2017/06/30

熱烈歓迎復職ジョン・リーバス-->


終わったと思っていた探偵小説のシリーズが復活するほどうれしいことがありますかっ。
シャーロック・ホームズの帰還、しかり。
イアン・ランキンのジョン・リーバスの復職、しかり。

リーバスはスコットランド警察のどこだったかの犯罪捜査部に、かつて所属していた警部である。
どこだったか……のところが曖昧なのは、リーバスがあちこち異動していて、ここに羅列するのは不可能だからだ。
そもそもシリーズの全作が翻訳されていないのだから、その間にリーバスがどこにいたか、わかったものではない。

『他人の墓の中に立ち』(ハヤカワのポケミス)を最後に、作者のランキンはリーバスを退職させて、物語のシリーズも終わった。
終わったはずだった。






ランキンはその後、同じスコットランド警察を舞台にした新しいシリーズを書き出した。
そのはずだった。
新シリーズの主人公はマルコム・フォックスという名の警部補で、内部監察室に勤務しているという設定だった。
こちら側の作品は、別の訳者によって別の出版社から出されたのである。

いかんせん、マルコム・フォックスは物語上の嫌われ者(警察の警察)というキャラクターもあって、ジョン・リーバスの人間的魅力を上回れなかった。
そこで作者としては、幸いにして舞台が同じスコットランド警察の中だったので、マルコム・フォックスのシリーズにリーバスを登場させて、料理にスパイスを効かせようとした。
というのは、わが想像だけれども。

結果的にはリーバスが主人公の新作『寝た犬を起こすな』がハヤカワのポケミスで出て、マルコム・フォックスのシリーズの方が吸収されたのである。
横道にそれるが『寝た犬を…』というタイトルはあかん、と思うのである。
原題は『Saints Of The Shadow Bible』。
聖人たちというのはリーバスを含む、昔警察官だった人たちのことで、影の聖書はシャドウ・キャビネット(影の内閣)と同様の、表には出ない書物のことである。
すなわち、個人的には『影の聖人たち』でええやないか、と思っているのである。

マルコム・フォックスの人物描写について。
訳者が変われば、これほど変わるのか、というほど別人の感がある。
勤務先も「監察室」だったのがハヤカワ版では「苦情課」になっている。
元のワードは同じ「complaints」のはずなのだが……

それはともかく。
ご都合主義であれ、こちらとしては大歓迎なのだが、リーバスは警察に復職。
マルコム・フォックスと対峙する。
リーバスがボケて、フォックスが突っ込む。
こういう図式であれば、フォックスが生きる。
そう作者は気づいたのではないだろうか。
 

2017/06/16

カンテ風のチャイを自作した-->


紅茶党になって40年ぐらいになる。
そのきっかけとなった喫茶店が「カンテ・グランデ」である。
カンテ・グランデは大阪・中津で1972年にオープンした。
初めて行ったのは、その翌年ぐらいのことだと記憶している。
高校の同級生のお姉さんが紹介してくれた。

カンテは、一軒家の庭に建てられた離れといった風情だった。
風変わりな建物で、四つ角に面しているのだが、道路に面した二つの壁には、それらしい窓がなかった。
角にあたる部分にスウィングドアの入口があり、中に入ると山小屋の雰囲気である。
壁の一部は石積みになっていて、むき出しの梁が頭上を覆っている。
植物の生い茂る中庭に向いている側は一面のガラス戸だった。
ロフト風の中二階席があり、そこだけに南から光の入る窓がある。
薄暗い店内はもちろん、喫茶店向けにプランニングされたことに違いない。

オウナーの井上温さん(ヤスシと読むらしいが、オンさんと呼んでいた)と話したことがある。
こういう建物で暮らしてみたいと言ったら、維持費が大変なんですよと言われた。

最初に何を注文したか、まったく憶えていない。
紅茶の専門店なので、コーヒーでなかったことは確かだ。
しかし、レモンティなどというものは、この店には存在しない。
小さなピッチャに入ったフレッシュが添えられたミルクティも、ない。
ロイヤルミルクティもテ・オレという言葉も通じない。
この店ではミルクティのことはチャイと呼ぶ。

ミルクが入っていなくてもチャイ(=茶の意)と呼ぶが、それはまあいい。
ストレイトの紅茶をオーダーするときには、銘柄を指定しなければ始まらない。
有名どころでいうとダージリン、アッサム、の類いである。
多くが、産地の名前である。
キーマン(中国)、ディンブラ(スリランカ=セイロン)、ニルギリ(インド)など。

珍しさゆえに、片っ端から試してみた。
もちろん何度も足を運んで、である。
そのうちに、ディンブラ一辺倒になった。
コクがあって色濃く、パワフルなお茶である。
カンテではポットでサーヴィスされる。
一杯目をストレイトで味わって、二杯目はミルクと砂糖で楽しむのが習慣になった。

その後、就職や転居があって行動範囲も変わり、カンテから足が遠のいた。
その間にカンテにバイトに入って、後に社員となったのが神原博之(かんばら・ひろゆき)氏である。
ウルフルズのトータス松本くんが神原氏によってバイトに採用されたのは、そのまた後の話。
だから、松本くんの作ったチャイを、僕は飲んでいない。

次にカンテを訪れたとき、山小屋風(内側の感じ)の建物はなくなっていた。
井上さんの地所には高層のマンションが新たに建てられた。
かつてのカンテがあったところはサンクン・ガーデンになり、その庭の横にあたる、マンションの地下一階部分にカンテの新しい店が作られたのである。
地階だけれども、陽光が直接降り注ぐ、明るい店になった。

