処分しようと思って古い本を整理していたら『イチローの流儀』が2冊出てきた。
2006年3月30日発行(初版)のハードカヴァと、2009年4月1日発行の文庫版である。
版元は新潮社、著者は小西慶三である。
私はハードカヴァを読んだ後、文庫版は買っていない。
これは、おそらく実家の本棚から勝手に持ち出してきたものに違いない。
しかし、読んでもいないのは、文庫版あとがきと解説が本日初見だったことから判った。
ケイゾー、というのは仲間内での彼の呼び名であるらしい。
いやいや、それが本名だから。
実は、彼とは古い知り合いである。
1971年の冬に、我が家は引越しをして、前年に開催された万博のコンパニオンの宿舎になっていた公団住宅の一室に入居したのである。
周囲の部屋には、まだ誰も入居しておらず、まるで冷蔵庫の中に住んだかのように寒かったことを憶えている。
少し遅れて、我が家の真下の部屋に引っ越してきたのが小西家だったのである。
ケイゾーは当時5歳だったはずである。
痩せっぽちで、眉を八の字に寄せ、神経質そうな男の子だった。
ちなみに、こちらはこの年に高校に進学を果たしたのである。
それ以前に、中学校では同級生の一部の物好きが集まって、アメリカンフットボールの真似事を校庭でしていた。
私はクラブ活動でフットボール(サッカーのことな)をしていたので加わることはなかったが、かなり興味を持ったことは確かである。
数年経ってアメリカンフットボールに人気が集まるようになり、テレヴィ放送でも、よく観戦をするようになった。
そしてついに、楕円球を買ってきて、我が弟とキャッチボールをするまでになってしまった。
団地の庭で、我々がアメリカンフットボールごっこをするのを、ケイゾーが見ていたらしい。ということを彼のお父上から、うかがったことがある。
どうやら、アメリカンフットボールがしたくなってKGに進学したふしがある。
やせっぽちで、虫網を持って近所を走っていたケイゾーは、チームの守備の要となり、主将にも選ばれた。
卒業して通信社に職を得て、フットボールではなくベイスボールの取材を担当することになったのは、彼が自分のMLB好き・知識豊富を就職試験の場でアピールしたからのようである。
これがそもそもケイゾーがイチローと関わることになる、発端である。
ケイゾーが取材先から原稿を通信社に送るのに苦労しているというのは、これまたお父さんから、うかがった話である。
現在ほど通信環境が整っておらず、原稿はノートPCで打てても、データを送るのはカプラを使って公衆電話から送っていたというのである。
『イチローの流儀』の文庫版解説で石田雄太氏が、ケイゾーは機械音痴でパソコンが苦手だと書いているが、カプラを扱うことの方がよっぽど難しいと思うのである。
■BLOG_911 IS OVER.
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