2018/01/02

正月には墓参と初詣-->






















 新しい年になった。
おめでとう、とは言うものの特段めでたいことはない。

例年元日は実家を訪ねて、母と二人で雑煮を祝うことにしている。
二日に墓参と初詣に出かける。
……だったのだが、今年は元日に両方とも済ませた。

小学校時代からの友人で、仏教の祭祀に詳しいKという男がいた。
彼が、墓参は二日にするもの、何故なら仏さんがその日に帰ってくるから、と言ったものだ。
その言葉をずっと信じて何十年かは正月二日に墓参を続けてきたが、自分の心に、そのことに対するこだわりがなくなったのである。
友人Kも、行方をくらませてから、十年以上が経つ。
タイあたりに流れて坊さんにでもなっているのではないかと、勝手な想像をしている。

出かけるまで、FM COCOLOを聴く。
年賀を兼ねてリンゴ・スターの新曲『We're on the Road Again』をリクエストしようとしたのだが、局のサイトにログインできずに終わった。

元日から店を開けているDで花を買う。
地下鉄の新型車両に乗って、大阪市内へ。


私は鉄っちゃんではないよ、念のため。















雨も降らず、暖かい日で、よかった。
墓参をすませて、隣の高津神社へ。
参拝する人の列がこんなに長いとは、元日に来て初めて知った。































昼過ぎ、実家に帰ってジンジャエイルで乾杯、そして雑煮。
フットボールの全日本選手権試合をテレビで観戦しながら、母と麻雀をして遊ぶ。
これは二人とものボケ防止を兼ねて、日頃行なっていることである。
四人分の牌を積んで、二人で打つので、役満続出。
夕食に水炊きをご馳走になる。
いつもの正月は弟夫婦も一緒だが、今年は勤務の都合で来られない。
二人だけの鍋料理であった……。

 

2017/12/30

ほぼ日手帳なんか-->


手帳を使っている人は、たくさんいるだろう。
たぶん、幼稚園児の頃から(持たされて)使いだすのだろう。
小学生になると「学級連絡帳」。
中学・高校・大学の頃には、あまり使わないと思う。
大学生が就職活動をするようになると、また使いだす。
就職すると、仕事を進めるには絶対の必需品となる。

自分の場合は、就職してまず営業マンになったので、会社支給の小型の手帳を毎年使っていた。
年齢早見表とか度量衡の換算表とか交通機関の路線図とか、付録がいっぱいついたタイプである。
印刷会社だったので、印刷用紙の規格表もついていた。
アドレス帳のページを、毎年新しい手帳に書き写していたものだ。

そこから少し進歩して、背広の胸の内ポケットに収まるサイズのシステム手帳に乗り換えた。
革のバインダタイプのやつである。
アドレス帳を毎年書き写す必要がなくなり、普段使うページはリフィルを買い足すだけですむようになった。

やがて営業職を離れ、企画・デザイン職に就いた。
そうすると、ポケットに収まるサイズの手帳だけでは仕事がやりにくくなった。
スケジュールやアポイントメントを管理するぐらいなら、小さい手帳で事がすむ。
しかしながら、思いついたことを文章とともにスケッチするのには、スペースが小さ過ぎるのである。
加えて、罫線の入った紙面は、それが横罫であろうと格子罫であろうと、スケッチの邪魔になる。
(建築図面などには、格子の罫線が入っている方が使いやすいけれど)

ラフスケッチや企画書を、手でグリグリ書くには、B4ぐらいの大きさの紙が適している。
これぐらい大きいと、もはや手帳として展開するのは無理である。
どこまで小さくして、ラフスケッチの用にたえられるか。
それを試した結果、A5サイズぐらいでも用が足せることがわかった。

最初は、A5サイズのルースリーフ(無地)を買ってきて、そこに自分でデザインしたページを印刷して、20穴のバインダにセットして使っていた。
現在は、A5サイズのシステム手帳(6穴)に代えたのだが、無地のリフィルに自分のPCから印刷するだけなので、いつでも20穴のシステムに戻ることができる。

今大人気の「ほぼ日手帳」にもA5サイズのものがあるらしいが、いろいろと「機能」を盛りこみ過ぎているのではないかと想像する。
自分のは、なさ過ぎるぐらいにシンプルである。
クリエイティヴな仕事をするには、何もないスペースが多い方がいい。
ちなみに、アドレス帳は電子化済みなので、わがA5手帳に含まれるのは以下のものだけである。

▼トップページ。一年のカレンダーを一覧
 土・日曜日が週末で、月曜から新しい週が始まるという考え方。





















▼見開き2ページの月間予定表(12か月分)。前月と翌月のミニカレンダー付き



















 ▼週間予定表(53週分)。右頁はまったくのブランク




















 

2017/12/23

D・フランシスを読もう-->


母の友人Tさんがディック・フランシスに、はまっているらしい。
今さら、などと言うことはできない。
競馬ミステリという名に尻込みして、フランシス作品を読み始めるまでに三十数年かかったのは誰あろう、自分である。

Tさんには会ったことがない。
母の友人であるからには、齢八十を超えていることは間違いないが同好の者同士、話をしてみたいものである。
どの作品から読み始めたのか。
どの作品が好きか。
フランシスの本をどこで手に入れているのか。
図書館で借りるのか。
書店で買っているのか(ハヤカワ文庫なら、今でもフランシスの競馬ミステリは手に入る)。

なんの自慢にもならないが、拙宅には全冊揃っているのである。
「本命」「大穴」「興奮」など、すべてのタイトルが二字熟語で、背表紙が緑色(ターフのグリーンをイメージしたか)の文庫本が三十数冊。
加えて、上製の単行本が数冊(これらもすでに文庫化されている)。
よけいなお世話だろうが、Tさんに進呈(貸さない)してもいいつもりで、本棚から古いタイトルを引っぱりだした。
見てびっくりしたのは、字が小さくて読みづらいことだ。
おまけに印刷用紙が劣化して、黄ばんでいるので、なお読みづらい。
自分も本も、年をとったもんだ。

さて、ディック・フランシスに関して、目黒考二氏がWEBのコラムで書いていたことがある。
山本一生という方の『書斎の競馬学』に、フランシスには翻訳されていない伝記のことが書かれていたというのだ。
これに大いに興味をもって、現在もその翻訳書が出ていないのか、インタネットで調べてみた。
翻訳はされていないようだった。
「Dick Francis: A Racing Life」というのが該当する原書らしいことがわかった。
最終的に、Amazon.co.jpでKindle版を購入した。
301円だった。
電書なら、なんらかのアプリの力を借りて、読めそうな気もする。





シンプルな表紙!




