新しいカンテでマネージャに昇進していたのが、前述の神原氏である。
一時期親しくしていただき、事務所にまで入り込んで話をしていたことがある。
なんといっても、神原氏よりカンテとのつき合いは古いので、話すことが沢山あった。



バーコードをそんな所に貼るなっちゅうに


神原氏の『チャイの旅』には、ロシアンブルー猫のことが書かれている。
その猫が「じゃこ」という名だったことを初めて知ったのだが、古い方のカンテに独りで行ってディンブラを飲んでいるときに、膝に上がってきたのが、じゃこだった。

やっと『チャイの旅』(ギャンビット刊)にたどり着いた。
紅茶と、カンテのことが書いてある。
解説(口述)は、トータス松本くん。
カンテにいるときには自らを「チャノムノンスキー」というキャラクターに仕立てて、店のチラシなどに登場していた。

この本の神原氏のレシピに添って、チャイを作った。
これが正式だとすれば、正式レシピでチャイを作ったのは、生まれて初めてである。
上手に、おいしくできた。
しかし、ミルクを多く消費するし、鍋が甚だしく汚れる。
ネパールやスリランカの貧しい地方では、チャイはあまり作られないそうだ。
それほどミルクは高嶺の花なのである。
 

2017/06/15

『本の雑誌』2017年7月号-->


偏固ジャーナル、「三角窓口」に掲載さる。
ここのところスランプ?で打率急落。
今年になって、やっと二度目である。






以前掲載されたものを母に読んでもらったことがある。
気に入られず、それからは読ませていなかった。
今回は彼女が読んでいた本に関連する内容だった。

彼女の感想は。
「なんか偉そうなこと書いて……
 それになんやの『60歳プラス1』て」

それは、投稿者の年齢を表記している部分である。
返して俺は。
「ギャビン・ライアルゆう人の書いた『深夜プラス1』てゆう小説があってな、
 ほんで……
 ……ちょっとあんた、聴いてんのっ」

普通、母親をあんた呼ばわりしないと思うが、わが家では親愛の情のこもった呼び方である。

まあそれはともかく。
『蜜蜂と遠雷』を貸したる、と再三すすめられているのだが、その都度辞退している。
そんなもん読むヒマがあったら、一冊でもよけいに翻訳ミステリを読みたいんぢゃ。


 

2017/06/09

後妻業から疫病神へ-->



カヴァ絵は妻の黒川雅子作



ふだんあまり国内作品を読まないのだが、以前からマークしていた作品がある。
・黒川博行『後妻業』
・横山秀夫『64(ロクヨン)』
の二つである。
翻訳もの一辺倒になる前には、黒川博行も横山秀夫も何作かを読んでいる。

入院するときに持っていく本として『64』の購入を検討したことがあったが、買わずじまいだった。
自宅の棚から何冊か選んでいったのだが、実際は本が読めるような身体状況ではなかった。

それからしばらく経って。
『後妻業』の文庫が書店の平台にぎょうさん積まれているのを見かけた。
大竹しのぶ主演で映画化されたのである(『後妻業の女』2016年)。
その文庫をさっそく買うでもなく、後日図書館で、単行本の方を借りた。
これがなかなか、よかったのである。

『後妻業の女』の後になるが『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(2017年)は、黒川の直木賞受賞作『破門』が原作である。
こうなると『破門』も読みたくなってくるではないか。
と思いつつも、後回しにする。
建設コンサルタントの二宮と極道の桑原の凸凹コンビの活躍するシリーズの、『破門』は第五作なのである。
ならばまず第一作を読め、というのがわがポリシーである。

ちゅうわけで『疫病神』を読む。
1997年に新潮社刊、3年後に新潮文庫化。
それが今は角川文庫に移籍しているのを書店で見つけて、買った。
20年前の作品だが、色あせておらず、かなり面白い。
ノワールというより、小林信彦『唐獅子株式会社』を連想させる。
黒川は『破門』で、やっとこさと言っていいぐらい待って直木賞を受賞したのだが、『疫病神』で受賞できていてもよかったのではないか。

『疫病神』発表から十数年経ったころ……
直木賞の選考委員会は作家で構成されているので、黒川のシンパ委員が「そろそろ黒ちゃんにやったらどうですか」みたいなことを言うたんとちゃうかいな、とゲスの勘ぐりをするのである。

 

2017/05/29

【告解】のない辞書-->



原稿を書くときに必要になって「告解」を辞書で引いた。
だいたいの意味は知っているつもりなので、確認である。
愛用しているのは『岩波国語辞典』の第六版(2000年発行)である。
しかも、今では珍しい横組版である。
フォントを大にして打ちたいが、横組の方が目が疲れず、読みやすい!
欧文も、アラビア数字も、横書きのまま読めるのがいい。























それはともかく。
第六版横組に【告解】の見出しがなかったんである。
【国会】【国界】【骨灰】はあるが、【告解】はない。
ちなみに、同じ岩波書店の『広辞苑』(第五版)には採択されている。
『岩波国語辞典』とのつき合いは小学校の高学年時に始まったので、版をまたいで、かれこれ半世紀になるが、従来から【告解】はなかったのだろうか。

これだけのことなのだが、岩波国語辞典に対する、わが忠誠心は揺らいだ。
この期におよんで別の国語辞典に乗り換えよか、というわけである。
岩波がだめなら、三省堂がある!
というわけで、書店に出かけて『三省堂国語辞典』をチェックした。
すると【告解】はちゃんと載っていたのである。

