第1部の始まり…… |
ガンバ大阪主催のサポーターミーティングに参加。
マッチデイと同様にMTBで走って行ったが、戦闘服は着ていない。
会場はホテル阪急エキスポパークの宴会場だ。
うるさいのやらおとなしいのやらを合わせて300余人のサポーターが集結。
豊中後援会のH氏を見つけ、近くに座席をとる。
開始時間が来るまで、ホワイエでガンバのスタッフたちと雑談。
「どうぞお手柔らかにお願いします」とはY女史。
こちらにその気はないけれど、他のサポーターたちが追及するにちがいない。
K氏をつかまえて、我が友人Marcoのことを話す。
過日、そうとは知らないK氏がMarcoの勤務先に営業をかけたそうだ。
応対したMarcoは真相を打ち明けないまま話を終えたと言っていた。
人の悪いやつだ。
第1部のミーティング開始。
壇上には強化担当の梶居氏、経理担当の小川取締役、金森CEO、野呂顧問、前強化担当の山本取締役が並ぶ。
まずはチームの不成績に対する弁解。
対策とその結果の説明。
一部のサポーターから怒号が飛んで、金森CEOが黙らせる場面もあった。
怒ってもしかたがない。
それに対して言い訳しても、これまたしかたがない。
勝ちを願っているサポーターには「ごめん」と謝るしかないだろう。
チーム不調の時期にサポーターの声を聞くというのは、勇気ある行動だ。
質疑応答。
質問者が冷静ではない。
要望や難詰まがいの発言がある。
クラブ側は5人ずつまとめて質問を受け付ける。
5人分の質問を聞き終わってから、まとめて回答する。
回答を待つ間に質問者たちの頭は冷えているというわけだ。
他の聴衆も、どんな質問があったかを正確には憶えていない。
追及をかわす一つのテクニックだ。
最も反響の大きかったのはGKに関する質問だ。
会場からは大拍手。
#1藤ヶ谷に替えてGKに据えた#29木村が負傷欠場を余儀なくされたときに、なぜ外部から補充しようとしなかったのか。
補充しようとしたが、できなかった(オファーまでしたが、成立しなかった)。
そういう答だった。
第2部はスタジアム建設計画の進捗状況説明。
および募金のPR。
ゲストの釜本邦茂氏があいさつ。
「香川が得点してフランスに初めて勝った言うてるけど……」
と始まる。
1968年10月20日、メキシコシティ。
オリンピックの決勝トーナメントで日本は3-1でフランス代表に勝っている。
その試合で釜本選手は2得点。
自分の方が先にフランスに勝った、2点も取ったと言いたいわけだ。
ガンバの選手も出てきて、こんにちは。
司会者の質問に誘導され、二川、加地、明神3選手がフットボール専用スタジアムの良さをアピール。
サポーターに寄付させるにはこのPRが最も効果的。
ただし。
吹田市立スタジアム(仮称!)が完成する頃、これらの選手がガンバ大阪に在籍している保証はまったくない。
会場のホテルからの眺め |
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