2017/12/14

2018年1月ヴァージョン-->


久しぶりに投稿が採用された。
『本の雑誌』2018年1月号の「三角窓口」欄である。
本にまつわること、図書館のこと、北上次郎さんのことなど。
書店の店頭で、当該頁を開き、自分の名前が載っているとうれしいものである。
打率(採用率)は低迷しているが……



マクロにて撮影


















書店の後、寿司と回転焼きを買って、実家の母を訪ねる。
同じ市内なので、しょっちゅう行っているのだが、毎年のこの時期には、彼女の年賀状づくりを手伝っている。
手伝うといっても、母は賀状用の写真を選ぶだけで、レイアウトや印刷などの残りの作業はすべてこちらの仕事だ。

実家には私が使っていたiMacと、EPSON製のインクジェットプリンタがあって、これらで作業を行なう。
写真がデジタルであれば、カードリーダから読み込んで、レイアウトする。
使用するアプリケーションは、AppleWorksだ。
iMac本体はおにぎり型のやつで、OS 9で動いている。
こんなに遅かったかな……
と思うぐらい動作が鈍い。



AppleWorks@iMac


















昨年は、選ばれた写真がカラーの紙焼きだった。
実家にはスキャナを置いていないので、デジタルカメラで接写して間に合わせた。
今回またそんな事態になったときのために、Nikon D60にマクロレンズを装着して持参してあったが、複写の役はなかった。

プリンタは別の問題である。
まさに、一年でこの日だけ稼働するマシンで、スムーズに働いてくれたためしがない。
ノズルチェックをして、ヘッドのクリーニングをして、テストプリントをする。
たぶんインクは少しずつ蒸発していっているのだろう、次々と各色のカートリッヂを交換せよ、と要求をしてくる。
今回は、6色すべてのカートリッヂを交換することになった。
これだけで5,000円以上の出費になるのだから、街の印刷屋さんに一括依頼した方が安上がりになることは間違いない。

年賀状本体には、日本郵便製のインクジェット写真用はがきを使用する。
プリンタ設定において、いかなる用紙を選択するかも問題である。
「インクジェット写真用」という選択項目がないので、とりあえず「EPSON写真用紙」に設定して、5枚ほど印刷した。
なんだか、赤っぽいので「EPSON光沢紙」に変更すると、ましになった。



 
EPSON PM-D770。いかにも古いタイプのプリンタだ

2017/11/10

11月11日はBASSの日-->


BASSは、楽器のベースである。
数字が四つ、1111と並んでいる様子が四本の弦を想起させるところから、11月11日をベースの日と誰かが決めたのである。

オーケストラでは弓で奏でるコントラバスを、ジャズでは指で弾(はじ)く。
ヴァイオリンも指で弾くこと(ピチカート)があるが、コントラバスはどうか。
ジャズで使うのをウッドベースと呼ぶのは、日本だけらしい。
エレキギターのように肩から吊って扱えるようにしたのが、ベースギターである。
ウッドベースを弾く人、ベースギターを弾く人、ともにベーシストと呼ばれる。

ある音楽専門雑誌のベーシスト人気ランキングで、ポール・マッカトニー(Paul McCartney)が第3位に入った。
ビートルズ(The Beatles)の一員として名が売れている故のランクインではなくて、演奏を評価されてのことである、と思う。

ビートルズのレコードをかける時、歌ばかりを聴いていた。
そればかりか、曲に合わせて大声で歌っていたのである。
つまり、楽器の音など、ほとんど耳に入って来なかった。
好きな曲はメロディの美しい、歌いやすいものばかりだった。

歌うのをやめてインストに神経を集中させると、ポールの弾くベースギターの音が、ぶんぶんとうなっているのが、よく聴こえる。
うなっているが、ことさらに主張せず、きれいに溶け込んでいる。
他のメンバーがベースをやらないので、仕方なくポールが担当になったそうだが、彼はどのパートをやっても上手なのではないかと思わせる。

偏固子が最も気に入っているのが「Old Brown Shoe」である。
ベースをフィーチャーした作品で「疾走感」がある。
他にもお気に入りが……
Another Day
Too Many People
Dig A Pony
Get Back
以上、ポールがベース担当。

ポール・マッカトニー以外では……
South American Getaway
 バート・バカラック作、映画『明日に向って撃て!』挿入曲
Comin' Home Baby(デイヴィッド・サンボーン)
 サンボーンはサックスプレイヤー。



David Sanborn「timeagain」















Boz Scaggs『Fade Into Light」

















Isn't She Lovely(デイヴィッド・サンボーン)
 スティーヴィ・ワンダーの曲
Angela(ボブ・ジェイムズ)
 ボブ・ジェイムズはキーボードプレイヤー。
Sara Smile(ホール&オーツ)
 男声ヴォーカルデュオの名作。
Lowdown [unplugged](ボズ・スキャッグズ)
 ボズは男声ヴォーカル。アンプラグドということは、ウッドベースですな。

 

2017/11/03

小学生向け文学全集-->


読書週間である。
そんなこと言われなくても、52週間ずっと読書週間でっせ。

あすなろ書房という出版社が、よく新聞広告を打っている。
松田哲夫編『中学生までに読んでおきたい日本文学』(全10巻)である。
中学生までに、というのだから小学生向けだ。
作家は芥川龍之介、森鷗外、太宰治、内田百閒、遠藤周作、向田邦子……と新旧バラエティに富んでいる。
書き落としたが、各巻10作品以上が収録された短編集である。

それぞれの巻のテーマタイトルを列挙すると、
1.悪人の物語
2.いのちの話
3.おかしい話
4.お金物語
5.家族の物語
6.恋の物語
7.こころの話
8.こわい話
9.食べる話
10.ふしぎな話
である。

10巻いっせいに発売されたようだから、どの巻から読んでもいいとは思うのだが、第1巻がいきなり「悪人の物語」から始まるというのは、小学生向けとしてはどうよ。
悪いことを知るのは、もっと後の方でよくはないか。

偏固子ならば、こう並べるけどなあ。
1.家族の物語
2.いのちの話
3.こころの話
4.食べる話
5.お金物語
6.恋の物語
7.悪人の物語
8.こわい話
9.おかしい話
10.ふしぎな話
ここまで書いてきて、気がついた。
悪人で始まるリストは五十音順になっている!