しかしながら、結局購入するに至らなかったのは、ページデザインが気に入らなかったからで、特に見出し語が太いゴシック体で組んであるのは、いただけない。
個人的な感覚だが、辞書は頻繁に使うものであるだけに、見た目が大事なんである。

 

2017/05/13

ウィンスレットが大好き-->


右の耳を追いかけるように、左側の調子も悪くなってきた。
寄る年波。

それはともかく。
ケイト・ウィンスレットのファンである。
ウィンスレットとは、かの有名な『タイタニック』(1997年、 J・キャメロン作品)の主演女優である。
(主演、と打ったが)助演女優賞のカテゴリーでアカデミー賞にノミネートされたことよりも、ぽっちゃりとした体型のことが話題となった。
ウィンスレットは1975年生まれということだから、2017年には42歳である。
現在もグラマラス・以上の体型を維持しているが、顔周りはシャープだ。
役柄によって体重を調整しているようである。

『タイタニック』以後如何にして彼女のファンになりしかということに関して、はっきりした記憶はない。
それ以外に観た出演作は、製作年順に、
●いつか晴れた日に(1995)……たぶん部分的にしか観ていない
 原題/原作:Sense And Sensibility(J・オースティン『分別と多感』)
●エターナル・サンシャイン(2004)
 ジム・キャリーと共演
●ホリデイ(2006)
 キャメロン・ディアス、ジャック・ブラック、ジュード・ロウらと競演
●レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで(2008)
 レオナルド・ディカプリオと再共演
●コンテイジョン(2011)

DVDのコレクション数二千数百を誇る友人のJ君から、ケイト・ウィンスレット出演作を5本借りた。
きっかけは彼がFacebookに『愛をよむひと』のDVDのことを書き込んだことだ。
ウィンスレットがアカデミー賞の主演女優賞を獲得した記念すべき作品を、まだ観ていなかったので「貸してくれ」とメッセージを送った。
彼の手元にはウィンスレットの出演作が8本あって、すでに観たものとダブらなかったのが5本あったということだ。





















その5本は製作年順に、
●クイルズ(2000)
 原題のQuillsとは、羽ペンのこと。
 本作の主人公であるサド侯爵が内なる思いを吐露するために欠かせない道具である。
 ウィンスレットはサドの世話をする小間使いマドレイヌを演じている。
●アイリス(2001)
 原題のIrisは、実在した作家アイリス・マードックのこと。
 ウィンスレットは若き日のアイリスを演じている。
●愛をよむひと(2008)
 ベルンハルト・シュリンクの原作Der Vorleser(邦訳は新潮社刊『朗読者』)を読んでいないが、忠実に映画化されたということである。
 しかしながら、その話に説得力がない。
 結末に関しても、はなはだ不満である。
 主演女優におおいに肩入れしている当方としては「ウィンスレットがかわいそう!」という気持ちでしか観られなかったというわけである。
●おとなのけんか(2011)
 原題のCarnageは「虐殺」。
 二組の夫婦が言葉の機関銃で撃ち合う話だ。
 元は舞台劇で、本作のカメラもあまり移動せず、撮影場所は二か所である。
 一つは、彼らの息子たちが喧嘩をする公園(カメラは一点から不動のまま)。
 二つ目は片方の親のアパートで、カメラはあちらこちらを動き回るが、最大でも扉の外の廊下までしか出て行かない。
 本編は一時間と少しであっさり終了してしまう。
 あえて映画化する必要があったのか、と思わせる作品。
●とらわれて夏(2013)
 原題/原作のLabor Day(ジョイス・メイナード著、邦訳『とらわれて夏』)は、米国では九月の第一日曜日にあたるので、邦題に「夏」を入れたのだろう。
 結末がよかった。

借りた5本の中で最もよかったのは『クイルズ』。
他は、たいしてよくない。
『愛をよむひと』の原作が世界的ベストセラーになったなんて、信じられへんね。
ただし、ウィンスレットの演技は、どの作品においても文句のつけようがない。
プロフェッショナルな女優である。
あえていうならば、メリル・ストリープの跡を襲うのは、この人だろう。

『愛をよむひと』に関するエピソード。
ニコール・キッドマン主演で撮影が始まったが、彼女は妊娠して降板。
当初キャスティングされていたウィンスレットに再び役がまわってきたという。
キッドマンのままの方がよかったのではないか、と思う。
 

2017/04/18

文庫解説目録でネタバレ-->


ネット上の評判や新聞広告に惹かれて、カスをつかんでしまうことが多くなった。
読む本のことである。
自分が読みたいのは、翻訳ミステリで本格でないもの、という現在では非常に狭くなってしまっているゾーンである。

翻訳ものは値段が高い。
それは、翻訳権料がかさむからで、国内の作家作品より経費がかかるのは当然である。
高ければ売れない、売れない本は作りたくない、というのが出版社の心情である。

それでも、海外現地で好評を得た作品が、それなら日本でも売れるだろうという目論見で翻訳出版されることは、ある。
出版社は販売促進の一策として、内容見本やゲラや刷り上がりを書評家や文芸評論家と呼ばれる人たちに配って、好意的な評を書いてもらおうとする。
書評家や評論家は好意的な評を書くのだろうが、そこには忖度がはたらいている場合もあるに違いない。

