2015/07/05

本の雑誌40周年


『本の雑誌』が生まれた頃にゃ、わてら『POPEYE』を一生懸命読んでましたわ。
救命胴衣のようなヴェストを着て大学に通い、教師からはお前らなにアメリカナイズされとんねんと揶揄されてたな。
当時は反発したけれど、今になるとよく理解できる。

ところで、その『本の雑誌』を読むようになった経緯みたいなのを書いた。
読者アンケートに応募する形で。
普段投稿している「三角窓口」というのは押しかけ原稿なので、採用されても謝礼は出ない。
しかしアンケートは依頼原稿ということになるので、謝礼(原稿料)が出るのである。
何千円か分の図書カードを贈ってもらえる。

それで、久しぶりにアンケートの方に原稿を書いて、応募したのだが……
図書カードはゲットできず。
ボツ原稿を捨ててしまうのはもったいないので、この場で公開してみることにした。
改行位置などはウェブログ向けにアレンジした。

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アンケートのお題は「私の『本の雑誌』体験」

●まずは告解。私はたんなる本好きで、活字中毒者ではありません。
昔から、読む本を選ぶのはたいてい自分の勘頼り。
という訳で……
▼『本の雑誌』をまったくスルーしていた時代が長い。
その存在すら認識していなかったと言ってもいいでしょう。
ただ、書店に行って面陳してある月刊誌の前を通るたびに、しきりに自己主張をしてくるものがあることを感じていました。
こちらをワニ目で睨んでいる奴(ワレなに面陳、ちゃうわメンチ切っとんねん)。
ある日ついに喧嘩を買うことに。いいえ立ち読みですませましたけど……
▼初めての第三種接近遭遇は1999年4月号。
つまりスルー歴23年。
『本の雑誌』というタイトルに接して、ん?と思わせて気を惹くところに命名者の広告センスを感じました。
奥付け(デスク浜本42才車をボルボにかえました)と目次(表紙デザイン/和田誠)をチラっと見てから(もしかして、リッチでメジャーか?)「笹塚日記」を読みました。
運の尽き、ぢゃなかった、もし3月号を手にとっていたらこの運命的な出会いはなかったのです。
以降しばらくはこのヤクザなおっさんの日記だけを立ち読みする月々。
申し訳ないのですが、買いもせず。
他のページも読まず。
▼したがって、北上次郎イコール目黒考二と気づくのはまだ先の話です。
冒険小説を読んでいた私は『笹塚日記』以前に、目黒さんとは知らずにお世話になっていた訳です。
ずっと後に、ドライカレーのレシピについてのメールを送った件で私自身(頭文字T)が日記の記述に現われた時は、店にある『本の雑誌』を買い占めて友達郎党に配ったろうと思いましたが、そこにあったのはたったの二冊。
▼オフセット印刷に移行した直後の2003年4月号から買い始めました。
白くなった誌面は以前からの読者には不評だったようですが、私は読みやすく感じた少数派の一人です。
■(武田伴兵衛・愛書家59歳・豊中市)


 

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