2021/08/15

終戦記念の日(落穂拾い)

 

ボツ原稿復活(落穂拾い)の連続、本日第二弾。

『本の雑誌』の読者アンケートに答えて書いた原稿を、ちょうど終戦記念日なので、ブログに公開する。

今日たまたま目にした、ある人(僕より年長)のツイッターに「日本は世界に誇れる国になった」と書かれていた。

そうかなあ。

第二次世界大戦の敗戦国となって以来「残念な国」であり続けているような気がするのですが。


▼以下は、お薦めの海外ノンフィクションの紹介。

大日本帝国の興亡〔新版〕全五巻

ジョン・トーランド著/毎日新聞社訳/ハヤカワ文庫NF

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☆戦後七年も日本が米軍に占領されていたことは、忘れられているのではないでしょうか。日本をアメリカ化するために文書のローマ字つづりを強制する計画が、あったそうです。また、日本全島をアメリカの在外農場化してしまう計画も。まるでSFのような話ですが、ノンフィクションです。

 以上のことは『大日本帝国の興亡』には【書かれていません】。この本には大日本帝国が第二次世界大戦を、いかに戦い、いかに砕け散ったかがリアルに記されています。それがリアルと信じられるのは、著者トーランド(戦時中はアメリカ陸軍大尉)が、主に東と南のアジアで五百人から聴き取った話を基にして書き上げたということからです。

『大日本帝国の興亡』(原書は一九七〇年刊のThe Rising Sun: The Decline and Fall of the Japanese Empire, 1936-1945)をイチオシする理由は、文庫本で読める・さほど頁数が多くないので通史としては読みやすい・ピュリツァー賞受賞作(1971年)である、こと。モノクロの写真に原色のタイトルを配したカヴァデザインも気に入っています。

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新書めくったった号(ボツ原稿より)


「偏固ジャーナル」というタイトルで、毎月『本の雑誌』に投稿している。

読者が投稿できるスペースには二つあって、1)読者へのアンケートに回答する欄、2)「三角窓口」という名の、投稿専用欄である。

1は、本の雑誌編集部からの依頼原稿(テーマあり)という扱いなので、採用されると、掲載誌が送られてくる。昔は原稿料として図書カードも、もらえたのである。

2は、読者から編集部への持ち込み原稿(テーマなし、または本に関するエピソード)である。これは一種のチャレンジであって、小雑誌といえども商業誌に掲載されれば、それはハッピーなことである。

原稿採用率は、正確に勘定をしていないけれども、三割ぐらい。

ボツ原稿がもったいないので、ブログに出してみることにする。

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△偏固ジャーナル[新書めくったった号] 

『少年は世界をのみこむ』『シッピング・ニュース』(後者は少なくとも三度目)を続けて読んだら、すごくよくて、余韻から離脱できない状態に陥ってしまった。

 そんな時、実家の母から手渡されたのが『在スス』(文春新書)です。髪が真っ赤(今は真っ青かな?)のチヅちゃんが書いた本です。独りで死ぬためのマニュアルを期待していたフシのある母は「思ってたのとちゃう」と言ってましたが。読んでみると、介護保険のCMでした。

 そんな母に連れられて(小学生の時です)広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)を観覧しました。その時のショックが今も忘れられません。ちなみに母はその頃集会でバーバラ・レナルズさん(反原水爆運動家、故人)に会ったこともあるそうです。

 ふだん新書を読まないのに書店で『広島平和記念資料館は問いかける』(志賀賢治著/岩波新書)を買い求めたのは、そんなセンチメンタル・リーズンからです。この本によると、資料館の展示は現在までに何度もアップデイトを重ねているようです。チャンスがあれば、また観に行きたいと思います。泣くかもしれんけど。

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2021/08/13

暗くなるまで待てない!

 

未来が見えない。

当たり前だ(のクラッカー、と心の中では続く)。

自分の往く先が見えない。

昔のことを、よく思い出す。

人生が終わりに近づいたことを予感させる。


『暗くなるまで待てない!』は1975年4月公開の映画である。

若き大森一樹監督が16ミリで撮った、自主制作映画である。

2008年のデジタル・リマスター版が手に入ったので、観賞した。

以前に観ているが、断片的にしか憶えていなかった。


公開から一、二年して、友人のJと『暗くなるまで待てない!』の自主上映会を企画した。

大学の二回生か三回生の頃のことである。


Jと二人で、芦屋にあった大森の自宅を訪ねた。

何を話したか、何の記録も残っていないが、大森の靴下に大きな穴があいていたことだけが印象に残っている。

上映会は二本立てで行なうこととし、『暗くなるまで待てない!』の相方に『青春の蹉跌』(1974年6月公開)を立てたのである。

『青春の蹉跌』は石川達三の小説の映画化(神代辰巳監督)であり、萩原健一と桃井かおりが主演を務めている。

萩原(サブちゃん)と桃井(恐怖のウミちゃん)のコンビは、1975年に始まったテレビドラマ『前略おふくろ様』へと引き継がれる。


『暗くなるまで待てない!』の劇中、大森自身が扮した映画監督が、ある女優を指して言う「桃井かおりよりもいいよ」という台詞を、今回の観賞で確認した。

そのことを知っていて、Jは、『青春の蹉跌』を二本立ての相方に選んだのか、と今さらながら気づくのである。


上映会の場所には御影公会堂を選んだ。

人も集めた。

そろそろ上映を始めようという頃に、大きな問題が発生した。

映写機のレンズに付けるワイドコンバータが、なかったのである。

『暗くなるまで待てない!』は通常の16ミリ作品なので、コンバータを装着しない状態で問題なく映写できる。

ところが『青春の蹉跌』は劇場公開版の16ミリヴァージョンで、通常の16ミリの画面よりも横長(ワイド)だったのである。

すなわち『青春の蹉跌』を、正しくワイドな画面で映写するためには、ワイドコンバータが必要だったのである。


今からコンバータを借りに行っている暇は、ない!

我々(上映会の学生スタッフ)は来場者に、わけを話してお詫びして、コンバータなしで『青春の蹉跌』を上映したのである。

スクリーン上には、左右寸詰まりのショーケンと桃井かおりが映ることになったのだが、そんな映像にも慣れることができるということに気づいた。

さらに後で気づいたのだが、コンバータを装着してワイドに映写できたとして、公会堂のスクリーンの左右から映像がはみ出さなかっただろうか……ということである。


『暗くなるまで待てない!』は、そんなほろ苦い思い出を伴なう映画である。

1974年晩秋(撮影当時)の、神戸近辺の風景や風俗が映り込んでいて、記録的な価値もある。

クレジットされている鈴木清順以外に、神戸女学院の学園祭(1974年11月2日)でステージに立つ野坂昭如の映像も記録されている。