いきなり結論に飛ぶと、書評などあてにならない、ということである。
SFの大家が絶賛した作品を、試し読みもせず上下巻いっぺんに買って読んだけれど、まったくのカスだった。
ドイツでは必ずベストセラーになるという作家のミステリも、半分読んだところでキレて、読むのをやめてしまった。
これらはいずれも個人的な感想なので、別の人が読めば、違った感想を持つかもしれない。

要は、書店に行って自分で吟味せよ、ということである。
帯の惹句を読んでみる、目次があればそれも読んでみる、(ネタバレに注意して)巻末の解説を読んでみる、冒頭を読んでみる。
それで面白そうなら買って読む。

前置きが長くなってしまった。
カスをつかんでしまわないために、評価が定まった作家・作品を読むという手がある。
すでに読んだことのある作品、または好きな作家の作品で未読のもの。
ディック・フランシス『興奮』は何度も読んでいる。
だから筋は知っているが、何度読んでも面白い。

今回は、パトリシア・コーンウェルの『検屍官』シリーズの中から『変死体』を選んだ。
このシリーズは現在までにすでに20以上の作品が発表されているが、18作目以降を読んでいなかった。
これを選ぶにあたっては読書計画室のお世話になった。
我が家の読書計画室、すなわちセッチンの小さな棚には数社分の文庫解説目録が備え付けてあり、用を足す間に閲覧できるようになっている。




















5年前の本なので、図書館で借りた。
上巻と下巻が別べつの館に収蔵されているので、取り寄せなければならない。
俺なら上下巻いっぺんに借りたいけどなあ。
上巻の方が傷みが激しいのは、途中で諦めて、下巻を読まない人がいるからだろう。
下巻には、なんと古本屋の値札をはがした跡が残っていた。

こういう本には登場人物紹介のページがついている。
そこを読んで、いきなり犯人が判ってしまった。
というのも、その名前が、文庫解説目録の『検屍官』シリーズの次作の紹介の中に書かれていたからである。
面白味半減、ではないか。
いや全減かも知れぬ。

出版社は、こういう些細なことにも配慮をしてほしいね。

 

2017/04/15

吉田秋生『海街diary』-->


少女コミックスの『海街diary』の新巻が出たことを、Twitter上で知った。
そういう小ネタをつぶやいてくれる御仁がいてくれて、ありがたい。
下記は、以前『本の雑誌』に投稿したものの採用されなかった拙稿である。

■■■■■■■■■■■■■■■■
△偏固ジャーナル忘月。
『海街diary』にハマってしまった。
オバカン男が少女コミックスに、である。
といっても昔、吉田秋生の『BANANA FISH』を一書懸命読んでいたので、まあ当然だ。

きっかけは、ある出版営業マンのウェブログだが、そこに紹介されていた『ラヴァーズ・キス』をまず図書館で借りて読んだ。
ここまでは『BANANA…』の流れをくんでいるといってもいいのだが、そこから『海街…』へは、ジョウントするほどの違いがあった。

『海街…』は第一巻の電書版をAmazonから入手した。
無料だった。
漫画を読むのに電子書籍のスタイルは都合がいい。
iPad miniをタテにして単ページ表示にし、片手だけでページ送りができる。

売り手の思うツボにはまって、続巻を買うことになった。
Kindle版だけでなくDMMブックス版(読むアプリが異なる)も買って、七巻揃えた。

途中で『海街…』がすでに映画化されたことを知り、つまり七巻完結の物語をベースにして映画ができたのだと思い込んだ(二女役の長澤まさみと四女の広瀬すずはぴったりという感じだが、三女は元なでしこの荒川、長女は京野ことみで、って勝手にイメージしてます)。

七巻を読んで、物語が完結しないことに気づいた。
コミック誌『月刊フラワーズ』に不定期だが連載続行中だったのである。
ええっまたぶら下がるん?

(武田伴兵衛・崖の下のオーバー還暦・豊中市)
■■■■■■■■■■■■■■■■

つまり、第八巻が出たわけで、さっそくAmazonまで買いに行った。
紙の本ではなくて、Kindle版をダウンロードしようと思ったのだが、その方は4月28日まで配信されないということだった。
今日までぶら下がって待ったのだから、あともうちょっと頑張るべ。

 

2017/04/14

増量作戦-->


世に、痩せたいと思う人びとは余りに多く、ダイエットやのトクホ(特定保健用食品)やの、喧(かまびす)しい限り。
そもそもは、お前ら食い過ぎやねん!
たとえば、わが愚弟などは食べることしか楽しみがない、などという。
まるで、おのれに施餓鬼をしているかのようである。

かくいう小生は、食べても太らない体質である。
たぶん腸が弱いのだろう、度を超して食べるとすぐにお腹をこわす。
度を超す、といってもその量は大したことないのに、である。
まるでリミッタがついているかのように腸が反応して、肥えるどころか、ますます体重を減らす結果をまねいてしまう。

最近ますます体重が減ってきた。
標準体重(身長マイナス110)を10キログラム以上も下回って、もはや「危険水域」である。
少しは増やさねば、というわけで増量作戦である。

高タンパク・高カロリーの食品を摂ったらええんとちゃうの?
電脳上で調べてみると、あるサイトには高糖質・高脂質のものを食え、とあった。
そこに、具体的に例示された食品は……
・カレーライス(カツカレーは、なおよし)
・カツ丼
・ラーメン
・菓子パン
好きなものばかりであるが、そういえば、最近あまり食べていない。

