/01

Happy?

謹賀新年

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メガブログ(投稿一千回)まで、あと15