2011/10/15

協調性のない男


大正川の左右にわたされた鯉のぼりの大群(2011.5.9)


訓練所に通う交通費は支給されていなかった。
そこで、できる限り自転車で通うことにした。
雨の日や疲れている日以外は、ということだ。

ポリテクセンターの裏を流れている川が「大正川」であることは、地図を見て知った。
センターの北隣にある市役所の脇を抜けると大正川の堤防に上がることができる。
堤防には自動車は走れない狭い道路が敷設されており、その脇のところどころに東屋(あずまや)があったりする。
センターの食堂の混雑とあまりの段取りの悪さを嫌っていた私は、その東屋で弁当をつかったり、市役所の食堂に行った後に休憩をしたりしていた。

自転車で堤防の上を走っていて、よく4月生のYMUに会った。
彼はここを歩いて、阪急電鉄の「摂津市」駅まで通っていた。
上の画像の背景に写っている大きなマンションの向こう側にその駅がある。

研修室でのYMUの評判はよくなかった。
協調性がまったく見られないのだ。
フォーミュラカーのキット製作の実習ではIttetsu(Dグループ)のリーダーに指名されたのだが、リードもしない。
自らが発表者として立っているときに携帯電話が鳴ると(マナーモードになっていない)、発表を放棄して研修室を出ていく。
注意されても改めない。
朝は一番おそく出所してきて、帰りは誰よりも早い。
昼休みは私と同様に行方不明。

そんなどうしようもないおっさんだが、堤防を並んで歩きながら、私とはよくしゃべった。
協調性がないことを除けば、普通の人だ。
境遇は私と似ている。
独り者で、失業中で、金がない。
市役所の食堂でときどき一緒に食事をすることがあったのだが、彼は毎回290円のラーメンだった。
私の方はいつもご飯(100円)、みそ汁(50円)、おかず(100円)×2品の350円定食。

仕事がないので、たこ焼きの屋台でもやるかと冗談とも本気ともつかない話をしていたのだが、ある週末に就職が決まり、YMUは突然姿を消した。
センターに入った連絡によると、姫路に赴任することになり、休みの間に住居も引っ越すということだった。
それ以外は彼らしくなんの挨拶もない。
研修室のハンガーラックには、彼が着ていたお仕着せのブルゾンが今も残っているはずだ。
 

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