というわけで、食料品買い出し。
・米(とにかくいっちゃん安いやつでOK)
・肉(アンガス・ビーフが安かったので買う。スコットランド産!)
・トンカツ(既製品)
・鶏卵
・袋ラーメン(インスタントのもの)
・菓子パン類(あんパン、アップルパイ、ラザニアを入れてフライにしたやつ)
・野菜(カレー用の玉ねぎ、人参、じゃがいも、缶詰のトマト)
などなど。

帰宅してすぐ、お茶休憩。
紅茶をいれて、あんパンとラザニアパンを食べる。
この時点でもう胸焼けが(笑)

休憩明けからカレー作り開始。
・玉ねぎとアンガス肉を小さく刻んで、順番に油炒め
・水とベイリーフを加えて煮る
・ブイヨンキューブ投入
・人参を刻んで投入
・じゃがいもの皮をむいて投入(小さかったので、一個まるごと)
・トマト投入
本日の作業はここまで。
一晩寝かせる。

夕食は即席のソースカツ丼。
・二カップ分洗米して土鍋に投入
・水を加える(ビーカで計量!)
・30分おいて着火(ガステーブルコンロに「炊飯」モードがついている)
・炊きあがり後、15分蒸らし〜撹拌

安物の米でも、土鍋で炊くとおいしい!
・丼に飯を盛り、トンカツをのせる。
・フライパンで、溶き卵を焼く(冷蔵庫にあった麺つゆで味付け)
・丼にぶちまけて、ソースを垂らして完成。

お腹、こわれそう。

 

2017/04/13

「ほぼ新品」?-->


どこが「ほぼ新品」やねんっていう話。
坪内稔典『季語集』(岩波新書)を、Amazonで購入した。
中古品ながら、コンディションが「ほぼ新品」というふれこみだったので。
注文後、二三日して郵便受けに投函された。

茶封筒をあけると、一見して汚れの目立つ古本が現われた。
せめてプチプチで梱包すればいいものを、透明のビニル袋に入れてあった。
そのせいで、中で本が動いて、カバーの上縁が折れてしまっている。
本を開くと、角が折れているページもあるし。
おやおや、マーカーの線引きまでしてあるやん。

というわけで、読む気も失せてしまった。
ひと言ぐらいクレームをつけてやろう、とAmazonの評価サイトに書き込んだら、拒否された。
どうやら、ネガティブメッセージは受け付けないことにしているらしいぞ。

しょうがないから、Amazonに本を出品した業者に直接メッセージを送った。
商品に不都合があったから返品したいと送ったが、まったくレスポンスなし。
納品は速かったけど、クレーム対応はせえへんという姿勢やね、たぶん。

こういう場合、Amazonは「返品・返金保証」というシステムで対応してくれる。
最後の手段、というやつだ。
こやつを使うことにした。
クレームの内容は妥当であるか、が審査される。

審査はあっさり通って、メールで連絡が来た。
返金してくれるという。
納品された商品は、ユーザ側で処分してくれ、と来た。
なんともドライなやり方である。

処分してくれ、と言われても困るよ。
自分の性格上、こんな本でも捨てるのはつらい。
本当は送り返して、実物を見て反省してもらいたいのだけれど。

わが買い物に、「難あり」。

 

2017/04/06

ペナンブラ氏の24時間書店-->


四月になったばかりだというのに、もう2017年のベストと言える作品を読んでしまった。
『ペナンブラ氏の24時間書店』(ロビン・スローン著、東京創元社刊)である。

たぶんツイッターだったと思うのだけれど、話題にのぼっていたのを見て、読んでみる気になった。
最寄りの図書館のウェブサイトで検索すると、意外にも予約している人の数が少なかった。
しめしめ、まだあまり知られていないのか、と思って即予約ボタンをクリックした。

図書館からメイルで知らせが来て、借り出しに行った。
てっきり新刊と思っていたのに、手垢のついた本だった。
もう少しよく調べていればわかったことだが、SNSで話題になっていたのは、文庫化されたものが発売されたというニュースで、自分が手にしたのは、その元の単行本だったというわけだ。
予約の列が短かったのは当然だ。























単行本は2014年4月発行。
3年前には、その存在にまったく気づいていなかった。
こんなにおもろい本を、当時なぜスルーしてしまったのか……
それは、まあいい。
いま読めたんやから。

1980年代の後半に、印刷の仕事に手を染めていた人間には、懐かしい名前が登場する。
本文では「アルドゥス・マヌティウス」と表記されているが、当時われわれは「アルダス」として、その名を知っていた。

アルダスはコンピュータ用のソフトウェアアプリケーションを作っていた企業で、「PageMaker」というアプリケーションは、DTPソフトのさきがけである。
DTP(DeskTop Publication)という言葉自体、アルダスが作ったものである。
アルダス社の名前が、15世紀の出版印刷人であったアルドゥス・マヌティウスに由来することは、言うまでもない。

何百年も前に亡くなったアルドゥスやその協力者が、もの言わぬ「主役格」として、お話に登場してくるのだから、興味がわかないわけがない。
瞬間的ではあるが、村上春樹、kobo、という名前まで登場する。
本が好きな人、印刷に興味がある人、コンピュータに関わっている人が読んだら面白いと思えるだろう。


 

2017/03/31

ジェイ・ルービンと村上春樹-->


ジェイ・ルービンは知る人ぞ知る、アメリカ人の日文研究者にして村上春樹作品の翻訳者である。
2016年11月の時点で、ハーヴァード大学の名誉教授である。

彼の『村上春樹と私 日本の文学と文化に心を奪われた理由』と題するエッセイ(東洋経済新報社刊)を読んだ。
日本語で書かれたその文章は、まるでネイティヴのようだった。

