2012/09/12

ピアニスト死す


古い友人で、ピアニストの古川美穂が亡くなった。
最後に会ったのは2011年6月18日、共通の友人宅で食事した時だ。
当日は万博記念競技場でガンバ大阪対横浜Fマリノス戦が開催された。
プラチナチケットをもらっていたのだが、おかげで行けずじまい。
彼女はその後に体調を崩して入院。
いったん回復して退院した。

2012年7月14日、例の共通の友人宅でバーベキューが行われた。
当日はまたしても横浜Fマリノス戦。
何日も前にお誘いを受けたのだが、バーベキューの方を断わった。
古川美穂はこれに顔を見せていたそうだ。
その直後に子宮癌が再発して入院。
9月6日早朝に亡くなった。
7月20日に57歳になったばかり。
9月8日通夜、9日本葬儀(浄土真宗)。
戒名は「釋尼美奏(しゃくにみそう)」と付けられた。

最初の出会いは小学校においてである。
中学校、高校も同じ。
あだ名は「かっぱ」。
一時期のヘアスタイルに由来する。
愛知県立芸術大学に進学し、ピアノを学んだ。
すでに4歳ぐらいから習っていたらしい。
その後、巨匠マックス・エッガーに師事。
現在までに古川自身が教えた生徒も多数いる。

ほぼ毎年、演奏会に招待されて足を運んだ。
彼女が選ぶのは至難の曲ばかりで、聴く側にも緊張を強いるものだった。
それを豊かな力量と技術で見事に弾き切った。
その演奏を海外メディアが「Clean」と評したこともある。
彼女が誕生日を迎えたばかりの日、花束を持って楽屋を訪ねた。
深紅の薔薇を39本。
帰宅してからその本数を数えて(なぜ切りのいい40本ではないのか?)
ほんとうの意味(誕生祝い)を理解した彼女から、後日礼状が届いた。
その後も花束は続けたが、ある時もう持ってこないでと言われた。
他のファンが持ってくる花だけで手一杯だったそうだ。

生まれた時の約束どおり、死は必ず訪れる。
親も年老いて、先は長くない。
かく言う自分もそれほど先は長くない。
わかっているけれど、実際に親しい人の死に対面すると、つらい。
 

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