 

2017/10/26

中古レンズを手に入れた-->


九年落ちのデジタル一眼レフレックスカメラを所有している。
九年落ちがどれだけ古いかというと、「動画撮影ができない」。
メイカーはNikonで、そもそも自分がNikon党となったのは父親がユーザだったことに由来する。
大学生だった頃アルバイトしていた放送局のカメラマンからセコハンのNikomat(ニコマート)を譲り受けた。
そのカメラに付いていた35ミリと、自分で買い足した135ミリのレンズを使っていた。
父とレンズの貸し借りをすることもあった。
仮に、息子がCanonユーザになったとしたら、父親のNikonとはレンズの互換性がないので、そういうことはできない。
やがて父が亡くなり、彼のNikon資産を私が受け継ぐことになった。
某新聞社の写真部が払い下げた、凸凹だらけのNikon F。
ジウジアーロがデザインしたことで有名なNikon EMもあった。
レンズは50ミリ標準と55ミリのマクロ。

EMをメインに使うことにして、その他は整理することにした。
55ミリのマクロと135ミリの望遠レンズは手元に残した。
Fは、Nikonマニアの同僚に払い下げ。
Nikomatは写真初心者の後輩に払い下げ。
新品で買っていたF-601は、付属レンズとともに中古業者に引き取ってもらった。




28mm f/2.8(左)と50mm f/1.4のレンズ





















その後、中古の28ミリと新品の50ミリのレンズを買い足したのだが、肝心のEMの調子が悪くなってしまった。
露出の計測に問題が出て、修理をするも再発。
経年劣化である。
折しも世はデジタルカメラの隆盛期。
ついにフィルムを見限り、2008年にデジタル一眼レフを買った。
小さい手でも楽に扱えるサイズの「D60」の、ボディだけを購入した。
たんに、レンズ付きで買うための資金的余裕がなかったというのが理由である。

以来9年間、デジタルカメラにMF(マニュアルフォーカス)のレンズを装着して撮影してきた。
カメラがマニュアルモードであれば、MFのレンズが使える。
絞り値、シャッター速度およびピントは、手動で合わせなければならない。
記録媒体がフィルムではなくメモリカードに置き換わっただけで、撮影スタイルの方はクラシカルなのである。

前置きが長くなった。
中古レンズを買った、という話だった。
ネットでリーズナブルな価格のレンズを発見したのである。
オートフォーカスで、18ミリから55ミリまでのズームレンズが11,000円。
三年落ちで、発売当時のカタログ表示価格は35,000円である。
加えて、古いカメラやレンズを下取りしてくれるというサービス付きだ。
さっそく電話を入れて取り置きをお願いした。
あくまで現物を見てから購入を決める、というスタンスだ。

リアル店舗へ行く。
実は、ここは父と私とで大いに世話になったお店である。
特に父は、ほぼ毎日フィルムの現像とプリントを頼んでいたことを、亡くなった後に知った。
中古レンズの現物を見ると、美品である。
持参したカメラに装着させてもらい、オートフォーカスをテストする。
その間に、下取りしてもらうつもりで持ってきた28ミリと50ミリを査定してもらう。
査定価額は合計9,000円。
レンズとの差額2,000円を追い銭しなければならない。
そう思っていたのだが、なんとレンズを1,000円値引き、査定額を1,000円アップしてくれた。
チャラになったわけである。
父のおかげか……?




Nikon D60に装着したAF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR II



















2017/10/23

目黒さんから次郎さん、三郎さんへ-->




















△偏固ジャーナル十月二十日(金)ドキュメント。
 こんな日にかぎって、朝から胸の調子がよくない。幸いに午後には治まったので、腹ごしらえをして、外出の準備。
 髭をきれいに剃り、服装を整える。足元から決める。茶色のサドルシューズを選択。煉瓦色のクレープ底が貼ってある。パンツは濃い色のタータンプレイドに、靴と同色のベルトを通す。紺色のボタンダウンシャツに、黄金色無地のシルクタイを締める。最後に紺色のブレザーコートを羽織り、ポケットには紺色のポケットチーフをはさんだ。
 まあ、いわゆるひとりの「めかし屋」だ!
 トートバッグの中には、寒くなった時のためにタータンのマフラーと鹿皮の手袋を入れた。その他に折畳み傘、システム手帳と万年筆、『本の雑誌』の最新号と2005年の12月号も装備。電車の中で読むための本は、ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 消滅遊戯』だ。

 今日の目的地は大阪・梅田の蔦屋書店。店内のラウンジで行われる、大御所書評家の北上次郎氏のトークイヴェントに、予め参加申し込みをしてあった。
 梅田に、かなり早く着いたので、あちらこちらに寄り道をする。
 まずはマルビルの地下にある、FM COCOLOのスタジオを覗きに行く。関西の人気ディスクジョッキーであるマーキーが公開放送をやっている、と思ったが今日は休みだった。
 地下伝いにヒルトンホテルの建物まで歩く。エスカレータで5階にある書店へ。ジュンク堂としては規模の小さい店だが、やはり品揃えの点で郊外店には優っているのである。
 海外小説の棚をチェックしてから、別の棚でドローン関係の雑誌を見る。パーツを集めて自作するドローンや、水素を燃料にして飛ぶドローンなどに大いに興味をそそられる。
 LUCUA 1100(ルクアイーレ)に移動する。外では雨が降り出していたのだが、地下を歩いて濡れずに行けた。エレベータで9階の蔦屋書店へ。

 この時点で開演まで1時間半。早いにも、ほどがある!
 しかし、ここならいくらでも時間をつぶすことができるのである。ただの本屋ではなく、カフェ(スターバックスコーヒー)があり、Appleのショップ(キタムラ)もあり、(その他略w)ヴァラエティあふれるお店が併設されていて、飽きない。いや、すべて見て回ることなど、この空き時間でできそうにない。
 ムックを一冊買った。SPring-8を特集したPen+(ペンプラス)である。SPring-8とは、巨大な加速装置であると理解していたのだが、何を加速させるかというと、それは電子であって、加速装置はSPring-8の一部分にしかすぎないということが、ようやくこのムックをつまみ読みしてみて、わかってきた。