『村上春樹と…』はルービンの個人的なエッセイで、村上のことを語るよりも、いく分は自分よりのことを多く書いている。
が、アメリカ人の目を通しての日本を、当人の日本語で読むという体験が、面白い。

村上以外の日本人作家の名も多く出てくるのだが、いずれも同時代人ではなく、夏目漱石や芥川龍之介など、前時代の作家のものである。
ルービンが、ある出版社の依頼を受けて、芥川の英訳短編集を編むというエピソードが紹介されている。
その短編集の序文を、村上春樹が担当することになる。
村上はその序文の中で、芥川は日本の国民的作家の一人であると書き、さらに九人(つまり合計十人)を選ぶとしたら……と続ける。

結局、村上は十人目を思いつけずに終わるのだが、彼が「私見で」選んだ九人の国民的作家とは、
・夏目漱石
・森鷗外
・島崎藤村
・志賀直哉
・芥川龍之介
・谷崎潤一郎
・川端康成
・太宰治
・三島由紀夫
である。

うーん、そうくるか。
誰か抜かしている気がせんでもないが、まあ個人的な好みによるところもあるしなあ。
永井荷風はぜったい入れておくべきとちゃうかと思っているわけである。

 

2017/03/20

置いてきぼりの件-->


置いて「け」ぼり、ともいう。

デジタルカメラの撮影画像をPCに取り込むのに、メディアリーダに記録媒体を読み取らせる以上に簡単な方法はないだろう。
iPadでかなりの数の写真を撮っているが、このタブレットは本体から記録媒体を取り外せない仕様になっているので、その方法が使えない。

iPadから画像データを取り出すには、ケーブルでMacに接続し、iTunesを使えばいいのだが、自分のマシンではできない。
使っているiTunesのヴァージョンが古いからである。

アップル社のクラウドサービスであるiCloudに画像データをアップロードしておいて、Macにダウンロードするという手もある。
しかし、これもできない。
OSのヴァージョンが古くて、iCloudに対応していないのである。
この時点で、すでに置いてきぼりにされている。

そこで、サードパーティのサービスの出番である。
Dropboxアプリを利用して、画像データをiPadからクラウドにアップする。
PCではブラウザベースのDropboxで、データをダウンロードするわけである。
これをよく利用していた。


ところが。
今度はブラウザのヴァージョンが古くなって、Dropboxが非対応になってしまった。
OneDriveもGoogleドライブも同様で、またもや置いてきぼりを食うはめになった。
かろうじて、Yahoo! ボックスのサービスがブラウザ経由で使えることがわかったのだが、これとていつまで耐えられるやら。

iPadよ、せめて外付けのSDカードへの書き出し機能を持ってくれ。



2017/03/09

勘違いの名前-->


母の誕生祝いに図書カード一万円を贈った。
ちょうど買いたい本があったんよ、と彼女は言った。
後日見せてもらったその本とは、
恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎・1,944円)

ある日、新聞に恩田陸の写真入りの記事が掲載された。
それを母が見て、
「恩田陸って男の人やと思ってたわ」
と言ったものである。

僕なんか、女性とは知っていたけれど、恩田睦(むつ)やと思ってた時期がある。

その類の話には事欠かない。

有川浩は男か、女か。
正解は「女」、読みはアリカワ・ヒロである。
これもヒロシと思っていたことがある。
ヒロと認識できたのはいいが、今度は荻原浩と混同してしまう。
オギワラ・ヒロ、となってしまうのである。
とどのつまりは、ハギワラ・ヒロ。
そんなやつ、おらんから。

作家の方も、わざと読みづらい筆名や性別不詳の名前をつけているのではないかと思われるふしがある。

推理作家の乾くるみ。
れきとした男性である。
薫、なら男でも女でも……という古い常識はあるので性別特定は保留するが、くるみとくれば、普通は女の子と思うでしょう。

日日日と書いてアキラ。
これはもうパズルでしょう。
晶を分割して並べてるんですと。
僕はヒヒヒかと思いました!


 

2017/02/18

ときどき新聞-->


中国の電視台(テレビ)のニュース番組のタイトル画面をみると、
「○○新聞」と表示されていて、違和感をおぼえた。
それは自分が、新聞とは印刷されたものと思い込んでいたからである。
NEWSの漢字訳が「新聞」なのだと気づけば、腑に落ちる。
新聞すなわちニュース(英語の発音は、語尾が濁る)であるのに、日本では紙媒体と電波媒体で使い分けをしているのであった。

日々のニュース、つまり「Daily News」はその名のままの新聞がアメリカにある。
和訳すれば……「毎日新聞」だ!

新聞の月ぎめ購読をやめて、もう何年にもなる。
特段の不自由は感じていない。
実家の母は、どうやら惰性で購読しているようである。
こんなロクでもないニュースばっかり載ってるもんに金払て、とこぼしている。

その母から毎日曜日の朝刊をもらって、貪るように読んでいるのはこの自分である。
主たる目的は、書評である。
自分が読みたくなるような本がとりあげられることはめったにないが、さまざまな知識人が書いている評文を興味深く読んでいる。

月に一度は、朝日新聞の日曜の朝刊を買う。
別刷りの「The GLOBE」を手に入れるためだ。
紙面デザインが気に入っている。
自転車に乗って、鉄道の駅の売店まで買いに行く。
コンビニエンスストアで売られているものには、別刷りがついていない。

