お盆とはどういう意味か。
「盆」という字自体には、この仏教儀式の意味は見出せない。
なぜならば、梵語の音に漢字をあてているだけだからだ。
要するに、亡くなった人たちを、お寺に集まって偲ぶ会のことと思えばよろしかろう。
菩提寺のKでは、ご多分にもれず「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をこの時期に開催し、檀家信徒衆を一堂に集めている。
わが家は、この混雑を嫌い、わざと法要の当日を外して墓参りに行くのを最近の常としている。
母は、体がえらいと言って、ここ二年は来ていない。
さもありなん、盛夏の墓地ときたら、灼熱地獄(おっと失礼)である。
墓参りに来て倒れられたりしたら、大変だ。
という訳で、単独で墓参する。
あらかじめ、出発地近くで供花を買い求め、地下鉄に乗り、大阪市内某所のK寺まで行く。
時刻は午後三時ごろ、太陽が真上をやや通り過ぎるのを見計らってのことである。
武田家の墓は、隣り同士の分家のものを合わせて八基あるので、掃除も大変だし、供花の数量も尋常ではない。
体力も経済も消耗する道理である。
武田家の出の叔母が、六月に突然亡くなった。
独居しており、訪問してきたヘルパーによって発見された。
多分心臓発作を起こしたのだろうという医師の見立てだった。
叔母の兄である私の父も、独居中おそらく急性心不全という亡くなり方だったので、血は争えない。
叔母にとっての初盆にあたるが、彼女はカソリック信者になったため、お盆らしい儀式はなされない。
墓地の隣もまた、お寺である。
向かいも、そのまた隣もお寺である。
この辺は寺町なので当然だ。
隣の寺の方が羽振りがよくて、三階建ての宿坊を新築中なのである。
その三階に取り付けるはずの樋受け金具が、屋根の端から落ちて、こちらの墓地の塀の上に突き刺さっていた。
墓参りを終えて帰る途中、引き抜いておいた樋受けを、隣で作業中の棟梁に届けた。
「隣の寺の檀家のもんですが、こちらの墓地にお宅の樋受けが落ちてましたで」
「はあ、それはえらいすんません」
「人に当たらんでよかったですな」
嫌味を言って去る私。
仏の心は、いずこ。
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