 それはともかく、会場となるラウンジの近くのデザイン関係の棚を見ていたら、なんとそこへ北上次郎氏が「楽屋入り」するために歩いて来たのである。彼は私にとっては目黒考二である。いきなり目黒さん初めまして、と声をかけて驚かせてしまった。
 本日のイヴェントタイトルは「北上次郎選2017年のエンタメおすすめ本30 今年読んで面白かった本をどーんと紹介」とやたらに長い。
 演壇がわりのテーブルの真正面、三列目に席をとる。北上次郎氏が登場する前に蔦屋の担当者が氏の紹介をしたのだが、キタカミと呼ぶのであれっと思う。1976年に『本の雑誌』を立ち上げて……は北上次郎のプロファイルとしてはどうかなあ。
 初めて聴く生のトークである。自身で言うように早口で、30冊をあっという間に紹介。以下リスト。

1.ダークナンバー(長沢樹)
2.冬雷(遠田潤子)
3.天上の葦(太田愛)
*4.地獄の犬たち(深町秋生)
5.ハンティング(カリン・スローター)
6.その犬の歩むところ(ボストン・テラン)
7.暗殺者の飛躍(マーク・グリーニー)
8.フェイスレス(黒井卓司)
9.横浜駅SF(柞刈湯葉)
*10.この世の春(宮部みゆき)
11.腐れ梅(澤田瞳子)
12.花しぐれ(梶よう子)
13.蘇我の娘の古事記(周防柳)
14.アキラとあきら(池井戸潤)
15.なかなか暮れない夏の夕暮れ(江國香織)
16.カンパニー(伊吹有喜)
17.球道恋々(木内昇)
18.北海タイムス物語(増田俊也)
19.女系の教科書(藤田宜永)
20.ヒストリア(池上永一)
*21.本日も教官なり(小野寺史宜)
*22.ルビンの壺が割れた(宿野かほる)
*23.盤上の向日葵(柚月裕子)
*24.つぼみ(宮下奈都)
25.君が夏を走らせる(瀬尾まいこ)
*26.ビンボーの女王(尾崎将也)
27.劇団42歳♂(田中兆子)
28.嘘つき女さくらちゃんの告白(青木裕子)
29.間取りと妄想(大竹昭子)
30.かがみの孤城(辻村深月)
*のついた作品は『本の雑誌』11月号でも紹介。

 ジャーナル子は翻訳ミステリ専門なので、興味があるのは5番と7番だけだが、グリーニーは二作読んだ時点で見限ってしまったのでスローターだけに集中する。その他の国内作品は、聴き流すだけだ。
 しかし、次郎さんの話を聴いていると、どの作品も面白くて読んでみたいという気にさせられるのである。
『冬雷』の遠田潤子を語る。『雪の鉄樹』でブレイクした今注目の作家、『オブリヴィオン』もすごく良くて、『本の雑誌』の最新号で採りあげたという。ええっと、何と書いたんだったかな……と続けたところで、蔦屋の担当者が売り場へ最新号をとりに走る。広い店ゆえ、話の続きには間に合うまい。最初から用意しておくべきだろう。
 というわけで、ジャーナル子がバッグから最新号をとり出して「新刊めったくたガイド」の頁を開けて、次郎さんに渡した!のである。
 ところが『オブリヴィオン』を紹介したのは未発売の12月号だったので、どちらにしても役には立たなかったのである。

 次郎さんは30冊の紹介を、見事に時間通りに語り終えた。その後サイン会が行われたので、件の『本の雑誌』の表紙に「北上次郎」と書いてもらった。
 もう一冊の2005年12月号の「笹塚日記」には、ジャーナル子(イニシャルT)が目黒さんにメールを打って、氏のレシピでドライカレーを完成させたエピソードが載っているのである。そのことを話すと「ほんとうですか!」と言って、表紙に「目黒考二」とサインをしてくれた。
 帰り際に、菊花賞のついでに来はったんでしょうと訊いたら、そうです、と藤代三郎の笑った顔が答えた。台風が迫り来るなか菊花賞は開催されたが(キセキが一着)、目黒さんが無事に帰京できたのが、気になっている。
 

2017/10/15

All You Need Is Kill-->


「格安SIM」使用でためたポイントが無効になるというので、そのポイントを使ってDMMのストアで電子書籍を買うことにした。
さて、何を買う?

昨日、万博公園にあるTSUTAYAに行った。
贔屓チームの試合を観に行ったついでである。
文庫の棚に『日本SF傑作選』(ハヤカワ文庫)の小松左京編が面陳されているのが目に付く。
はなから買う気はないのだが、手にとってみる。
分厚い。
値段も高い。
1,500円ぐらい。

筒井康隆編の方が興味ある。
こちらは棚のB面に並べられていた。
同様に分厚い。

海外小説だけをまとめた棚がある。
著者名順に並べられている。
こういう並べ方をすると、ハヤカワ文庫の在処がよくわかる(笑)
ヒギンズを探すが、ない。
ならばマクリーンは?
32刷の『女王陛下のユリシーズ号』があった。
迷ったが、棚に返す。

ウィアー『火星の人(上・下)』もある。
試し読みしてみる。
いつも、評判だけで買って失敗する。
立ち読みすればいいのだが、それすら面倒くさいと思ってしまうのである。
『火星の人』は、よさそうだった。
けれども、また棚に返した。

何か月か前に買ったアーチャーもまだ読んでないし、いたずらに積ん読を増やさんでもええやないか。
というわけで、手ぶらで!帰る。

電子書籍の話に戻る。
悩んだ結果、コミック版『All You Need Is Kill』を買って、全2巻をダウンロードした。
コミックはタブレットで読むのに適している。
見開きで画面構成してあるところは、やや問題が生じる。
その場合は、端末の向きを回転させることで見開き表示できる。

図書館に返すヘイズ『ピルグリム・1』を先に読まなければならないのだが、『All You...』に手をつけてしまい、一気に2巻を読み終えてしまった。
この作品はトム・クルーズ主演で映画化された。
それを先に観ていたのだが、脚本は原作をかなり書き変えている。
コミック版(桜坂洋原作の同題ライトノベルを漫画化したもの)と映画では、観賞し終わった後感がドライとウェットで異なる。
どちらがドライかウェットかということは、書かないでおく。

 

2017/10/13

タイムスリップものを読む?-->


昔『タイムトンネル』という、洋もののテレビドラマがあった。
楕円状の短いチューブを、間隔をあけて並べてあって、それらがチューブの穴の側からはトンネルのように見えるタイムマシン。
それがタイムトンネルだった。
その入口は、人が立って入っていけるほど大きくて、奥に進むほど小さくなるように見える。
このマシンが事故で科学者を過去へ送ってしまい、なかなか現代に帰ってこれないという話だったと記憶している。