朝日新聞も日曜の朝刊に書評欄がある。
他紙と同じ本がとりあげられることもあるが、似たような評にならないところが面白い。
例えば、ピーター・ペジック著『近代科学の形成と音楽』(NTT出版)。
2月5日に五十嵐太郎氏(建築批評家・東北大学教授)が約800字の評を書いている。
毎日新聞1月29日には、中村陽一郎氏(東大名誉教授[科学史])も約1,500字で評を書いているのである。
本のタイトルをふせれば、これが同じ本のことを紹介しているとは、わかるまい。
かろうじてニュートンの名と、天文学・算術・幾何学・音楽という単語が共通しているぐらいである。



朝日新聞・2月5日朝刊















毎日新聞・1月29日朝刊

























いいとか悪いとかの問題ではなく。
一冊を十人が読めば、十通りの読みとり方・十通りの感想・十通りの評価があり得るということである。
書評家Aが絶賛する本を同業者Bはけなすし、Bが激賞した本を一般人Cが読んだら超面白い、とは限らない!



 

2017/02/13

書くのも遅い-->


ジャーナルの更新がなかなかされない、ということである。
このジャーナル(ブログ)も、なんと今年で創刊(開設)9年目である。
初年度180近くあったエントリも、100を切り、50ぐらいになって、これではジャーナル(日誌)とはいえない。
ウェブログの「ログ」にしても日誌という意味だから、いっそ「偏固カジュアル(casual=不定期)」とでも改名しようか。

年間50エントリということは、平均で週一回の割である。
日誌なのだから、どこ行った、何食べたの記録でもいいのだろうが、それでは自分でさえもつまらない。
せめて400字ぐらいは、何ごとか意味のあることを書きたいと思うのである。
すると今度は、書きたい何ごとかが見つからない。
書くのが義務ではないので、ほうっておく。
言い訳を、誰にする必要もない。



 




キートップはUS表示。青黒のペンはスタイラス兼用のBic































そういう訳で書くのは遅いが、実は打つのは速い。
近ごろはPCよりタブレットを使う機会の方が多くなって、ソフトウェアキーボードでの入力をしていた。
キーを打ったという手応えがないのでブラインドタッチができないし、皮脂でディスプレイを汚すのが気に入らない。
そこで、ハードウェアキーボードをiPad miniに装着して文字入力をするようになった。
やはりこちらの方が、かなり効率がいい。
つくづく、PC向きの人間だなあと思うのである。

 


2017/02/12

読むのが遅い!-->


『騎士団長殺し』。
心惹かれるタイトルである。
中世の騎士物語は大好きだし、ミステリとくれば即買いでしょう。
バットゼン、いやBut then,
作者が村上春樹と知れば、おおいに躊躇してしまう。
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』まではおおいに楽しんだ。
『ノルウェイの森』も読んだが、そこで村上熱は冷めてしまったのである。

今、読み進めているのは、
『[完全版]ビートルズ全曲歌詞集』(スティーヴ・ターナー著/ヤマハミュージックメディア刊)である。
昨年末に公共図書館から借り出して、年をまたいで読み続け、しかしまだ読み終えられず、借りっぱなしの状態なのだ。



A4版変型・352ページ

























他市の図書館の決まりは知らないが、当市では一回二週の期間で本を借りることができる。
その本を他の人が借りたいと思っていないのであれば、つまり予約が入っていなければ、一回限り二週間の借り出し延長ができることになっている。
年が明けて、延長の申請をして受理された。
これは図書館のWEBで簡単に手続きができる。
予約の有無も確認できるのである。

二週間延長したのに、読み終わらない。
なぜそんなに時間がかかるのか。
一番の理由は、集中力がないからである。
もともと読むのは遅い方であるが、今回の本はとくに「読みで」があり過ぎる。

ビートルズの全曲歌詞集、と聞けば英文の歌詞に和文対訳が羅列されたものと想いがちである。
しかしこれは違う。
それぞれの曲ができたバックグラウンドを、でき得るかぎり事細かく書き込んであって、うっかりと読みとばすことができない。
ライナーノーツよりも詳しく、もっと下世話な部分もある。
ビートルズが地方公演先で、どのホテルに泊まったか、そのとき誰女(だれじょ)が一緒でとか、何それを吸飲食したとか……

いわゆる「ビートルズ番」のジャーナリストが、長年にわたって取材した素材を、時系列にそってレイアウトしたものに、歌詞が添えられているといった方がいいかも知れぬ。
一曲あるいは数曲分の解説文を読み、該当曲をiPodから呼び出して、歌詞を読みながら聴くということを繰り返している。
この作業を全曲スルーで行うほどの集中力は、自分にはない。

図書館からの借り出しは、二回目の延長はできない決まりになっている。
そこで、期限が来た日の朝、しぶしぶ返却しに行った。
夕方、また図書館に行って、同じ本を借り出した。
若干の後ろめたさはあるが、ルール違反はしていない。
少なくとも数時間は他人の目にふれるところにあったが、誰も借りなかったのである。

あらたに借り出してからそろそろ二週間。
まだ読み終わらない!
またまた延長を申請するところである。

 

2017/01/30

古本市で売れた本-->


古本市で売れた本(売れた順に)。
『ぼくのミステリ・クロニクル』(戸川安宣著)が1,000円で。
『オシムの言葉』(木村行彦著)は隣の店主ひなさんの本(200円)と等価交換w
『停電の夜に』(ジュンパ・ラヒリ著)が100円で。



