基金訓練を受けながらも、別途就職活動をしている。
その資格をとるために学んでいるのだが、マンション管理業務主任者を目指しているわけではない。
食うために就職するためにやむを得ず。
そして、ガンバ大阪のジュニア部門がコーチングスタッフを募集していたので履歴書を送って応募したところ、書類選考の段階で落とされた、というのが今回のタイトルの意味だ。
サッカー(以降フットボールと書く)との関わりについて。
すでに記憶が定かではなくなっているのだが、小学校の高学年で初めてフットボールに接した。
オリンピックの東京大会はすでに終わり、そろそろ次のメキシコ大会が開かれようとしていた頃のことだ。
これが日本における第一次のフットボールのブームだったように思う。
ちばてつや作の漫画『ハリスの旋風』の中でもフットボールが取り上げられ、主人公石田国松のシュートがゴールネットを突き破るシーン(コマ)には大いに感動した。
このひとコマは、矢吹丈が真っ白に燃え尽きた(ように見える)姿でリングスツールに座っているシーンと同様に、脳裏に焼き付いている。
友だちからは少し遅れて、校庭でのフットボールゲームに加わるようになった。
何事も少し様子を見てから参加するのは、この頃からの習い性だ。
遅れてきた者に与えられるポジションはゴールキーパーと決まっており、分厚いゴムでできたボールを当てられる標的役となった。
中学校に進学して、野球部に入る。
先輩や友だちに誘われて断われず、いやいやながらもついて行くというパターンは、その後の人生においても続くことになる。
しかし、野球部の反自由主義的な雰囲気に耐えられず、一週間でフットボール部に移籍。
本格的にやり始めると、これぐらい面白いスポーツはない。
もちろん、練習はつらいのだが、それはどの種目でも同様だ。
中学校レベルでゴールキーパーはすでに「専門職」とみなされており、遅れてきた者にあてがわれるポジションではなくなっていた。
試合に出してもらえる下級生が任されるのは、フルバックと決まっていた。
1960年代後半に一般的だったシステム(選手配置)は、2-3-5。
なんと守備をたった二人のフルバックで担い、最前線に5人ものフォワードを置いていたのだ。
当然のことながら、フルバックは「サンドバッグ」状態となる。
そのレフト・フルバック(当時はLFと略記)が、私に与えられた最初のポジションだった。
左利きだったわけではないが、チームに一人も左利きがいなければ、右利きの者が左側のポジションを担当することになるのは必然だ。
このことも、その後のフットボール人生を、文字通り左右することになる。
やがてフォワードに「昇進」、レフト・ウィング(LWと略記)を任される。
ウィングはフィールドの端が主担当なので、アウトサイドとも呼ばれ、この場合はOL(アウトサイド・レフト)と略記される。
タッチライン沿いをコーナーフラッグに向かって攻め上がり、中央にボールを送り込むのが役目だ。
中央にはフォワードが3人、待ち構えている。
ど真ん中がセンター・フォワード(CF)、その両脇がライトとレフトのインナー(RI、LIと略記)だ。
インナーはインサイドとも呼ばれ、この場合はRI、LIとは逆にIR(インサイド・ライト)、IL(同・レフト)と略記する。
超攻撃的な布陣だ。
このレフト・インナーも経験した。
(2B continued...)
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