時間旅行というテーマは、H・G・ウェルズの『タイムマシン』以来、サイエンスフィクションの王道である。
ヴァリエイションも数多ある。
3分だけ未来が見られるとか、同じところを何度もリプレイするとか、そこに恋愛をかけ合わせたり……
自分が好きなのは、ヨーロッパの中世にタイムスリップするってゆうやつ。

映画化されたマイクル・クライトン『タイムライン』(1999年)は、SNSみたいなタイトルだけれど、現代と中世のフランスを行き来する話だ。
SFだが、甲冑の騎士が登場してきて戦う。
この作品は、なかなかよかった。



表紙絵はもちろんニコイチ




















スーザン・プライス『500年のトンネル』という作品が『タイムライン』とは同工異曲だが、1年先に出ている。
こちらのトンネルは、巨大な土管が山に突き刺さっているイメージのタイムマシンで、その名も「タイムチューブ」である。
スイッチを入れて、現代の側からチューブを通って向こう側に抜けると、そこは16世紀のイギリスという設定。
創元推理文庫の上下二巻本を、いつ面白くなるかと期待をしつつ読み進み、最後まで行ってしもた。

さて、ここにガバルドンという作家の『アウトランダー』というシリーズがある。
これまた200年前のイギリスにタイムスリップする話で、他社の文庫だったのがハヤカワに移籍して出ている。
食指は動くが『500年…』の失敗があるのでチュウチュウ、ぢゃなかった躊躇している。

 

2017/10/08

ピンクの豚を食いそこね-->






















秋とは思えぬ陽気の日曜日。
吹田市立吹田スタジアム(くどい!)で、Jリーグ杯争奪戦の準決勝第2戦が行われた。
通称はルヴァンカップである。
地元ガンバ大阪の対戦相手は、同じ大阪の名を冠した(否、下に付いてるぞ)セレッソ大阪である。
いわゆるダービーマッチだが、ちょっと意味合いが微妙である。

その理由は。
セレッソが大阪市をホームタウンとしているのに対して、ガンバは大阪市ではなく大阪府北摂の数市をまとめてホームタウンとしているところにある。
セレッソ側が、我こそが純正の大阪であって、ガンバは「ガンバ北摂」または「ガンバ吹田」やないかと、常に揶揄しているのである。
このことについてはセレッソ側の主張に分があるように思われるが、それを大っぴらに言うと、身内に袋だたきにされそうで怖い。

日本リーグ時代まで遡る。
チームは企業の丸抱えで、というより蹴球協会に登録した企業内のフットボールクラブが、リーグ戦を行なっていたという方が正しい。
基本的にアマチュアのクラブである。
釜本邦茂(ヤンマー)であろうが古田篤良(東洋工業)であろうが、その会社の社員という扱いである。

当時、ヤンマー(愛称は付かない)の人気が最も高かった。
その血統を受け継ぐのがセレッソ大阪であり、当然大阪から真っ先にJリーグに加盟してもらうべきチームだったが出遅れた。
そのために最初期のブームの時にファンを取り逃がしてしまった感がある。
ミスター・ヤンマーとも言うべき釜本邦茂をも、ガンバの監督に奪われてしまった。























セレッソのサポーターが掲げるスローガンの一つに「Real Osaka」というものがある。
Realを、スペインの有力チームが冠する「Real(レアル)」と「真の」という意味の英語にかけている。
大阪市の市花である「桜」をチーム名とし、ユニフォームの色もピンクである。
セレッソ大阪を見下したいガンバ大阪のサポーター達が、彼らのことを「ピンクの豚」と呼ぶ所以である。
個人的には、可愛い名前だと思うがな……

それはともかく。
ダービーであろうがなかろうが、試合をするからにはピンクの豚を食って、勝たねばならぬ。
勝ちたいが、仮に引き分けでも0-0または1-1ならば、決勝戦に進出できることになっている。
前半、セレッソが先に得点して0-1。
後半、ガンバが得点して1-1。
ガンバは守備の選手を交代で入れて、逃げ切ろうという策に出た。
自分が監督なら、駄目を押しに行くがな。
90分を経過して、ロスした5分が追加された。
電光掲示板には追加時間の経過は表示されないので、ストップウォッチで計る。
残り30秒から、さらに時計は進む。
セレッソ・水沼から木本に弾丸クロスが通り、ヘディングシュート炸裂。
1-2となった。
残り十数秒で2点を入れ返さなければ勝ち目無し、ということで万事休す。

この試合、マッチコミッショナーは古田篤良。
ガンバ大阪は今年度無冠が決定した。

 

2017/10/01

インフルエンザぢゃない?-->


九月を飛ばして十月に入った。
秋になると襲来するのがカメムシである。
ここのアパートでよく見るのは体長が約15ミリで、黒いスクデット(盾)の形をしたやつである。
臭いにおいを放たなければ、なかなかいいデザインの昆虫なのだが。
カメムシの知能がけっこう高いのではないかと思わせるのは、ヴェランダに置いてある自転車のタイヤ部分に張り付いたり、構造物の陰で身をカムフラージュしているのを発見したときである。
そして、一匹見つかると、たいていもう一匹が近くにいて、こいつらは二匹一組で行動しているのではないかと思われるところがある。
排除したいのだが下手に触ると悪臭を放つので、「冷凍スプレイ」を使って、瞬時に冬眠させてしまうことにしている。

九月末日。
Jリーグ1部の第28節の試合が行われた。
前節まででガンバ大阪は40ポイントで第8位。
首位は61ポイントの鹿島アントラーズである。
残り7試合でポイント差21、ということは……
ガンバが優勝する可能性は無きにしもあらず(笑)。
今節の相手は第5位の横浜F・マリノスだ。

いつものようにMTBで万博公園まで走る。
チェインに潤滑油をさし、タイヤに空気を足すのは、いつもの通り。
モノレイルの駅の下に駐車して、スタジアムまでを歩く。
スタジアムの駐車場にとめると、帰りは観客の雑踏を抜けられなくなるのである。

キックオフまで2時間以上ある。
エキスポランドの跡地にできた商業施設「エキスポシティ」に入る。
出来心?で入店したadidasのショップで、紺色のジャージに目が留まる。
上下で2,800円!
元値の七割引である。
まったく予定していなかったのに、買ってしまった。

試合を観ていたら、寒気がしてきた。
買ったばかりのジャージを羽織ってもまだ寒い。
そう思っているうちに手指がしびれだした。
これはインフルエンザの初期症状ではないか……?
ハーフタイムにサンドウィッチを一つ食べ、常備している沈痛解熱剤を飲んだ。

動けるうちに帰ろうと決心して、スタジアムを出る。
タクシーで帰ろうか、いやいやそんな金はない。
MTBでそろっと走ろう。
という訳で自宅までたどり着いた。
MTBを置いた階段の踊り場にカメムシがいて、ちょっかいを出したら臭いガスを吹きかけられた。
だから、触ったらあかんって。

インタネットで、試合の結果だけを見る。
後半になってから0-1、1-1と推移して、最終的に1-2で敗戦。
優勝の望みは絶たれたのであった。

体調は、一晩でほぼ回復した。
インフルエンザではなかったのか?