Secondhand…の看板は、当日の朝に急きょ制作

長机に横並びの「一箱古本」のお店



29作(重量にして約11キログラム)持ち込んで、はけたのは3冊。
実質的に売れたといえるのは2冊である。
ちなみに、ひなさんとの交換で手に入れた本は、
『ゴー! ゴー! フィンランド』という、フィンランド雑貨を彼の地で買うためのガイドブック。
フィンランドに行くことはまずないだろうけれど、北欧のデザインが写真で見られる楽しい本だ。
元値が1680円もするのを後で知ったが、それが200円とはあまりにも安い。

客層の想定ができていなかったのが、一番の「敗因」。
手作りの品を売るバザー、みたいな催しの中に「一箱古本」を紛れ込ませたために、子供連れの母親とか、近所のおばちゃんが主なお客さんだった。
そこにBT Garage@hencojournal(いちおう店名をつけたのだけれど)がぶつけた販売アイテムときたら……
翻訳のミステリ、SF、冒険小説、そんなのばっかりだから。
コミック本とか時代小説ならまだしも。

だから、まっさきに『ぼくのミステリ・クロニクル』が売れたのは、奇跡にひとしい。
真新しい美本で、今回最も高い1,000円の値札をつけてあった(元値は2,916円)。
買ってくれた神様は、中年の男性だった。
ジュンパ・ラヒリを買ったのは初老の女性、目が高いなあ。
安かったからかなあ。
一箱古本市だけのイベントだったなら、もっと売れたのだろうね。






















他の店で、ネパールの女性が現地で手編みしたというレッグウォーマーを買った。
エスニックの模様と、色合いが美しい。
これに1,500円費やしたので、自分の店の売り上げは吹っ飛んでしまった。

来た時とあまり変わらない重さの荷物を自転車に積み直して、帰る。
11キログラムの荷を、車重11キログラムの自転車のリアキャリアに載せると、完全にリアヘヴィになる。
しかも帰り道はほとんど登りなので、信号待ちで背筋を伸ばしたりすると……
後ろにひっくりかえりそうになった!


 

2017/01/28

一箱古本市出品リスト-->


一箱古本市に出店する。
あふれている本を処分するのにもってこいのイベントだ。
いや、売れればの話だけれど。


 
パックして、POP貼り付け
















略して『USJ』



















出品リスト。
並べて見ると、翻訳ものばかりであるのがよくわかる。
▼冒険小説
鷲は舞い降りた[新旧セット]ジャック・ヒギンズ著
スナイパーの誇り[上下巻セット]スティーヴン・ハンター著
▼ミステリ
ネバーゴーバック[上下巻セット]リー・チャイルド著
最重要容疑者[上下巻セット]同上
61時間[上下巻セット]同上
第三の銃弾[上下巻セット]スティーヴン・ハンター著
ありふれた祈り:ウィリアム・ケント・クルーガー著
解錠師:スティーヴ・ハミルトン著
ポーカー・レッスン:ジェフリー・ディーヴァー著
大鴉の啼く冬:アン・クリーヴス著
アデスタを吹く冷たい風:トマス・フラナガン著
▼ハードボイルド・ミステリ
ドライ・ボーンズ:トム・ボウマン著
酔いどれに悪人なし:ケン・ブルーウン著
▼警察小説
警部補マルコム・フォックス[二冊セット]イアン・ランキン著
ロセアンナ:マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー共著
氷の天使:キャロル・オコンネル
▼SF
ユダヤ警官同盟[上下巻セット]マイケル・シェイボン著
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン[上下巻セット]ピーター・トライアス著
火星年代記[新版]レイ・ブラッドベリ著
虎よ、虎よ!:アルフレッド・ベスター著
宇宙消失:グレッグ・イーガン著
星を継ぐもの:J・P・ホーガン著
▼大河小説
凍てつく世界[Ⅰ・Ⅱ巻セット]ケン・フォレット著
凍てつく世界[Ⅲ・Ⅳ巻セット]同上
▼企業小説
最後の紙面:トム・ラックマン著
▼短篇小説集
停電の夜に:ジュンパ・ラヒリ著
▼フットボール本
ラストピース:下薗昌記著
オシムの言葉:木村元彦著
▼ノン・フィクション
ぼくのミステリ・クロニクル:戸川安宣著・空犬太郎編



箱に詰めて



















自転車に積む



















 

2017/01/17

タッチパネルに業を煮やして-->


いつか慣れるだろうと思って使い続けてきたけれど、あきまへん。
とうとう、常時キーボードをつけて使うことになったしまった。
それでも、アイコンにはタッチしなくてはならないが、そこはスタイラスを使うわけである。


 


















iPad mini専用にサードパーティが作ったキーボードを、以前買ってあった。
クリップ状になった凹みにiPad miniをはさんで使う。
一体になったところは、あたかもモバイルPCのようだが、本体とキーボードの接続はBluetooth経由である。
キーボード下に充電池が内蔵されていて、USBプラグで給電ができる。

iPad側から認識させなければ使えない、というお約束は他のBluetooth機器の場合と同じである。
つまり、以前にもやったことがあるので、取扱説明書など見ないで認識・接続作業は終えられたのである。




左上隅がホームボタンの代用キー



















かくしてタブレットの一枚完結性は失われてしまったが、入力の確実性が上がり、しょっちゅうディスプレイを清拭せずともよくなった。
iPadのホームボタンの代わりになるキーが左上隅に設定されているので、このキーおよびスタイラスを駆使すれば、電源スイッチ以外はタブレット本体にタッチする必要もなくなるのである。
The Zen of Tablet(Palmの思想を上回る、真のシンプルさ)には到達できそうにない。