 

2017/09/02

iOSは禅の境地にあらず-->



「ギガが減る」という表現は、言い得て面白い。
格安SIMを導入してから、ウェブ上に設定されたユーザページで、自分の使用量をチェックするたびに、同じこと(残り何ギガ?)を感じていた。
契約したのは5GBのプランで、動画視聴時間が多くならなければ、不足することはない。
音声通話は見切ったのでデータ通信オンリーのプランだが、月額1,210円だった。
安いこと、この上、ぢゃなかった、この下ない。

現在は、都合によりSIMをもう一枚買い足して、2枚の合計で8GBまで使えるプラン(月額1,980円)にしてある。
2枚目のSIMは携帯型の無線ルータに導入、先代のiPad miniとWi-Fiで接続している。
このiPadはSIMロックがかかっているので、新しいSIMとの差し替えはできないのである。

つまるところ「iPad mini + 無線ルータ」と「iPad mini 2 + iPhone SE」という二輪体制ができたわけで、前者を実家の母に預けている。
預けたが、まったく使えていない。
PCの操作にようやく慣れたのに、さらに新しい機械の操作には追いつけない、といったところか。
使えるようにしてやりたいが、iOSはジョブズが言うほど解りやすくはなく、教わるのも教えるのもむずかしい。

それで思い出したが、Palm OSの方が易しかった。
ディスプレイの解像度は低く、スタイラス必須だったが、操作がシンプルだった。
「禅」の思想において、iOSを凌駕していたと思う。


日本語版最終モデルのPalm m515。SDカードでBluetoothに対応した















 

2017/08/31

電話ぢゃないiPhone-->


突発性難聴になって耳の聴こえが悪くなったが、前から性能の低い耳だった。
携帯電話の音が聴き取りにくいのである。
安もん買い、と揶揄されながらPHSを好んで使っていたのは、抜群に音質がよかったからである。
ベータがVHSに駆逐されたのと同様にPHSが姿を消すことになったのは残念である。



SHARP製のスマートフォン「W-ZERO3」。2007年の我が愛機


















それはともかく。
電話機は好きだが通話は苦手、というけったいな理由で、電話を携帯するのをやめてしまった。
その辺りの経緯は、前にも書いたと思う。
iPad miniのWi-Fi+Cellularモデルに買い替えたのである。
キャリアはSで、SIMロックがフリーではない頃のモデルだ。

iPad miniは、ほぼA5サイズ。
これをルースリーフノートのバインダに挟みこんで、携帯することになった。
到底ポケットには入らない。
つまり、手ぶらでは出歩けないことになってしまったのである。
それが我慢できない、というほどのこともないのだけれども。

電話を携帯しなくなったことで、お前は連絡がつきにくいという苦情が二、三あったけれども、こちらはどこにいても電話がかかってくる不愉快さが無くなって、気楽になった。
それに、Eメイルは随時送受信可能である。
また、iOS端末同士なら「FaceTime」アプリで交信可能のはずである。

二年後。
iPad miniを、SIMロックフリーのiPad mini 2に買い替えた。
その理由は「格安SIM」を導入するためである。
これによって毎月の通信費が四分の一ほどに激減し、マシン買い替えの元はすぐにとれたのである。

現在。
iPhone SEを買い足した。
24回分割払い・金利ゼロ、というのに惹かれて(爆)
iPad mini 2に導入したSIMを、iPhone SEに移植した。
このSIMはデータ通信専用のものなので、キャリア経由の音声通話はできず、FaceTimeは使えるという事情には変わりがない。

iPhone SEは、わが家の無線ルータとして働いている。
Wi-Fiマシンに堕したiPad mini 2とデスクトップのMac miniを随時接続している。
iPhone SEだけを持って外出することもできるようになった。
iPhoneを携帯してるのに、電話はしない。
そんな奴、おる?

 

iPhone SE。Spigen製のケース装着済み。横持ちして、親指入力を行う


















2017/08/29

腹立半分日記by筒井康隆-->


今さらながら『腹立半分日記』を読む。
白状すると、筒井康隆作品は今まで、まったく読んでいない。
高校生のころ、同級生が筒井作品にはまって、ええでええでと騒いでいた。
こっちは五木寛之や畑正憲(ムツゴロウ)のエッセイを好んで読んでいた。



装幀:山藤章二



ほぼ40年前の本だが、古いがゆえの再発見・再確認ができて、面白い。
レトロスペクティヴというやつである。

本体というべき「腹立半分日記」は、著者が雑誌『面白半分』の編集長を務めていた期間、同誌に連載されたものをまとめたものである。
そこに、サラリーマン時代(乃村工藝社)やSF作家としてデヴィウする頃、その他の日記を加えて一冊の本にしてある。

「SF幼年期の中ごろ」と題された日記群は、昭和39(1964)年11月18日から始まる。
奇しくも、小生9歳の誕生日である。
著者はこのころ、千里山にある両親の家にいたと書いている。
その千里山に、当時小生も住んでいたのである。
もっと言えば、小生が通った小学校に、筒井少年もかつて通っていたのである。

また、筒井の作品を、ラジオで酒井哲が熱演、という記述が出てくる。
酒井は俳優でナレーター。
うちの家族と同じ団地(小学校に隣接している)に住んでいた。
息子の充(みつる)とは同級の友だちだったので、親父さんとも何度も顔を合わせている。
知った土地、知った名前が出てきて懐かしい。
もっぺん書くけど、レトロスペクティヴというやつである。

筒井家は、男ばかりの四人兄弟。
上から順に、康隆、正隆、俊隆、之隆という名で、これを間違わずに入力できたのは「や・ま・と・ゆ」と語呂合わせをしておいたからである(笑)
四男の之隆氏とも、少ないながら出会いがあった。
彼は読売新聞大阪本社の広告局に勤務していた時期があって、そこから仕事をもらっていた印刷会社の担当営業マンが、小生だった。

それはともかく。
本人は、
「いやなことや腹立ちや自己嫌悪や何やかやを吐き出すため、しかたなく(後略)」
と書いているのだが、作家が、人に読ませるために書く日記だから、面白くないわけがない。
偏固ジャーナルとはわけが違う。
最後に、小生が最も面白く読ませてもらった1976年のある日の記述を引いて終わる。

11月27日(土)
黒田先生に健康診断してもらった結果は、中性脂肪が287とのこと。普通は160ぐらいでなきゃいかんらしい。コーヒーと酒はやめろと言われてしまった。飯を食い過ぎてもいかん。血圧も高いからタバコをやめろ。ではいったい、何を楽しみに生きたらいいのだと、家へ帰ってからわめき散らしていると、妻が言った。「わたしがいるじゃないの」
 


2017/08/28

オートチャージしてもうたん?-->


スルッとKANSAIが発行していたプリペイドカードが販売を終了した。
ICカードタイプの電子マネー「PiTaPa(ピタパ)」が普及したためだ。
私鉄系のPiTaPaは、JR(これも私鉄だけど)系の「ICOCA(イコカ)」との連携をはたし、どちらの改札をも通ることができるようになった。

PiTaPaが完全なポストペイ式(後日まとめてクレジットカードで決済される)であるのに対して、ICOCAはプリペイドと同様の支払い方式である。
したがって、ICOCAのカードには、あらかじめ幾ばくかの金額がチャージされていないといけない。
そのチャージを何度もできるところが、従来のプリペイドカードとは違う。



隠れているのは、いわゆる提携カード



わが母が、プリペイドカードの愛用者であった。
新しいものぎらい?の彼女も、やっとPiTaPaのユーザとなる日が来たのである。
煩雑な申し込み手続きは息子の役目であるが、俺にとってもやーこしい。
オートチャージの仕組みが理解できないまま、申し込んでしまった。

PiTaPaのICカードには、最初(データとしての)お金が入っていない。
初めて改札口を通るとき、自動的に2,000円分のデータを書き込んでくるのである。
それがオートチャージという仕組みで、JR線を利用するための「担保」を先取りするわけである。
母はこれが大層不満で「私はJRなんか、めったに乗らへんのに」というわけである。
これには俺も責任を感じる。
オートチャージ不要、で申し込みをしなければならなかったのだ。

最寄り駅のPiTaPaの窓口まで行って、オートチャージの設定を解除してもらった。
それでも、いったん入金した2,000円が返ってくるわけではなく、PiTaPaカードの期限が切れたら返ってくるということだった。
その期限が2025年、遠い未来である。

息子、一計を案じる。
JRの駅で切符を買って(PiTaPaカードにチャージされているお金で買うことができる)払い戻しを受ければいいのだ!
うまいこといくかいな、駅員に不審がられへんかな、払戻手数料とられへんかな、といろいろ心配する。

ネットで調べたら、最近の券売機には払い戻し機能がついているようだ。
大阪経由で神戸に出かける日、西口の券売機でチャレンジした。
問題がいろいろあった。
・2,000円ちょうどの行き先がない
・1,000円ちょうどの行き先がない(2枚買ってキャンセルする場合)
970円を2枚買って我慢するか、と考えていたところ「500円」のボタンを見つけた。
4枚買って、払い戻し用のスロットに入れたが、機械に拒否されてしまった。
どうやら、ICカードで買った切符は、機械による払い戻しに対応していないようだった。
やむを得ず、係員を呼び出して、改札口で払い戻しをしてもらった。
1枚ずつ端末に挿入して、その度に500円玉1枚が戻ってくる、というのを4回繰り返さなければならず、恐縮する。
怖い顔をした女性の駅員だったのだ。

きっかり2,000円奪還したが、母にはまだ返していない。

 

2017/08/27

ケニヤの紅茶に恋して-->


母がケニヤを旅したときの土産だから、十年以上前のことである。
その土産というのは、紅茶だった。
袋をあけてみると、いかにも安っぽい「粉茶」だったので、
「こんなもん、いらんわ」
と言って、突っ返してしまったのだ。




























とにかく色濃く出せればいい、というティバッグの中身のような茶だった。
見かけは、である。
後日、実家の母がいれてくれたその紅茶の味に、打ちのめされた。
柑橘を彷彿させる香りと味を備えているが、それはアールグレイのように香り付けをされたものではなく、茶だけの味である。
紅茶を専門に飲んできた何十年間で、初めて経験する味だった。
今まで飲んだことのあるどの紅茶よりも、おいしいのである。

母に平身低頭して、残りの茶を譲ってもらい、飲み続けた。
ストレイトの抽出液は濃度が高く、ミルクティにしても充分楽しめる。
そして、風味が爽やかである。
一度飲んだらやめられない、麻薬のような……
ひょっとして、ケニヤの茶葉は麻薬の成分を含むのか?

茶の木は、寒暖差が大きくて比較的湿潤な高地を好む。
条件が合えば、インドでもスリランカ(セイロン)でも、ケニヤでもいい紅茶ができるという理屈である。
しかし、ケニヤの紅茶の味わいは、他の土地のものとは、まったく異なる。

大きな問題は、もらった袋の紅茶を全部飲んでしまったら、補充がきかない、ということだった。
ケニヤに買いに行く以外、方法はないのか?
というわけで、国内でケニヤ紅茶を扱っている業者を探す旅が始まったのである。

大阪・堂島に店のあった「ティハウス・ムジカ」が袋売りしていた紅茶の中に「アフリカン・ジョイ」というものがあった。
中身はケニヤだということなので買って飲んでみた。
インド産といっても通る味だった。
つまり、国内に出回っている一般的な紅茶と変わらない。

それ以来、紅茶の袋の原産国名表示を見て回る日々が続いた。
二年ぐらい前、成城石井ストアで「fine KENYAN HIGH GROWN LOOSE TEA」を見つけた。
「Williamson Tea」というブランドで売られている輸入品である。
これが、かなり母の土産の味に近かった。
今月、阪急・岡本駅近くの雑貨屋で、偶然Williamson Teaを見つけた。
今回買ったのは「HIGH GROWN KENYAN LOOSE TEA」と少し名前が異なる。
味は、自分が求めているケニヤのものとは違った。

今年になって、ドンピシャの味を提供してくれたのが「ひし和」である。
ティバッグとCTC(葉を粒状に丸めたもの)でケニヤ紅茶を販売している。
ティバッグの方を飲んだら、求めているケニヤの味だった。
やっとたどり着いた。

ところが。
ティバッグを全部使い果たし、CTCを買って飲んだら、普通の紅茶だった。
あわててティバッグの方を買い直して飲んだら、こちらも普通の紅茶だった。
そんな阿呆な……
プルクワ?

ケニヤ紅茶を探す旅は、また振り出しに戻った。


 

2017/08/22

さらば墓を守るトカゲ-->


電気の供給元を変更した。
ずっと地元のK電力から買っていた。
8月から値下げしてくれることになっていた。
しかし。
値下げの根拠は、原子力発電所の再稼働にある。
もし、K電力以外の選択肢があるのであれば、脱原発に賛成の立場の者としては、そちらを選びたい。
それが見つかった。
ガスを売る会社が電気も売っているが、そこではない。
太陽光で発電する電力会社があったのである。

それはともかく、お盆の墓参りの話の続きである。
墓石の花立てに水を満たして洗っていたところ、底からオーバーフロウしてくる物体があった。
小さいヤモリの死体であった。
誤って花立ての筒の底に落ちてしまったのだろう。
彼(or彼女)の能力をもってしても、つるつるの筒(樹脂製)の中を登ることはできなかったのだ。

ここは墓所であるし、生き物の亡骸を粗末に扱うことはできない。
そう思い、墓所の空地に立っている木の根元に小さな穴を掘って、埋葬したのである。

その翌日。
自宅アパートの窓に張りついているヤモリを見つけた。
昨日埋葬したやつとそっくりだ。
ガラスの向こう側だが、網戸の内側である。
ということは家の中だ。
どっから入ってきたのか。
ともあれ、やんわりとお願いして、外に出ていただく。

ヤモリへの対応がソフトなのには理由がある。
ヤモリは家守と書くように、守り神的存在である。
生物学上は爬虫類、トカゲの一種なので、気色悪い!と思う人も多い。
しかし調べてみると、まったく無害で、害虫を捕食してくれる「いい奴」なのである。

アパートの建物の外側には、ヤモリが住めそうな「隙き間」が随所にあって、そこで繁殖をしているらしい。
最初に出会ったときこそびっくりしたものの、しょっちゅう見るようになって慣れ、親近感さえおぼえるようになった。

という訳で、墓地で死んでいたヤモリよ、君も安らかに、と願う。

 

2017/08/16

お盆の墓参り-->


お盆とはどういう意味か。
「盆」という字自体には、この仏教儀式の意味は見出せない。
なぜならば、梵語の音に漢字をあてているだけだからだ。
要するに、亡くなった人たちを、お寺に集まって偲ぶ会のことと思えばよろしかろう。

菩提寺のKでは、ご多分にもれず「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をこの時期に開催し、檀家信徒衆を一堂に集めている。
わが家は、この混雑を嫌い、わざと法要の当日を外して墓参りに行くのを最近の常としている。

母は、体がえらいと言って、ここ二年は来ていない。
さもありなん、盛夏の墓地ときたら、灼熱地獄(おっと失礼)である。
墓参りに来て倒れられたりしたら、大変だ。

という訳で、単独で墓参する。
あらかじめ、出発地近くで供花を買い求め、地下鉄に乗り、大阪市内某所のK寺まで行く。
時刻は午後三時ごろ、太陽が真上をやや通り過ぎるのを見計らってのことである。

武田家の墓は、隣り同士の分家のものを合わせて八基あるので、掃除も大変だし、供花の数量も尋常ではない。
体力も経済も消耗する道理である。























武田家の出の叔母が、六月に突然亡くなった。
独居しており、訪問してきたヘルパーによって発見された。
多分心臓発作を起こしたのだろうという医師の見立てだった。
叔母の兄である私の父も、独居中おそらく急性心不全という亡くなり方だったので、血は争えない。
叔母にとっての初盆にあたるが、彼女はカソリック信者になったため、お盆らしい儀式はなされない。

墓地の隣もまた、お寺である。
向かいも、そのまた隣もお寺である。
この辺は寺町なので当然だ。
隣の寺の方が羽振りがよくて、三階建ての宿坊を新築中なのである。
その三階に取り付けるはずの樋受け金具が、屋根の端から落ちて、こちらの墓地の塀の上に突き刺さっていた。

墓参りを終えて帰る途中、引き抜いておいた樋受けを、隣で作業中の棟梁に届けた。
「隣の寺の檀家のもんですが、こちらの墓地にお宅の樋受けが落ちてましたで」
「はあ、それはえらいすんません」
「人に当たらんでよかったですな」
嫌味を言って去る私。
仏の心は、いずこ。

 

2017/07/24

パワーのないフォント-->


『文字を作る仕事』を読んだ。
著者は鳥海修(とりのうみ・おさむ)氏。
フォントデザイナーにしてフォントヴェンダー・字游工房の経営者である。
「ヒラギノ」には大いに世話になっているので、あまりけなしたくはないのだけれど……

『文字を作る仕事』(晶文社刊)は、第65回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
この程度の文章で賞がもらえるんやったら俺かて、と勇気が出てくるんである。
ごめん。






















本文フォントは文章を構成する部品であって、空気か水のような存在でありたい、という著者の思いは理解できる。
その思いを反映させたのが、字游工房オリジナルの書体「游明朝体」で、このフォントを採用しているのが『本の雑誌』である。

『本の雑誌』が長い間活版印刷にこだわっていたのは、よく知られた話である。
2003年3月号からオフセット印刷に移行した。
活字から写真植字になったわけである。
長年のファンからは総スカンをくった。
曰く「文字に力がなくなった」「(版面が)白っぽくなった」「薄くて読みづらい」……

いやいや写植になって格段に読みやすくなったやんか、とこちらは思っていた。
しかし、写植も廃れてDTPに移行するのである。
本の雑誌社編集部においても、InDesignに(まさかQuarkXPressということはあるまい?)字游工房のデジタルフォントを搭載して、レイアウト・組版をしていることと想像する。

「游明朝体」に関して思うこと。
それがまさに「文字に力がなくなった」「薄くて読みづらい」ということなのである。
メリハリがなく、視認性に劣ると思う。
自然に眼に入ってくる力がフォント側にないので、読む側に力む必要が生じるのである。